ワット・ダムナック小学校の校庭から、どっしりとした祠堂塔を臨むことができます。この塔の建っている場所が、ワット・ダムナックのほぼ中央にあたります。塔の左後ろに見えているのが本堂で、左隅の白い建物は、インターナショナル・イングリッシュ・スクールのようです(左写真)。中央に建つこの塔には、プリア・コーなど多くのアンコール遺跡と同様に、扉の両側に門衛神ドヴァラパーラが彫られていました。そして、扉の上には、釈迦のレリーフがありました。
写真の高い塔は、火葬塔のようです。ハスの花を手にしたデヴァターのレリーフが、各段の扉や偽扉の左右を飾っていました。
カンボジアでは、人が亡くなると棺に入れてお寺に運び、火葬塔で荼毘にふされます。遺骨は、寺院で用意した場所にみんな一緒に納めてもらいますが、仏塔を寄進してその中に納める場合もあります。カンボジアでは、仏塔のことをチャイダイと呼ぶそうです。
ワット・ダムナックには、寄進されたチャイダイがたくさん並んでいました。右から2番目写真のチャイダイには、両側に名前が書かれていました。右側には祖考**公之墓、左側には祖妣考**公之墓とあり、それぞれ、生年と終年が記されていました。漢字で記されたこのチャイダイは中国系の人のお墓のようです。
新しく建設中の塔は、コンクリート製のようですが、扉の上には、ナーガに囲まれた釈迦像がありました(左写真)。長方形の池(貯水池)の中に建つ黄色い建物にも、釈迦が描かれていました。2013年12月に撮影した写真ですが、雨期には、周囲の水を飲み込んで水かさが増すのでしょう。人工の池インドラタターカ(インドラヴァルマン1世がロリュオス地方に開掘)の中心に建てられたロレイ祠堂(ヤショヴァルマン1世(889~910頃)が建立)や、 東バライ(ヤショヴァルマン1世の統治時代(900年頃)に造られる)と東メボン(ラージェンドラヴァルマン1世(治世944-969)が952年に建立)などと規模は異なりますが、込められた思いは同じでしょう(右写真)。
池の南側に並んで建つ明るい建物は、僧坊でしょうか?中ほどに石棺が置いてあるのが見えます。小学校は、この建物の後ろ側に建っています。
丸い小さな池の中に造られているのは、須弥山を象ったものでしょう(左写真)。寺院に尼さんはいないので、写真の女性は、寺女と呼ばれる女性かもしれません(右写真)。
階段の両脇を白い象が護るこの建物が、本堂です。天蓋を備えた釈迦像が、円形のハスの池の中に立っていました。近くに置かれたテーブルには、若い女性たちの姿がありました。
ワット・ダムナックの西門へ向かうと、門から男子生徒が入ってくるのが見えました。自転車置き場にも、若い女性の姿がありました。時間は16時25分。インターナショナル・イングリッシュ・スクールは、この時間から、授業が始まるのかもしれません(左写真)。
ワット・ダムナック(Voat Damnak)付近の地図を再掲載しておきます。(参照地図:http://www.angkorresort.com/map/map_watdamnak.html)
オールド・マーケット・ブリッジの東岸、Higt School R.d(北)とワット・ポーロード(東)に囲まれた区画に、ワット・ダムナックは位置しています。その区画内の北側、Higt School R.d沿いには、ホテルやレストランなどができています。
写真/文 山本質素、中島とみ子