ピエム村の古老、ティエップさん(88歳、男)の家を訪ねました。ティエップさんの屋敷に入る手前、道路沿いに高床式住居が建っていました(左写真)。ここはティエップさんの生家があった場所で、現在は彼の息子さんが住んでいます。その脇の道を奥へ進むと、ティエップさんの屋敷があります。屋敷内には住居が3軒と、それに付随した炊事小屋などが建っていました。
彼には8人の子どもがありましたが、戦死したり、ポルポト時代に亡くなったり、病死したりして、現在は5人になっています。子どもたちのうち娘2人がそれぞれ家を建てて、この屋敷内で暮らしています。
ティエップさんが寝起きしているのは、下左写真の孫の家です。トタン屋根の高床式住居の前面に、ヤシの葉で大きく下屋が張り出ていました。下屋の部分の内に置かれたイスにティエップさんが座っていました。
1927年生まれのティエップさんは、25歳の時に隣で暮らしていたイトコ(母の姉の娘)のチャープさんと結婚しました。
★結婚のチューイ・クニア*親戚を中心にした「助け合い」を「チューイ・クニア」といいます。家を作るとき、結婚式、出産、祭(長寿の祝いなどの家の祭り)の場面で行われる手伝い合いのことです。
ティエップさんの結婚式のときは、親戚以外にもたくさんの人にチューイ・クニアを頼みました。ちまきづくりや、伝統的な菓子を作るなど、主に準備の手伝いをしてくれました。結婚式は、昔も今も女性側の家で行います。結婚後は、慣習としては妻方の家に住むことが多いそうですが、家が狭い場合などにはお互いの親が相談の上で、新婚夫婦がどこに住むかを決めます。ティエップさん夫婦の結婚後の住まいはティエップさんの親が決めてくれたもので、土地(田)は30メートル×40メートルくらいありました。
★家を造る時のチューイ・クニア
ティエップさんが、父母の畑のあったこの場所に家を建てたのは、ポル・ポト時代が終わってからの1979年でした。家を造る時にも、姪や甥などの親戚や知り合いなどにチューイ・クニアで手伝ってもらったそうです。 木を伐ってきてヤシの葉で造る家は、10人以上の手伝いがあれば1日でできますが、手伝いの人数が少なければ壁を作るのは後日になることもあります。チューイ・クニアで手伝ってくれた人には、頼んだ家の人が料理を用意します。
左写真で小さい子供を抱いている女性が、一緒に住んでいるティエップさんの孫です。周りの少年や少女たちもティエップさんの孫やひ孫になるのでしょう。外の庭にも、子どもたちや女性の姿がありました(右写真)。右写真に見えている高床式家屋は、娘さんの住居です。
★出産の時のチューイ・クニア
出産のときは、いつも、ピエム村内の産婆さんに来てもらい、隣近所の人にチューイ・クニアを頼みました。男性には薪を運んできてもらって焚火をしたり、女性には赤ん坊に産湯をつかわせてもらったりして、産婦が無事に眠る状態になったときに、皆に帰ってもらいました。
★出産に関するマジナイ(禁忌)
後産(のちざん)は、占い師に方角を選んでもらって、夫が埋めに行きました。埋める場所は自分の土地の中です。
産婦用のベッドを作ることはしませんでしたが、住まいが高床式なので地面から1mくらいの床に母子が寝て、その床下で夫が薪をたくと、母子は暖かく眠ることができました。産婦が「熱い」といえば火を小さくするなど、夫は火のそばに寝て、火の調節をしました。火が消えてしまうと産婦の具合が悪くなるといわれていました。
産婦は、産後1週間は家の外でおこした火で湯を沸かし、ぬるま湯にして浴びました。浴びた湯は床下に掘っておいた穴に流れ落ちるようにして、穴にはトゲのある木をかぶせておきました。今の人は病院での出産が多くなったので、そのようなことはなくなりました。
ティエップさんの屋敷内では、キュウリなどの野菜が栽培されていて、穀物を入れる小さな小屋もありました(左写真)。正月に供物を載せた棚が、そのまま置いてありました(右写真)。
正月は、4月13日、14日、15日のいずれかの日に、各家ごとに棚を作って供物をあげて祝います。
村全体でも正月を祝い、毎年新しい神様(ブラフマ神の子ども7人)を入れ替えます。神様がいつ降りてくるのかは、占いで時間・分・秒までわかるので、供物として果物、ご飯、飲み物、香水、線香、ろうそくなどを村の人が持って集まります。内戦前は、村の人たちがコック・チャーに集まって正月を祝いましたが、現在では小学校かプノン・ルーン遺跡で行っています。
インタビューの途中で、スコールがありました。ヤシの葉をつたって落ちてくる雨水は、トタン板から大きな水瓶に集められています。両側にある娘さんたちのヤシの葉で葺いた住居も雨に濡れていました。「昔の人は葉の屋根や壁が好きなので、今もたくさん残っている」とティエップさんが言うように、彼の屋敷内には、ヤシの葉の家屋が丁寧に管理されていました。
屋敷内にある井戸の柵に干した洗濯物も、雨に濡れてしまいました。右写真のオートバイは、ティエップさんの孫のものです。今年の4月に購入したばかりというオートバイのハンドルには、2本の赤い紐とお札が下がっていました。赤い紐は、「オートバイが家族になった」ことを意味し、お札にはお経が書いてあります。お母さんは「お札」のお経は、まだ覚えていないそうですが、お札を結ぶ時、「お金が戻ってきますように」という意味のお経を唱えてくれたそうです。オートバイの価格は約1,100~1,600USドルと高額ですが、オートバイでたくさんお金を稼いで、買ったときのお金がもどってくるようにという気持ちが込められているようです。
「今でも、この村ではチューイ・クニアをお願いすれば、お金を払わなくても助けてくれる」と、ティエップさんは話します。ティエップさんは2年前までチューイ・クニアなどの手伝いに行っていましたが、最近は娘や孫たちが行っているそうです。
写真/文 山本質素、中島とみ子