土地の神様

南スラスラン村で、井戸に盛り上げた砂の山と線香を供えている家がありました。私たちが訪れたのは2012年12月でした。カンボジアの正月は4月中旬ですが、正月には須弥山を象った砂山が、各寺院で造られるそうです。カンボジア語で「プノン・クサイッ」とよばれる砂山には、砂が聖なる物質として用いられているそうです。写真の砂山は、各家で祀る「プノン・クサイッ」なのでしょうか。
井戸の周りには、砂山の他にも線香立て(写真右側)や魚の骨のような形をした切り紙も吊るされていました。
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同じ家の階段隅にも砂の山(プノン・クサイッ)がつくられていました(左写真)。別の家には、正月に作った飾り物が、そのまま掛かっていました(右写真)。
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注意してみると、高床式の階段の上に線香立ての台を作り、家の出入り口を祀っているようでした。
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下の写真の家では、出入り口の場所を占ってもらい、右の方に移したそうです。左写真で板目が縦に見えるところが以前の出入り口でした。新しい出入り口の階段の上には、線香立てがつくられていました(右写真)。
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屋敷の一隅に木の祠が建っていました。この祠は’ネアクタ’とよばれ、今も、カンボジアの農村に多く見られます。’ネアクタ’とは、ネアク=人、タ=ご先祖様、という言葉からもわかるように、祖霊崇拝としての意味もありますが、もっと広く、土着信仰の精霊をも意味しています。日本の屋敷神と同じような意味合いを持つもののようです。
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少し離れた場所に、市街地で多く見かけた陶器(コンクリート)の小祠(ネアクタ)が倒れているのを見かけました。
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クメール・ルージュ時代には、ネアクタ信仰も禁じられたそうですが、南スラスラン村では、今でも’ネアクタ’が祀られていました。

写真/文 山本質素・中島とみ子

村の集会所と寺院

南スラスラン村の北側はスラスラン池と接しています。村を東西に走る道路からは木々の間に池を臨むことができます。*スラスラン遺跡情報/ 位置:アンコールワットから約4km北東にある人造池/ 建立:10世紀半ばに開削。12世紀末ジャヤバルマン7世(1181~1220頃)治下に大規模な改修工事がなされる。
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南スラスラン村の集会所へ案内してもらいました。ブルーシャツの後ろ姿は、ガイドさんです。集会所には扉などは無く、天井から色とりどりの飾りが下がっているのが見えました。
DSC09672 DSC09673南スラスラン村集会所(=寺)

集会所の北東隅の壁に、説法をする仏陀が描かれていました。ここは、集会所とお寺が一緒になっていました。天井の飾りは、お寺に捧げられる五色の旗をあらわしているそうです。
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長方形や三角の布に混じって、花のような形をしたものもありました。村人が作ったものなのでしょう。
DSC09674飾りはお寺の五色の旗の代わり DSC09680

近くには、以前使われていたという集会所もありました。この小屋の周りに、村の人たちが集まっていたそうです。鍋などが置かれているので、今でも煮炊きはこの小屋で行われているようです。
CIMG0883南スラスラン村 DSC09681元の集会煮炊きをする場所・村の人は周囲に集まった

