ハイスクール・ロードと家具工場

オールドマーケット橋を東側へ渡ると、ハイスクール・ロードが延びています。左写真の右側に続く塀が、橋から700m東にあるアンコール・ハイスクールで、道路を挟んだ左奥に見えるピンク色の屋根は、University of South East Aisa Cambodiaです。この大学は、2006年に開校したそうです。その先の交差点では、電柱の移設工事が進められているようでした。
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ハイスクール・ロードを東へ進んでいくと、ホテルやガソリンスタンド(左写真)、店舗などの新しい建物が道路沿いに建ち始めていました。水を入れる青いタンクが置かれている前に、たくさんのレンガが見えました。この場所にも、建物ができるのでしょう。
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ユニセフを過ぎて交差点に出ると、この先のハイスクール・ロードは、舗装のない赤土の道が続いていました。私たちの車は、ハイスクール・ロードから左(北)方向に曲がり、国道6号線へと向かいました。椅子の絵の看板があったので見ると、そこはイスなどの家具を売る店でした。その右端には、Smart Spotの看板がありました(右写真)。
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ハイスクール・ロードと国道6号線をつなぐこの道の両側にも、家具を製造している工場が並んでいました。ガイドさんの話によると、以前は、市街地で家具製造が行われていましたが、市街地の開発に伴って、この場所に移転してきたそうです。
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上写真以北の道路沿いには、1km以上に渡って家具製造所が集まっていました。左写真の工場内には、クローゼットやデスクなど、ホテル用と思われる家具が見えました。右写真には、サイドボードの上に木工細工の飾り物などが置いてありました。
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家具製造工場は、道路に面した間口はそれほど広くありませんが、横から見ると、奥に20~50mほどもある長い建物になっていました。その建物の奥の方で家具を製造していました。家具の材料となる木材が、道路沿いのあちらこちらにおいてありました。
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家具工場で、話をしている男女がいました。女性は座卓に寄りかかり、男性は柱の間に吊るされたハンモックに坐っていました。男性の坐るハンモックの奥の柱には、線香立てなどを置く囲い棚が作られていました。商売繁盛の棚でしょうか。その奥には、たくさんの椅子が見えます。ホテルやレストランに納められるのでしょう。
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国道6号線に近くなると、建設途中の大きな建物が見られるようになりました。写真の場所にも、大きな建物が建つようです。
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かつて市街地にあった家具製造工場跡には、ホテルやレストランなどが建設されています。そして現在の場所に移転した家具工場では、ホテルやレストランで使う木工製品を製作していました。家具製造所が、ここから再び移転する日がくるのかもしれないと思いながら、自動車で通り過ぎました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

