シルクファームで働く村の女性たち

ピエム村内のプノン・ルー遺跡から4㎞程西南西に、アーティザン・アンコールが運営するプオック・シルクファームがあります。 左写真は、シルクファームの入口の立て看板です。敷地内の畑では、桑が栽培されていました。
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プオック地区に造られたシルクファームは、8ヘクタールの敷地内に何棟もの建物があり、蚕の飼育、絹糸の撚糸、織物作りなどが行われています。
CIMG6316シルクセンター敷地近道 CIMG6318 CIMG6342

ピエム村からシルク・ファームに働きに行っている若い女性2人にインタビューをしました。(2015年12月)

★Sさん (24歳、女性)
ピエム村出身のSさんは、ドーン・ケオ地区 T村出身の夫(27歳)と2014年に結婚し、インタビュー時は、妊娠8カ月でした。写真はSさん夫婦の家です。子どもができるので、父親の土地に家を建て(約600ドルの経費がかかった)、5か月前に実家から、この家に引っ越してきたそうです。実家(ピエム村)では米、野菜、果物などを作っています。Sさんは8人兄弟姉妹(男3人、女5人)の上から3番目で、2番目の姉は結婚してピエム村に住んでいます。
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☆Sさんとシルクファーム
Sさんは、シルクファームで働いて3年目になります(2015年12月時点)。シルクファームに務めるきっかけは、シルクファームで行われた従業員の募集でした。若い女性も応募できることを知り、面接を受けて採用されました。シルクファームでは、Sさんはランドリーとアイロンかけを担当しています。ランドリーでは彼女を含めて13人が働いています。Sさんは、バイクや自転車を持っていないので、シルクファームまでは同僚と相乗りで通っています。シルクファームで働いて3年目、月100ドル前後の安定した収入があります。また、出産前後には約3か月間の産休があり、50%の給料を受け取れます。
夫は建築労働者で、給料は1日7ドルですが、未払いなどがあり、収入は不安定です。 Sさんの弟もシェムリアップで働いていて、一緒に通っています。

☆Sさんの結婚式
結婚式には、800人くらいを招待し、広い空き地にテントを建てて行ないました。テントやテーブルの設置は、1か所5ドルで会社に依頼し、料理は村の人6人にコックさんをお願いし、1テーブル75ドルくらいで作ってもらいました(ドリンク代は別)。700人分の料理を用意し、材料や調味料の費用は自分たちで負担し、結婚式全体の費用(約2,000ドル)は、夫の家族が支払いました。

☆Sさんの生活時間
1、朝4時に起き、食事を作る。
2、シルクファームの就業時間は朝7時半から12時までと、13時半から17時まで。
・昼食は職場で弁当を食べる。中身は干物やプラホックと白米。 朝ごはんと昼ごはんは同じおかずが多い。
・夜のおかずは、仕事で疲れているときなどは市場で買って来ることもある。
3、夜は寝る前にテレビを見て、21時頃に就寝。

☆生活費
・食費は月に150ドルくらい。
・電気は引いていない。バッテリーを60ドルで購入した。ソーラーパネルもある。
それまでは石油ランプで生活していた。
・生活水は、近くにある井戸を利用している。この井戸はNGOが作ったもの。

★Hさん (26歳、女性)、Tさん(31歳、男性)、
Hさん(ピエム村出身)は2010年に結婚し、家族は、夫のTさん(K村出身)、2人の娘(3歳と1歳3か月)、Hさんの母(46歳)と、弟と一緒に暮らしています。写真はHさん夫婦です。後ろに見える高床式の建物がすまいで、Hさん夫婦は1階に住み、母と弟が2階に住んでいます。子どもたちは、Hさんの母が世話をしてくれています。Hさんは長女で、弟が2人、妹が1人います。上の弟は専門職の大工で、結婚して他の村に住んでいますが、下の弟はまだ若いので仕事にはついていません。妹はハンドメイドの仕事をしています。
農地をもっていないので農業はしていませんが、アヒルを5羽飼っていて、パクチーを栽培したりしています。
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☆Hさんとシルクファーム
Hさんは、シルクファームの倉庫係として勤務して9年目になります。初任給は60米ドルでしたが、5年前から毎年6%の昇給があり、現在の給料は、1か月に約100ドルです。シルクファームまではバイクで通っています。
夫のTさんはシェムリアップで専門職の大工として15年以上働いていて(日給は8ドル)、シェムリアップまでは、自転車で約1時間かけて通っています

☆Hさんの結婚式
結婚式はピエム村のHさんの家で行い。料理は村の人にコックさんを頼み、テーブルやテントの設置はピエム村内の店に依頼しました。結納金は800ドルで、招待状は100人くらいに出しました。

☆Hさんの生活時間
1、朝は5時に起き(夫が朝6時に家を出るので)、家族4人の朝食と弁当を作る。
2、17時~18時には仕事から帰ってくる。掃除や洗濯などをして、夕食を作って18時に食べる。
3、テレビを見て20時から21時くらいに寝る。

☆生活費
・米は月に50kg(25~30ドル)購入する。
NGO倉庫のメンバーではないので、米は市場で購入する。食品は、毎朝バイクで村まで売りに来る人から買っている。学校付近の店で買ったりもするが、朝は買えないこともある。
・朝ごはんのおかずは揚げた魚か、卵焼きが多い。
・昼食は勤務しているシルクファームの食堂で食べる。月に7ドル。
・電化製品はテレビだけ。家屋の1階と2階にそれぞれ1台づつある。テレビは貯金をして購入した。貯金は1か月に10ドルくらいができる。
電気はバッテリーで、2日に1回は充電する。バッテリーの充電は1,500リエル(0.375ドル)かかる。       <2015/12/31時点での10,000 カンボジア リエル は、2.4526 米 ドルですが、日常生活では1米ドル=4,000リエルで換算されています>
  夜は、石油ランプで灯りを取る。
・携帯電話は、旧式の機器を持っている。