現在のカンボジアでは、約90%が仏教徒と言われます。集会所の一画に置かれた寺院は、村人にとって心のよりどころになっているのでしょう。

写真/文 山本質素・中島とみ子

南スラスラン村の家屋

スラスランの手前(南)を、東に曲がると南スラスラン村があります。*スラスラン遺跡情報/ 位置:アンコールワットから約4km北東にある人造池/ 建立:10世紀半ばに開削。12世紀末ジャヤバルマン7世(1181~1220頃)治下に大規模な改修工事がなされる。案内板に示された方向には稲わらが積んであり、その先には高床式の家屋が見えました(左写真)。
右写真で、階段を上った扉の上に掛けてあるのは、案内板の上に書かれていた’BAT CHUM TEMPLE’のようです。この高床式の建物は、南スラスラン村の観光案内所の役目を担っているようです。
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家の周りには、たくさんの洗濯物が干されていました。
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訪れた12月は乾季にあたります。南スラスラン村の家々では、庭で炊事をしている様子でした。写真の左下には、ゴトクのように3隅に石を置いたカマドや、七輪のようなものも見えます。炊事用具が置かれた棚の下にオホ(薪)がありました。どの家でも、庭や床下にたくさんのオホが蓄えられていました。この家は、高床式の一階で、店を商っていました。
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女性の見えた店の方に廻り込むと、棒に吊るされたお菓子に混じって、日本語で「味の素」と書かれた袋がありました。カンボジアでは、味の素がよく使われているそうです。
住居の一画でスイカを売っている女性がいました(右写真)。スイカは、彼女は荷車で運んできたようです。スイカを自転車に積んで売り歩く女性をロハール村でも見かけたので、スイカは、この付近で栽培されているのでしょう。
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こちらの店舗は、高床式の一階の部分を囲ってつくられていました。店の前には、飲み物などをたくさん買い込んでいく女性の姿がありました。時間は11時少し過ぎ、遺跡を訪れる観光客に提供するのでしょうか。
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屋根に太陽光パネルを設置している家がありました。屋根の先や軒下につけられた飾りのようなものは、雨だれの対処なのでしょう。
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太陽光パネルは、使う人が増えてきた携帯電話の充電にも必要なのでしょう。

写真/文 山本質素・中島とみ子

北スラスランの田

北スラスラン村には、北に広い田んぼがあります。2012年12月に訪れた時、田ではいくつかのグループが稲刈りのまっさいちゅうでした。12月に刈り入れするためには、5 月に田を起こして苗代を作り、6月頃に田植えを済ませます。*北スラスラン村 /位置: アンコールワットから約4㎞北東、スラスランの北側。西はロハール村と接する。
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この田で収穫されている米は長粒米で、稲丈は短粒米に比べて長いものでした。短粒米が多く栽培されている日本の稲刈りは、株のすぐ上から刈り取りますが、カンボジアの長粒米の収穫方法は、穂の部分だけを鎌で切りとるというものでした。スラスランの北側で見かけた金物売りの人たちは、稲刈りに使う鎌の需要が高まるこの時期に、村々を回っていたのでしょう。
DSC09605北サラサラン村稲刈り

2013年3月、北スラスラン村の数か所に、大きな稲ワラの山ができていました。脱穀機を使った作業が、このような大きな稲ワラの山を残していきます。脱穀機を所有する大規模農家や事業者が、脱穀作業を請け負っているようです。
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昨年12月に稲刈りが行われていた田圃は、見渡す限りの平原に変わり、遠くに木々見えました。一直線に続く木々は、北スラスラン村の北側に広がる東バライとの境になっています。
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北スラスラン村の田んぼの中には、環濠のような大きな堀が通っています。かつて東バライが人工池だったころは、その水がこの堀を通って北スラスランの田に流れてきていたのでしょう。東バライに水がなくなった現在は、雨が降ると雨水がその堀を流れるとガイドさんが話してくれました。*東バライ情報/ 位置:アンコールワット東門から東バライの南西角まで直線距離で約4㎞ / ヤショヴァルマン1世の統治時代(900年頃)に造られる。東西7,150m、南北1,740m。
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写真は、北スラスラン村の北に立ち、北東を眺めたものです。広大な田んぼが続いている風景の中に、小さくプレループの塔が見えています(写真右隅)。ここからプレループの塔まで約2kmの距離があります。
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望遠で撮影したプレループの写真をさらに拡大して、掲載しました。プレループの塔を背景に、高く積まれた稲わらや、家畜、それに人影も見えます。
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どれほどの人々が、プレループの塔をみながら、この田んぼでコメ作りをしてきたことでしょうか。

写真/文 山本質素・中島とみ子

北スラスラン村の少年少女

2013年3月に、北スラスラン村で出会った少年少女たちです。*北スラスラン村 /位置: アンコールワットから約4㎞北東、スラスランの北側。西はロハール村と接する。
4時13分、村の中の道を、自転車に乗った制服姿の少年少女たちが帰ってきました。
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同じころ、村の小屋では、ミニチュアの木製牛車づくりをしている少年を見かけました。 
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村にある店舗の横に、まだ新しい机といすが並ぶ一画がありました。発電所も経営する店舗のオーナーが、「子供たちがいつでも勉強できるように」と造ったそうです。彼は、村の子どもたちが、遺跡で土産品を売るのにもかかわっているようでした。
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シェムリアップ州も、午前と午後とに分けられた2部制で学校の授業が行われています。スラスラン、バンテアイ・クディ、タ・プロムなどの遺跡に近い北スラスランの少年少女は、学校に行っていない時間、観光に関わる仕事の一端を担っているようです。