SVAI寺院

SVAI寺院は、オールドマーケット橋からシェムリアップ川に沿って、1.5㎞程南に位置します。この付近のシェムリアップ川の東岸には、いくつもの寺院があり、それぞれ寺院によって造られた橋が架かっています。写真の橋はSVAI寺院の前に架かる橋で、橋の先には、グレーの門が2つ建っているのが見えます(2014年9月撮影)。
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2014年12月にSVAI寺院を訪れました。橋を渡ると正面に、ガルーダに乗ったヴィシュヌ神のレリーフで飾られた門が建っていました。上写真ではグレーでしたがベージュ色に塗り替えられていました(左写真2014年12月撮影)。もう1つの門は以前のままのグレーで、門の上にも、ガルーダに乗ったヴィシュヌ神が彫られていましたが、ガルーダは横向きで描かれていました(右写真)。
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門を入った正面の建物が本堂でしょうか。白い牛が階段の下を護り、階段の上にはナーガとシンハが見えます。左側に見える建物は、まだ新しく見えました。
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本堂の左側(北)に、屋根の上に塔を持つ建物がありました。その左隣りには、僧坊と思われる新しい建物が見えました(左写真)。寺院の北東隅に、沐浴をするための池も造られていました(右写真)。
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寺院の東側には、たくさんのスツーパ立っていましたが、その南東隅に、二階建ての学校がありました。私たちが訪れたのは12月23日午後5時過ぎでしたが、学校の前には、生徒たちが先生を前に並んでいました(左写真)。学校の建物の外側にも、机やイスが置かれた場所がありました(右写真)。
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寺院の敷地から出て、東へ100mほどのところに火葬場が造られていました。屋根に塔の付いた場所が棺を置くところのようです(左写真)。回り込んだところに火葬場がありました。火葬している間、人々が休憩できる場所も周りに作られていました(右写真)。
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火葬場の近くに、墓地がありました。火葬した骨はスツーパに納められるので、この墓は土葬のためのものです(左写真)。川を挟んだ向かい側にも、墓が作られていました。こちらは中国系の人たちの墓ということでした(右写真)。
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火葬場を過ぎると、私たちはシェムリアップ市街地へ向かって、北へ歩き始めました。この道は、シェムリアップ川の数十m東を並行して走っている道路ですが、車が通ることはありませんでした。道沿いに造成された場所がありました(左写真)。新たに家をつくる予定らしく、ネアクタが塀の上に置かれ、後ろの丸いコンクリートの入れ物の中には、木の苗が入っていました。敷地が広いので、個人の住居ではないようです。
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少し行ったところで、2人の仲良し少女たちを見かけました(左写真)。この辺りから、道の両側に住居が見られるようになり、たくさんの薪が積んだ店舗もありました(右写真)。
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店舗から2分後、新築している家の前で、子どもたちが遊んでいました(左写真)。女の子が、私たちを見つけて走っていった先には、食事をする家族がいました(左写真)。
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一見、普通の家のように見えた門のところで、女性が魚や鶏を焼いていました。門の中の庭にはテーブルがあり、お客が食事をする場所になっていました。
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2010年頃から始まったシェムリアップ川の改修工事によって、寺院を中心に広がっていた、人々の生活域は変化しているようです。かつて、寺院前の通りを挟んで並んでいた店や食堂などがは姿を消し、1本奥に入った通り沿いに、新しい大きなレストランなどができていくようでした。

写真/文 山本質素、中島とみ子

下校時のSVAI寺院周辺

クメール伝統織物研究所から700mほど下流のシェムリアップ川に、シンハ像の付いた橋が架かっています。この橋を含めて、下流に架かる計3本の橋は、東岸にあるSVAi寺院によって造られたようです。
シンハ像の付いた橋のあたりから、自転車に乗った生徒たちとすれ違うようになりました。時間は午後5時6分。東岸からシンハ像の橋を渡ってきた生徒は、高校生くらいに見えました(右写真)。
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女生徒が数人、西岸の道路沿いにある青い門の中へ入っていきました。ここは、CDO Familyの施設のようで、庭にはクリスマスの飾りつけがされていました(2014年12月23日撮影)。CIMG1570 CIMG1572 - コピー

歩いていくと、次から次へと自転車の生徒たちがやってきます。見ると、川を挟んだ東岸に続く明るい色の塀が途切れた横道から、白い上着に紺のスカートやズボンをはいた大勢の生徒たちが、湧くように現れてきていました。その付近には、New Bright International SchoolやSVAI寺院の学校などがあります。ある生徒たちは橋を渡って、ある生徒たちは東岸を、市街地の方に向かって自転車を走らせていきました。
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上写真の場所から6~7分南歩いていくと、生徒たちが出てきた横道が見えました(右写真)。左写真に見えるピンク色の屋根は、New Bright International Schoolで、以前(2013年)に通った時に建設中だった建物です。
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シェムリアップ川東岸の道は自動車が通らないので、生徒たちは、のんびりと自転車を走らせているように見えました。右写真では、赤いキャップをかぶった女生徒とその周りの生徒たちの、楽しそうな話し声が聞こえてきそうです。
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SVAI寺院の正面門へ続く橋に到着しました。橋のたもと(西岸)に屋台が出ていて、そのまわりに生徒たちが集まっていました(左写真)。橋の上でも、女生徒たちとすれ違いました(右写真)。
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橋を渡って東岸を北へ向かって歩き始めると、西岸の土手下に、網で魚を獲っている男性の姿が見えました。側壁で護岸を固めた川べりに、魚を獲るのにちょうど良い台が置かれていました。かつて、この川で魚を獲っていた生活が、改修工事を経た後も、継続されているようでした。
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河川敷の改修工事は、シェムリアップ川沿いで暮らしていた人々の生活を少なからず変えることになりました。改修の済んだシェムリアップ川沿いを楽しそうに下校する生徒たちの表情は、これからのカンボジアの明るい未来を期待させてくれるものでした。

