金物売り

スラスラン北の売店付近は、金物売りの人たちの休憩所にもなっていました。*スラスラン遺跡情報/位置:アンコールワットから約4km北東にある人造池 /創建:10世紀半ばに開削。12世紀末ジャヤバルマン7世(1181~1220頃)治下に大規模な改修工事がなされる
以下の写真は、2012年の12月に訪れた時のものですが、この時期のカンボジアは稲刈りの季節にあたります。スラスランの北には北スラスラン村があり、さらにその北には、東バライと呼ばれる広大な農地が広がっています。荷台につけた箱の中には、刃物を研ぐための砥石も入っているのでしょう。重そうに見えました。
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近くを通りかかった金物売りの男性に、品物を見せてもらいました。荷台につけた木箱の背面には、左から目の細かなノコギリ、ナタ、そして四角い枠のものはネズミ獲り(右写真)です。その右横には目の粗いノコギリ、木バサミが吊るされていました。
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右の側面には、包丁などがさしてあります。右下の写真で、車輪の横に木枠が見えていますが、下に刃がついているので2人で曳くノコギリのようです。
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商品の金物類は木箱の外側に並べられてあり、箱の中には金物屋の男性のものと思われるバナナの葉で編まれた帽子が見えました。
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金物屋さんのオートバイのナンバープレート下の泥除けに、面白い絵がありました。大きく口をあけたロバの歯の中に、丸い地球のようなものが描かれ、’DON’T EVEN THINK ABOUT’と書いてありました。このオートバイは、海外から中古品として輸入されたもののようです。
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環境問題が、カンボジアの人たちの間で考えられるようになるのも、そう遠い将来のことではないでしょう。

写真/文 山本質素・中島とみ子

ふ化直前の卵(ポンティアコーン)

2012年12月には、スラスランの北にある屋台の食堂で、ふ化直前のアヒルの卵を食べました。*スラスラン遺跡情報/位置:アンコールワットから約4km北東にある人造池 /創建:10世紀半ばに開削。12世紀末ジャヤバルマン7世(1181~1220頃)治下に大規模な改修工事がなされる。
フィリピンなどではバロットと呼ばれているふ化直前の卵を、カンボジアではポンティアコーン(クメール語)と呼びます。テーブルに卵が運ばれてくると、ガイドさんは瓶に入った塩と魚醤漬け(?)を小皿に取り分け、卵をスタンドに乗せました。
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ガイドさんが食べ方を教えてくれました。まず、スタンドに置かれた卵の上をスプーンでたたいて殻を割ります。 
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割れた殻を取り除くと、灰色のやわらかそうなものがあらわれました。DSC08074

ガイドさんは、取り分けた調味料の皿にレモンを絞って、卵にかけてから中身をすくって食べました。私は塩だけを使ったので、しょっぱい味がしましたが、黄身の味もしていました。スプーンですくった時の手ごたえはウニのようでした。
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フィリピンの分類では、雛の形ができつつある状態の有精卵を「アブノイ」、ひなの形が作られた物を「バロッ」、殻を破って出てくる直前のものを「ウコボ」と呼び分けているそうですが、私達が食べた卵の状態は、形がつくられた「バロッ」状態のものでした。 

写真/文 山本質素・中島とみ子

バンチャエウ(お好み焼き)

2012年12月のスラスランの北にある売店では、カンボジアのお好み焼き(バンチャエウ)を作って食べさせる場所がありました。*スラスラン遺跡情報/位置:アンコールワットから約4km北東にある人造池 /創建:10世紀半ばに開削。12世紀末ジャヤバルマン7世(1181~1220頃)治下に大規模な改修工事がなされる。
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お客がくると、ターメリック入り米粉を水で溶いたものを、中華鍋に薄く延ばして焼きはじめ、その上にもやしとひき肉などのいためたものをのせていきます(左写真)。焼けるのを待つ間に、深めの皿に生野菜を盛り付けました(右写真)。
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この時、客は3人いました。手前の女性はすでに食べ終わったらしく、空になったサラダとバンチャエウの皿がありました。大皿には、焼いたパンチャエウが何枚も乗っていましたが、店の女主人は、注文をした少女のためにパンチャエウを焼いていたのです。
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焼けたバンチャエウは、折りたたまれて皿に移されました。
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近くでは、手作りの水菓子なども売られていました。同行者の中には、おいしいので食べ過ぎておなかを壊した人もいました。DSC08027