写真/文 山本質素・中島とみ子

村の発電所

北スラスラン村に発電所があります。 下の写真が、発電のシステム機器です。*北スラスラン村 /位置: アンコールワットから約4㎞北東、スラスランの北側。西はロハール村と接する。
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発電の燃料はジーゼル。ドラム缶には軽油、青い箱の中には発電機が入っています。
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発電された電気は、この配電盤を通して電線で運ばれます。
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発電所のオーナーは、その隣で店舗を経営しています。下の写真は、その店の中の様子です。ディスプレイ画面(パソコン?)、ラジカセや電話などの電気製品も置かれていました。これらは、売るための商品というより、デモンストレーション的に置いてあるようです。
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北スラスラン村で発電された電気は、北スラスラン村だけでなく隣のロハール村にも送られています。それぞれの家庭では敷地内にメーター器を設置するために、電柱を建てたり、立木を利用したり(右写真)、また、雨よけに、トタンなどをかぶせたりしていました。
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左写真では、DIESELと書かれた軽油のポリタンクを利用して雨よけにしています。右の写真では、別のメーカーのポリタンクが電線をまとめるのにつかわれています。
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2013年11月27日の産経新聞には、カンボジアで行われている籾殻バイオマス発電について以下のように記されていました。
「2002年(1月~12月)は、バイオマス発電はわずか1,500kWであったが、2007年には2,464kW、2008年には5,584kWと、この2~3年でバイオマス発電が急増している。特に2009年に入ってからは、この6月までに、累積発電能力は11,000kWを超えた。なお、発電単価は0.23USドル/kWh程度と言われている」

図 カンボジアのバイオマス発電能力の推移
図  カンボジアのバイオマス発電能力の推移

北スラスラン村ではジーゼルを使って発電していましたが、カンボジアでは、籾殻、トウモロコシ軸、ピーナッツ殻、シュガーケーン(さとうきび)などを原料にした、150kW~200kWの小規模バイオマス発電設備の建設が進められているようです。

写真/文 山本質素・中島とみ子

ヤシの葉と住居

ロハール村の東隣りに北スラスラン村があります。*北スラスラン村 /位置: アンコールワットから約4㎞北東、スラスランの北側。西はロハール村と接する。
2013年3月には、北スラスラン村の北側から入りました。この付近には、ヤシの葉で編まれた家屋があり、まだ屋根を葺いていないものも見られました。写真奥にみえる、同じくヤシの葉で囲った建物の屋根は、トタンぶきになっていました。
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雨季に多くの雨が降るカンボジアでは高床式の家屋が一般的で、2階を住居スペースとして使用し、床下では、ハンモックを吊るして休息をとったり、自転車や炊事に使う薪を置いたり、食事もします。2階へは7段の階段梯子が掛けられていました。
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2階の床下には、ゴザや洗濯物など、さまざまなものが吊されていました。敷地内にある大きな木に、ビニールで覆ったアプサラ(行政)からのお知らせが貼ってありました(右写真)。その横に見えているのは、電気の配電盤のようです。
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隣の家屋もヤシの葉で造られていました。壁面の一部が取り外された2階には、女性の姿と下がっている電球が見えました。ヤシの葉で編まれた壁面は、夜や雨が降り始めた時には引き上げるのでしょう。綱がついていました。DSC02078

こちらの家の階段は、数段上った場所に踊り場があり、その上に7段の階段がつけられていました。敷地内には、ほかにもいくつかの小屋がありました。
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写真右から、ヤシの葉で葺いた小屋、トタン屋根の小屋、煉瓦造りの建物、その手前にヤシの葉の小屋も見えています。それぞれに用途があるのでしょう。白い牛が餌箱の前からこちらを見ていました。 DSC02070