写真/文 山本質素、中島とみ子

クメール伝統織物研究所2014

クメール伝統織物研究所は、オールド・マーケット・ブリッジから南へ700mほど下流に行ったシェムリアップ川沿いにあります。2013年12月に訪れた時の研究所2階店舗の様子は、すでに掲載済みですので、今回(2014年12月)は、1階の作業場と研究所付近のシェムリアップ川沿いの光景を紹介していきます。
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クメール伝統織物研究所は、ユネスコから委託されて、 1995年にカンボジアの伝統的な絹織物の現況調査を担当した森本喜久男氏により、1996年に設立されたもので、繭からの製糸、染色 織りまでの作業をここで行っています。 染色には自然の植物等が使われています。1階の作業場には金色の糸がたくさんつるされていました(左写真)。午後4時45分ごろの研究所1階の作業場は、子どもや男性の姿もあり、女性たちが和やかに作業をしていました(右写真)。
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糸よりをしている女性たちは、写真の糸車で、紡いだ糸を縒 (よ) り合わせています(左写真)。機織り機の前に坐っている女性は、作業を終えるところのようです(右写真)。
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左写真の刺繍の作業をしている女性も、端糸の始末をしていました。こうした刺繍布は、2階に展示してあった壁掛けになるのでしょう。右写真は、2階の店舗で2013年12月に撮影したものです。
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4時50分ごろになると、帰り支度をした女性たちが作業場から次々に出ていきました。就業時間が終わったようです。
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私たちもクメール伝統織物研究所を出て、シェムリアップ川沿いを南へ歩いていきました。1日の仕事を終えたトゥクトゥクが、オートバイを外して置かれていました(左写真)。その先で、学校を終えた子どもたちが、木製のベッドの上で遊んでいるのを見かけました。椅子やタンスが並んでいたので、木工家具を作っているところのようです。
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道の先に、水門のある橋が見えました。さらに進むと、道の左側に道標が見えました。Phnum Kraom(フナンクロム)9㎞の表示がありました。その側面に記された63は国道63号のことでしょう。
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ピンクのパラソルを立て掛けた店頭に、果物や木の実のシロップ漬けやジャムが並んでいました(左写真)。Smart Spotの看板を掲げた店もありました。シェムリアップでもスマートフォンが人気なのでしょう。
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惣菜を作って売っている店(左写真)や、魚や鶏肉の串刺しを道路沿いで焼いて売っている女性も見かけました(右写真)。
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クメール伝統織物研究所付近のシェムリアップ川では、河川敷の改修工事がほぼ終わったようで、川に面した道路沿いは、地域の人たちと観光客が触れ合うことでのきる場所になっていくことでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