2012年の12月のスラスラン北では、近くの村人たちが手作りの食堂を開いていたようで、カンボジアの家庭の食べ物が並んでいました。

写真/文 山本質素・中島とみ子

スラスラン

アンコールワットから約4km北東に、人工の池’スラスラン’があります。*スラスラン遺跡情報/位置:アンコールワットから約4km北東にある人造池 /創建:10世紀半ばに開削。12世紀末ジャヤバルマン7世(1181~1220頃)治下に大規模な改修工事がなされる。
東西700メートル、南北350メートルのこの池へ流れ込む川はなく、池の水は雨水が溜まったものだそうです。スラスランの北側から東南方向を撮影した写真です。DSC09647スラスラン?

スラスランの南側から西北の方向を眺めた写真です。西に、ジャヤバルマン7世が造ったテラスが残っています。
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下の写真は、スラスランの西に向かい合って立っているバンテアイ・クディの東門から、スラスラン方向を撮影したものです。西のテラスに立つシンハ象が見えています。
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スラスラン池の中に、旗が立っていました。ポルポトの時代に破壊されたという石造の遺構の場所でしょうか?(左写真)。ポルポト政権時代には、この場所は田んぼとして使われたとガイドさんから聞きました。
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スラスランの北側の道路沿いには、売店や食堂があります。DSC09434 DSC09435

2012年12月に訪れた際には、売店は、吊るされた肉の塊や袋入りのお菓子など、周辺の村人たちが買いに来る店のように見えました。
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1年後の2013年12月に上の写真と同じ場所を撮影したものを、以下に6枚掲載しました。テント掛けで広げられた売店の周りには、観光客用の商品が並べられていました。
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特に、道路に面した場所には、去年までは見られなかった串刺しなどの食べ物がずらりと並んでいました。
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売店の奥には、テーブルといすが置かれていました。また、トリ肉が吊るされていて、観光客が集まっていました。
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サトウキビとしぼり機を乗せて運んできた荷車は、そのまま店にして、サトウキビジュースを売っていました(左写真)。また、カラフルなサンダルがたくさん並んでいました(右写真)。観光客が池に入るため に買うのでしょうか?
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王様の沐浴場とされるスラスランですが、1964年にフランスが発掘調査をした際に、いくつかの甕のお棺が見つかったそうです。沐浴の池スラスランは、ある時代には共同墓として使われていたのかもしれません。

写真/文 山本質素・中島とみ子

交通安全キャンペーン

2013年12月22日8時半過ぎ、シェムリアップ市街地の歩道に若者たちが並んで立っていました。*シェムリアップ市情報 /位置:アンコール・ワットの6km南 /人口:市域171,800人(2009現在)
彼らは、交通安全キャンペーンに参加している学生さんでした。手に持ったビラには、「ヘルメットをかぶりましょう」と書いてあるそうです。
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バイクタクシーの運転手については、ヘルメットをかぶることが義務付けられていますが、一般の人の中には、ヘルメットをかぶらずにオートバイを運転している人たちが多く、そうした人たちに向けて、呼びかけが行われていました。
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左写真の広げられた幕にも、ヘルメットをかぶりましょうと書いてあるのでしょうか。この交通安全キャンペーンは、今年から行われるようになったそうで、キャンペーンの旗と大きなカンボジア王国の国旗が見えました。アンコールワットが描かれたカンボジア国旗を示しておきました(右写真)。
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交通安全キャンペーンは、この日、市街地の数か所でおこなわれたようです。
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同じ日の16時過ぎにも、キャンペーンのために街角に立つ学生たちの姿がありました。
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左の写真では、旗の右上に、運転席の男性と後ろに乗った女性がともにヘルメットをかぶっているビラが見えます。また、ヘルメットをかぶらずオートバイを運転していた人に、女学生がビラを示して話しかけている姿が印象的でした(右写真)。
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交通規則や交通標識が描かれた大きなポスターも見えます。
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午後4時半ごろ、マーチングバンドによって交通安全キャンペーンのフィナーレ(?)を飾る演奏が行われていました。
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自転車、オートバイ、自動車などが、雑然と道路いっぱいに動いていく様子に、「交通事故は起きないのですか?」と、ガイドさんに尋ねたことがありました。その答えは、「ほとんどありません」「交通事故はあります」など、ガイドさんによってまちまちでした。交通安全キャンペーンは、交通事故への認識を広める1つのきっかけになって行くのでしょう。