その一画で、木陰にハンモックを吊るして、子どもの昼寝を見守っている母親らしい女性がいました。傍には水瓶が置いてあり、その後ろにポンプ井戸、そして写真左には掘り井戸も見えています。
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少し離れた村の中で、アシの葉で造られた小屋を見かけました。小屋の入口の上には神様が祀られていました(左写真)。右写真は隣にあった鶏小屋で、気性の荒い鶏を入れておくための籠が入口にかかっていました。
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北スラスランの住居ではヤシの葉が、壁面や小屋の屋根などにふんだんに使われていました。
カンボジア民話集『ヤシの葉を編める男』という話の中に、「オレは1つヤシの葉を編むと1カック(昔の貨幣単位:10カック=1リエル)が手に入るから、1000編むと100リエル手に入るな。 そうしたら召使いを雇って、オレは働かなくていいな」というくだりがあります。北スラスラン村では、ヤシの葉を編む技術が今も大切なものとして伝えられているようです。

写真/文 山本質素・中島とみ子

村の集会所

2013年12月25日午前6時半頃、北スラスラン村とロハール村の境に建つ集会所には、掃除をする人の姿がありました(左写真)。*ロハール村情報/位置:アンコールワットから約4㎞北東、バンテアイ・クディの北側。西はタ・プロムに接し、東は北スラスラン村と接している。
この日、ロハール集落の人々へのアンケート調査が行われることになっていたのです。集会所と道を隔てた向かい側にある建物(右写真)は、集会所で村の行事などが行われる時などに煮炊きをする場所として使われています。大きな台と大きな鍋が見えました。
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7時ごろになると、子どもを連れた集落の女性たちが集り始めました。道路の向こう側には、稲穂をつけた田が広がっていました。その前の道を、白いコブ牛を連れて男性が通って行きます。DSC02155

集まってきた中高年の女性たちの多くが、スカーフを身に着けていました。首に巻いたり、羽織るように肩にかけたり(上の写真)、頭に巻く場合も、さまざまなバリエーションがあるように見えました(下写真)。彼女たちが頭に巻いたり、肩にかけたりしているスカーフは、カンボジアでは「クロマー」と呼ばれています。
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クロマーは、頭に巻いたり肩にかけたりする以外にも、汗拭きに使ったり物を包んだりと、日本の手ぬぐいや風呂敷などの機能を併せ持つ便利なものとして使われているようです。右写真には、頭をきれいに剃った女性たちが、袈裟がけにこのクロマーをかけていました(右写真)。
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7時50分ごろになって、男性たちの姿も見え始めました。高齢の男性たちは、女性たちに混じって集会所の中に座っていましたが(上右写真)、若者たちは外に集まっていました。
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集会所は子供たちにとっても来なれた場所らしく、小さな子どもたちもそれぞれおとなしく遊んでいました(左写真)。男性たちは仕事の合間をぬって、自転車やバイクに乗って集まってきていました。。
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集会所建物のそばに、大きな器に揚げ菓子が盛られていました(左写真)。これは、村の人が売るために作ってきたもののようです。赤い冷凍ボックスを積んだ2輪の荷車もきていました(右写真)。
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この日集まってくれたロハール集落の人々は、子どもを連れた女性が多く、特に中高年の女性が多く見られました。

写真/文 山本質素・中島とみ子

ロハール村の稲刈り

ロハール村は、農業を生業とする村です。12月の村南入口付近の田は、すでに刈取りがすんでいました。稲株が残る田には稲わらが並べて干してありました。*ロハール村情報/位置:アンコールワットから約4㎞北東、バンテアイ・クディの北側。西はタ・プロムに接し、東は北スラスラン村と接している。
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村の家並みが途切れた北側には、広大な田が稔りの時期をむかえていました。2013年12月には、ロハール村の稲刈りの様子を見ることができました。この田んぼで働いていたのはほとんどが女性たちでした。右側の女性たちは丈の高い稲を刈り取っていましたが、他の人たちは、倒れた稲の穂や、刈り残した穂を集めて小さな束にまとめています。遠くの田には、丈の高い稲が見えるので、この田はすでに一度稲穂の刈りとりがおこなわれたのかもしれません。DSC02700