製氷工場

シェムリアップの市街地からトンレサップ湖へ向かう途中、製氷工場に立ち寄りました。シェムリアップ川沿いの道から西へ入って、南へ進むと、製氷工場があります。左写真のネアクタが立っている建物は事務所です。事務所の手前に工場の大きな建物がありました。右写真の2人の男性は、製氷工場の関係者です。
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大きな製氷工場の建物の中に入ると、中央の通路を挟んだ両側に設置されている機械を結んで、太さの異なる管が縦横に走っていました。配管の先にはいくつものタンクが設置されているのが見えました(右写真)。このタンクの中で氷が製造されているようす。
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タンクは、内側に太い青色の管がつながっていて(左写真)、反対側には、建物の外へ排出口がついていました(右写真)。
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建物の外では、若い男性たちが氷を袋に詰めているところでした。その氷はキューブ状のもので、まるい筒からザザッと出てきました。建物内部のタンクで作られた氷が、この筒から出てくるようになっていました(左写真)。まるい筒の右上にある紺色の器具で、氷の出を調整しています。まるい筒は6か所あり、それぞれ内側に製氷タンクが設置されています(右写真)。この時は、4~5人の男性が働いていましたが、彼らの基本月給は100ドルで、さらに1日2.5ドルと食事と住まいを提供されているということでした。
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氷でいっぱいになった袋は、口を縛り、コンテナトラックに詰め込まれて出荷されます。コンテナトラック内には氷の袋が積まれていました(右写真)。ここで作られたキューブ状の氷は、ホテルやレストランで使われるのでしょうか。
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少し先に、別の製氷工場がありました。この工場では、大きな柱状の氷が作られています。訪れた時、工場内では、柱状の筒に水をかけている男性の姿が見えました(左写真)。別の1人の男性がその筒に近づき、中から氷を抜き出しています。
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抜き出された氷柱は、1本ずつトラックに積みこまれていきました(左写真)。一方、氷を抜き出した筒の方は、右写真のように上に吊るされて、上部のホースから水が入れられます。
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水で満たされた筒は、男性が持ち手を引っ張り、奥へ移動させていきました。奥には、水が入った筒の上部がぎっしりと並んでいました。彼は、空いている場所に筒を静かに下ろしていきました。
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ある程度下がると、男性は筒の上に乗って吊るしてあった滑車を外しました。この場所で、筒の中の水は氷になっていきます。工場には筒を運ぶレーンが2つあり、もう1つのレーンでも、筒から氷を抜き出す作業が始まっていました。
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早朝のシェムリアップ市街地の一画で、観光ガイドの男性が大きな氷をクーラーボックスに入れているのを見かけたことがありました。ガイドさんたちは、その日に担当する観光客に、冷たいペットボトルの水をサービスするために、氷を買っていたのでした(左写真)。アンコールワット内の土産物店では、赤いクーラーボックスに入れるために、男性が、大きな氷柱をのこぎりで切っていました(右写真)。DSC00489 DSC08517

オールドマーケットなどの市場では、魚を冷やすために氷がたくさん使われています。シェムリアップ市街地や、近郊の村の店では、赤いクーラーボックスに氷を入れて飲み物を冷やしていました。電気事情があまり良くないシェムリアップでは、製氷工場で作られた大きな氷が冷蔵庫の代わりになっているようです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