写真/文 山本質素・中島とみ子

子どもたちとバイク

シェムリアップ市街地の道路は、オートバイであふれていました。*シェムリアップ市情報 /位置:アンコール・ワットの6km南 /人口:市域171,800人(2009現在)
トゥクトゥクを曳くオートバイ、バイクタクシー、荷車を曳くオートバイなどなど。その中で目を引いたのは、子どもたちを乗せたオートバイでした。写真のオートバイには、運転席の前と後ろに2人の子供が乗っています。
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子供を乗せて母親が運転するオートバイの写真を拾い出して掲載してみました。女の子が後ろからしがみついている運転手の女性は、彼女の母親のようです(左写真)。小さな赤ん坊を左手に抱えたまま、右手でオートバイを運転していく女性(母親)も見かけました(右写真)。
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下の写真の女性も、息子を学校へ送り迎えする母親でしょう(左写真)。ヘルメットをかぶった母親と女の子が停めたオートバイのそばに立っているのが見えました。警察官の姿も見えたので、通学途中でハプニングが起きたようです(右写真)。
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子供たちが通学する際の送り迎えに、バイクタクシーも利用されているようです。児童数に対して学校が不足しているシェムリアップでは、朝の部、昼の部に分けた二部制で授業が行われています。子どもたちの送り迎えも、それに合わせて午前と午後おこなわれています。
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母親が女の子を乗せているようにも見える下の写真2枚も、、女性が運転するバイクタクシーかもしれません。
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オートバイは、家族のレジャーの一端をも担っているようです。家族でバイクを楽しんでいる様子も、何か所かで見られました。
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男子学生(左写真)や、女学生(右写真)のあいだでも、オートバイ通学が行われていました。
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下の写真は、ロハール村の中をオートバイで走る少女たちです。
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オートバイを運転するには運転免許証が必要ですが、自転車に乗るような気軽さから、カンボジアでは免許を取らずに乗っている人も多いそうです。(カンボジアには270万台のバイクがありますが、免許を持っているのは16万人に満たないそうです。)

*追記(2016年10月)フンセン首相は、 2016年1月6日よりバイクの運転免許(A1カテゴリー)を不要とする省令(政府の命令)を作成

写真/文 山本質素・中島とみ子

トゥクトゥクと広告

シェムリアップの市街地や遺跡周辺では、たくさんのトゥクトゥクが走っています。*シェムリアップ市情報 /位置:アンコール・ワットの6km南 /人口:市域171,800人(2009現在)
’トゥクトゥク’と呼ばれているこの乗り物は、クメール語では、荷車を意味する「ローモア・モト(ルモー・モトともいう)」といいますが、観光客にわかりやすいように、タイ語の’トゥクトゥク’を一般的な呼び名として使っているということです。
以下の写真4枚は、アンコールワット前広場で撮影したトゥクトゥクです。午後2時15分ごろ、観光客を乗せたトゥクトゥクが広場に集まってきていました。
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観光客を降したトゥクトゥクのほとんどが、駐車場やその付近に停まっていました。観光客と往復契約をしているものや、1日チャーターされているものなどが多いためです。
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観光客が、自分のトゥクトゥクを見分けるのに役立つのが、座席の後ろに付けられた広告です。
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多くのトゥクトゥクが、後ろに様々な広告を掲げていました。
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トゥクトゥクは、進行方向に向いて座る大きな座席と、向かい合わせに小さな座席がついています。下の写真では、運転手らしい人が前の座席に足をかけて休んでいます。基本的には2人乗りと思われますが、4人が座ることを想定しているのかもしれません。色やデザインは少しずつ異なっていて、屋根が運転席まで張り出したものもありました。
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オートバイを外したトゥクトゥクは、下の写真のような状態で置かれていました。
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カンボジアの国旗を掲げて、「English & French Speaking Driver」 と座席に表記したトゥクトゥクが走っていました。19世紀のフランスの馬車を思わせるようなトゥクトゥクもありました(右写真)。
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観光地化が進み始めた15年位前から、オートバイで曳く’トゥクトゥク’になりましたが、フランス植民地時代には自転車で曳いていたそうです。それ以前のカンボジアでは、牛が曳く荷車が行き交っていたことでしょう。