☆まつり
ピエム村では、正月前(3月)にラン・ニャ・ターと呼ばれる祭りがあり、 3月の祭りは、村人のうち、寺の役をしている人が中心になって行われる(村の人は自由参加)。祭りの前や正月前には、村人が集まって、村長さんや地区長さんの話を聞きます。村の会合(ミーティング)は、学校で開かれることもある。
11月にシェムリアップで行われた水祭りには、家族で行き、ボートレースを見てきました。アンコールワットへは、正月(4月)に行くことが昔からの習慣になっていて、毎年、旅行するような気持ちで行きます。

ピエム村からシルクファームに働きに行っている女性2人のインタビューからは、働くことで自らの収入を得て、自立の1歩を踏み出している様子が感じられました。しかし、その収入の大部分は、食費や電化製品の購入など、生活費として使われている現状もわかりました。かつては、実家の屋敷内に親や兄弟姉妹と暮らし、農業を生業とした自給自足的な生活を支えていた女性たちでしたが、外で働いて給与を得ることで、加速度的にその生活が貨幣経済に組み込まれていくようにも見えました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

牛の飼育頭数の変化

ピエム村の道で、少年が乗った牛車と出会いました(2014年9月)。私たちの前を通り過ぎると、少年は牛に鞭を入れて脇道へと曲がって行きました。*ピエム村情報:西バライの北西、ドーン・ケオ地区。ロンノル時代までは、「ポム・プノン・ルーン」(プノン・ルーン遺跡のある村の意味)と呼ばれていたが、ポル・ポト時代に、「プノン・ルン村」になり、さらにポル・ポト政権崩壊後に「ピエム村」となる。
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このころまで(2014年9月)、ピエム村の世帯の半数ほどが、耕作牛(雄牛)を2頭くらいずつ飼っていたそうです。2014年5月時点の家族数(世帯数)は277家族であり、村全体では200頭以上の牛が飼われていたことになります。村の多くの高床式家屋の1階部分は、牛を飼育するための場所として使われていました(以下12枚2014年9月撮影)。
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草場では、草を食む仔牛の姿も見られました。牛を、クメール語では「コーウ」といいます。ピエム村では、牛を所有している人が忙しくて世話をすることができないような場合に、雌牛を預けて育ててもらう「プロワス・ダイ」が行われてきました。「プロワス」はクメール語で「交代/交換/互いに」を意味し、「ダイ」は「手」を意味する言葉です。牛を預けて飼ってもらう「プロワス・ダイ」では、仔牛が生まれた場合の1頭目は持ち主の所有とし、2頭目は預かって育ててくれた人の所有とし、仔牛が2頭生まれた場合には1頭づつ分ける、また、雌牛は所有者の分、などとあらかじめ取り決めをしておきます。牛のプロワス・ダイは「牛で返す」とされています。繁殖用の雄牛を飼っている人は、道端に看板を出しておくそうです。
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2014年12月、ピエム村の道を走る私たちの車の前を、数頭の牛が横切っていきました。角のある牛の後から仔牛がついていきます。牛の角は雄雌の区別なく生えますが、多くの牛は角を切られ、角を残している牛は、繁殖年齢の雄牛が多いと聞きました。オートバイも、牛たちが通り過ぎるのを停まって待ちます。時刻は11時過ぎ、牛を曳いて歩く子どもたちにも会いました。刈取りが終わった田んぼに牛を連れて行くのは、子どもの仕事の1つなのでしょう。
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2014年12月、ピエム村の副村長さんの家では、豚を飼っていました。豚小屋では、まだ生まれて間もない子豚10頭ほどが、ワサワサと動き回っていました(左写真)。隣の囲いにいたのは親豚です(右写真)。家畜である 豚について、プロワス・ダイが行われることはほとんどないようです。豚は育てて売ることができるために、近年、その価値は上がっています。
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2015年9月、村内を歩くと、コンクリートの柱に改築した高床式家屋が何軒もありました。写真の家屋は、コンクリートで持ち上げて二階を造っているところでした。庭に、女性たちと子供の姿が見えたので、立ち寄らせてもらいました。階下には、耕耘機が置かれていました。
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屋敷内は、バナナの若木がたくさん植えられ、野菜も育っていました。牛を飼っていた気配は残っていましたが、牛の姿はありませんでした。
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2015年9月ごろには、ピエム村内で牛を飼っている世帯は3~4世帯だけになったそうです。ここ数年の間に飼育されている牛の数は、数百頭から十頭ほどへと激減したことになります。「建物が増えると、牛の餌としての草が減ることにもなるので、ピエム村では牛の数が減ってきた」という話も聞かれました。「カンボジアの家畜飼育2006 年( http://yk8.sakura.ne.jp/ADC-1/Pages/Cambodia-J/Cambodia-tips08-3J.html)」に、牛の売買について以下の記述がありました。牛の販売価格(成牛)は、よい牛なら300$以上、最低でも200$以上で販売できる。輸入牛の血が入っていて、大きな牛なら1000$以上になるというまた、痩せた牛を買い取って、太らせてから肉牛として売る仲介業者もいるそうです。
シェムリアップ近郊の村々と同様に、ピエム村にも、マイクロファイナンスの勧誘業者が訪れるようになり、融資話の一環として、牛の買いとりの話もされているのかもしれません。牛を売ったお金は、家を改修したり、耕耘機やバイクなどの購入費に充てられているのでしょうか。

写真/文 山本質素、中島とみ子