村から近いこの田で、倒れた稲穂や刈り残した稲穂を、女性たちが集めているようにも見えました。
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田んぼの手前の方では、落穂拾いのように穂を集めていく様子が見られました。手にしている鎌は、    カンボジアで一般に使われているもののようです。
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この田で、女性たちがまとめていた稲穂の束は、一握りくらいの小さいものでした。
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北スラスラン村とロハール村の村境にある赤く塗られた建物は、北スラスラン村とロハール村とが共用する集会所です。集会所の傍らには小さなお堂がありました。このお堂は、稲刈りが終わると、村人が供え物を持ってきて祈る場所になっているそうです。
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北スラスラン村やロハール村では、村人が一緒になって稲刈りをしている姿が見られました。カンボジアでは、 田植え、稲刈りなどの農繁期は、家族労働だけでは労働力が不足するため、労働交換(プロヴァッ・ダイ)が伝統的に行われてきたようです。日本でも、昭和30年代までの農村では、田植えや稲刈りなど、一時にたくさんの労働力を必要とする農作業には、ユイ(結)とよぶ共同作業の慣行がありました。この慣行は、親戚や近隣・友人が、お互いに等量の労力を交換しあう「交換労働」の仕組みでしたが、田植え機や刈り取り機などの農機具が導入されて以降、おこなわれなくなりました。

写真/文 山本質素・中島とみ子

ロハール村

スラスランとバンテアイ・クディの間、道標の立つ近くに、ロハール村についての紹介板がありました。
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紹介版には、英文で次のように書かれていました。
Rohal village is bordered by Nrak Poan temple to the north, Banteay Kdei temple to the south, the northern sector of Srah Srang village to the east, and Ta Prom temple in the west.This village has a population of 1,143 persons in 282 families, all of whom are farmers.
Besides working in the rice fields, they produce wood miniatures of drums, oxcarts, waterwheels and statues for souvenirs.
Local people sell these products to visiting tourists and supplu various maker outlets. Villagers regularly perform various traditional ceremonies such as Pithi Locung Meak, Pithi Srang Preah, Pithi Bon Buos Neak, Pithi Ko Chuk, and Pithi Banhchoan Arak.
英文従ってロハール村の紹介をしていきます。
ロハール村は、北(写真上)の方にNrak Poan(ニャック・ポアン)寺院があり、南(写真下)はBanteay Kdei(バンテアイ・クディ)寺院に接しています。東はSrah Srang(スラスラン)の北部(北スラスラン村)に接し、西はTa Prom(タ・プロム)寺院に接しています。村の人口は1,143人、282のファミリーが住んでいます。村人はすべて農民で、稲作をしながら、土産用として木製のミニチュアドラム、牛車、水車および彫像を作っています。地元の人々は、これらの製品を、訪れた観光客やいろいろなところに直売しています。
また、村では、Pithi Locung Meak、Pithi Srang Preah、Pithi Bon Buos Neak、Pithi Ko Chuk およびPithi Banhchoan Arak など、様々な伝統行事が村人によって行なわれています。
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絵地図の右側部分には、ロハール村の名の由来(Brief History)が記されていました。
Rohal owes its name to the following legend; Once upon a time, a king was bathing in Srah Srang (Royal Bathing Pool) and his clothes and jewels became wet.
He ordered his attendants to dry them at a nearby field. The field was subsequently named ‘Veal Rohal’ (field of drying cloth) and the nearby village ‘Phum Rohal’ (village of drying cloth).
ロハール村の由来については、次のような伝説があります。昔むかし、王さまがSrah Srang(スラスラン:王の沐浴の池)で沐浴していると、彼の衣服や宝石が濡れてしまいました。彼は、家来にそれらを近くの場所(フィールド)で乾かすように命じました。その場所が‘Veal Rohal’(布を乾かしたフィールド)、そしてその近くの村を「Phum Rohal」(布を乾かした村)と、続いて命名されました。

絵地図の村の部分を拡大しました。 ロハール村はロハール集落と、その西にあるコースノー集落、その北のロンタオ集落、タノール集落の4つの集落で構成されています。写真右下に赤丸で示されているのが、道路標識とこの案内板が立っている場所です。
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赤い丸印から北へ進み、ロハール村に入ると両側にヤシの木がきれいに立ち並ぶそばに家がありました。スイカ売りの女性も見かけました。
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振り返ると、東南入口付近の小屋が小さく見えました(写真左奥)。DSC01251

ロハール村内のこの道を、牛車に乗った観光客も通るのでしょう。

写真/文 山本質素・中島とみ子