クメール料理とココナッツミルク

カンボジアでは、ココナッツジュース(ドーン・タック)が、いたるところで売られています。前回紹介したのは、自転車の荷台にココナッツをつけて、市街地を回るココナッツジュース売りでしたが、観光客用には、屋台、レストラン、そしてアンコール遺跡周辺のほとんどの土産物売り場で売られています。下の4枚の写真は、左側からアンコール・ワット遺跡、バンティアイ・スレイ遺跡、コーケー遺跡、クバルスピアン遺跡の土産物店に置かれていたジュース用のココナッツです。
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クメール料理に使用されるココナッツミルクは、ココナッツジュースではありません。若いココナッツの種子内部は、甘いココナッツジュースで満たされていますが、熟すにつれて、種子の内側に白い胚乳(クティヒ・ドーン)が厚く張り付いていきます。これがココナッツミルクで、おかずやデザートなどの料理に使われます。さらに熟したものからはココナツ油を作ったりするそうです。
左写真は、バンテアイスレイ・レストランで提供されているアモックで、ココナッツの器に入って出てきました。右写真は、ココナッツミルクで作ったプリンのようなデザートでした。
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バンチャエウは、米粉とココナッツミルクをベースにした生地をターメリックで黄色く着色した生地を使ったお好み焼きのようなもので、大きめの専用フライパンで薄皮に焼き、好みの具をたっぷりのせて2つ折りにして、さらに焼き上げたものです(左写真)。バンテアイスレイ・レストランは、シバサ・ロードが国道6号線と交わる場所から西へ400mほど行った北側に、あります(右写真)。
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左写真は、2013年8月にツアーで訪れたニューバイヨンレストランです(左写真)。この店は、ツアーの観光客を受け入れているようで、赤いユニフォームを着た女性と白い上着姿の男性が忙しそうに立ち働いていました(右写真)。
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昼食に出された、ココナッツミルクを使ったクメール料理は、アーモック・トレイ – 魚(雷魚)とココナッツミルクとカレーペーストをバナナの葉で包んで蒸したものと、ココナッツミルクのプリンをくりぬいたカボチャに入れて蒸したデザート「ラパウ・ソンクチャー」などでした。
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下の2品も、シャドウオブアンコール・レストランで食べたココナッツミルクを使った料理です。
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シェムリアップ近郊では、道路沿い、田んぼの畔、家々の庭などにココナッツヤシの木がたくさん生えていました。ヤシの木は自然に生えているのかと思っていましたが、ある家の庭で、芽を出したココナッツの実が置いてあるのを見かけました(左写真)。人々は、家の周りや道路沿いに、芽を出したヤシの実を植えて育ててきたのでしょう。ヤシの木は、3年くらい経つと実をつけるようになると聞きました。
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ヤシの葉は、住居の屋根や壁面に使われてきましたが、その種子は、カンボジアの食文化の基本になっていました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ココナッツジュース売り

インド料理店「インディア・ゲート」前を、荷台にココナッツを下げた自転車が通っていきました。若い女性に呼び止められたココナッツジュース売りの女性は、ココナッツの実をナタで切り取り、自転車の荷台で、皮を削りはじめました。私は、彼女の前に廻り込んで、その様子を撮らせてもらいました(2014年9月撮影)。
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まず、ココナッツのとがった下の方をナタで削り(上右写真)、その後、ひっくり返して平らに切り落としました(左写真)。そして、再度ひっくり返して白い部分を削り取っていきます(右写真)。ココナッツジュースは、実の中にある大きな種子内の液状胚乳で、種子の内側に張り付いている固形胚乳も、スプーンですくって食べることができます。
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ジュースが飲める状態にして差し出すと、注文した若い女性は、自転車に下げられた籠の中からストローを取り出しました(左写真)。彼女は常連さんのようでした。ココナッツには、実の大きさによって異なりますが、1個あたり約1リットルほどのジュースが入っているそうです。
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ココナッツジュースを飲み終えた女性は、自転車に付けられた籠の中から、ペットボトルに入った液体を取りだし、ボトルに口を付けないように器用に飲むと、また籠の中に戻しました。確かなことはわかりませんが、シロップのようなものなのかもしれません。別の女性も、青いココナッツを指さして注文していました。ココナッツジュースは、若い実の方が、より甘いのです。
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数分後、ココナッツ売りの女性は、オールドマーケットの方へ自転車を押して歩いていきました。オールドマーケット西側の通りでも、屋台でココナッツジュースを売っていましたが1$と書いてありました。女性の売るココナッツジュースは、それより安いのでしょう。
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ココナッツジュースは、水よりもミネラルなどの栄養分が豊富に含まれ、体への吸収もよいので、カンボジアでは昔から、ココナツジュースは熱を下げる「薬」として使われてきたそうです。クメール語で、ココナッツジュースは「ドーン・タック」というそうです。そして、熟したココナツの実の内側に厚く張りついている胚乳は「クティヒ・ドーン」といい、クティヒ・ドーンからは、おかずやデザート、ココナツ油を作ったりするそうです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

INDIA GATE

をオールドマーケットの北西に、インド料理の店「インディア・ゲイト」があります。店頭で呼び込みを行っていた男性の向こうに見える赤い屋根は、オールドマーケットです(左写真2013年3月撮影)。Street-9沿いにあるインディアゲイトは、ナイトマーケットやパブストリート、そしてオールドマーケットにも近いので、シェムリアップを訪れた時には、必ず立ち寄っているレストランです(右写真、以下2014年9月撮影)。
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店の入口に、アンコールワットの写真と、ヒマラヤ山脈の写真がかかっていました。ヒマラヤ山脈の写真を拡大して掲載しました(右写真)。ここに写っているのは、インドのジャンム・カシミール州東部に位置する山岳地域ラダック地方のようです。写真右下の白い寺院は、タージ・マハルでしょう。タージ・マハルは、インド北部アーグラにあるインド・イスラーム文化の代表的建築で、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟です(参照:ウィキペディア)。
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ラダック地方とは、インド北西部(左地図の赤い部分)に位置する、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれた標高3500メートルの一帯をさします。カシミールの東側半分以上を占めるこの地域は、かつてはラダック王国という独立した仏教国でしたが、19世紀にカシミールの藩王国に併合されます。右地図のブルーの範囲が、現在のラダックの範囲ですが、ラダックという名称は、行政区画としては使用されていないということです。
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ラダックの写真は、厨房への入口にも貼られていました。2014年9月に訪れた時、写真の前に、男性の写真が飾られていました。この男性は店主の兄弟で、最近亡くなったので、このように写真を飾っているということでした。周りを布できれいに飾って、線香が置かれている場所には、門の写真(絵)と、その前に招き猫のような手の形をした仏像が置かれていました。商売繁盛を願う棚のようです。
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店頭のメニュー写真の中に、VEGTABLE THALIやCHICKEN THALIがありました。THALI(ターリー)は、インド料理における定食のことで、インディア・ゲートのターリーは、いくつかの仕切りがある四角い皿に、それぞれご飯やチャパティー、カレー数種などを盛ったものでした。
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インディア・ゲイトの定食(ターリー)は、四角い仕切りのある皿を使用していましたが、ターリーとは、もともと、丸いお盆のことをさすそうです。店内に置かれていたメニューは、少し色あせていましたが、最初の方に定食のメニューが載っていました。
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左写真は、私は食べたCHICKEN THALIです。テーブルには、バイヨン寺院(アンコールトム)に並び立つ四面像をモチーフにした織り模様のクロスが掛かっていました(右写真)。 
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インド料理の店、インディア・ゲイトで働く人たちにとって、インド史上に存在したラダック王国は、誇らしい歴史なのでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

SHADOW OF ANGKOR

SHADOW OF ANGKOR(シャドウ オブ アンコール)は、オールドマーケットの東側に建つゲストハウスで、レストランが併設されています。
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2013年3月に、シャドウオブアンコールのレストランで食事をした際、ブルーの陶磁器の食器が印象に残りました。
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2013年12月に訪れると、料理が盛られていたのは白地の食器でした。食器とともに、料理の飾りつけにも、変化が見られました。例えば、カンボジア麺と野菜の炒め物の上には、トウガラシ(細いパプリカ)が、花の形に飾られていました(左写真)。そして、フレンチポテトの下には、飾り切りを施した葉が敷かれていました(右写真)。
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使われている葉は、バナナの葉でしょうか。
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SHADOW OF ANGKORの沿革が、メニューに記されていました。それによると、SHADOW OF ANGKORのゲストハウスは1996年に設立されました。そして、現在使われている建物は、フランス保護国時代の1920年代に建設されたものだそうです。(Classic French Colonial Building Which Dates back to the Early 1920’s)。そして2009年2月に、Shadow of Angkor Ⅱが、さらに2013年12月にShadow of Angkor Inn がオープンしています。
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日差しの強いカンボジアで、木陰を見つけて入るとホッと一息つくことができます。シャドウオブアンコールは、そんなところから名づけられたのかもしれません。

写真/文 山本質素、中島とみ子