写真/文 山本質素・中島とみ子

バイクタクシー

前回、物流を担うオートバイを紹介しましたが、今回はバイクタクシーを紹介します。バスなどの公共交通がないシェムリアップでは、通勤、通学、買い物などにバイクタクシーが大活躍しています。*シェムリアップ市情報 /位置:アンコール・ワットの6km南 /人口:市域171,800人(2009現在)
写真はタ・プロムホテルの2階から見た、朝7時頃の通勤風景ですが、後ろに女性を乗せた2台のオートバイが、営業中のバイクタクシーです。
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下の写真は、朝8時頃のマーケット前です。たくさんのオートバイが整然と並んでいました。ここは、市場で働く人たちの駐車場になっているのでしょうか。
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時間がたつにつれて、マーケットの前や市街地のあちらこちらに、客待ちをしているバイクタクシーが見られました。
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大きな荷物を持った人も、バイクタクシーは運んでくれます。
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バイクタクシーは、住民の足として、また観光客やお坊さんの移動にも使われています。
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シェムリアップ空港からホテル(中心地)までの料金は、タクシーで7ドル、トゥクトゥクで3〜4ドル、バイクタクシーで1〜2ドルということです。
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市街地には、店頭にオートバイを並べた店がいくつもありました。販売車両だけでなく、レンタル用のバイクも並んでいるようです。
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月給100ドルくらいの人が多いカンボジアで、日本製のホンダの新車バイク(125cc)の価格は1900ドル台、中古車は500ドル~800~1,000ドルくらいで販売されています。ちなみにサ―ルー市場で売られている自転車の価格は、中古自転車は40ドルくらいから、新品なら80ドルくらいです。オートバイ価格の高さが、バイクタクシーの利用を支えているのでしょう。

写真/文 山本質素・中島とみ子

オートバイ

シェムリアップの街では、オートバイが活躍しています。*シェムリアップ市情報 /位置:アンコール・ワットの6km南 /人口:市域171,800人(2009現在)
朝8時頃には、市場から野菜を積んで運んでいくオートバイを何台も見かけました。ちなみに、下右の写真でオートバイの前かごに見えるのは、空芯菜です。
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たくさんの野菜を、バイクタクシーで運んでいく女性もいました。彼女も、市場から野菜を運んでいくようでした(左下写真)。また、バイクにつけたサトウキビやウリ(?)を、そのまま市場で売っている様子も見られました(右下写真)。
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朝7時ごろには、野菜をや炭などを積み込んだ荷車をつけたオートバイも走っていました。運ぶ先は、ホテルやレストランなどかも知れません。
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8時半ごろ、薪を積んだオートバイが走って行きました(左写真)。DSC08204 DSC01100

午後1時半ごろ、大きなかごをつけた女性の運転するオートバイを見かけました。籠の中には商品が入っているようです。
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基本的には人の移動のために用いられるオートバイですが、シェムリアップの市街地では、市場からレストランなど店舗へ、食材などを運ぶのに使われていました。オートバイは、シェムリアップの物流にも、大きく貢献しているようです。

写真/文 山本質素・中島とみ子

シェムリアップの道路清掃

日中は30度を超えることの多いシェムリアップでは、早朝から人々が動き始めます。*シェムリアップ市情報 /位置:アンコール・ワットの6km南 /人口:市域171,800人(2009現在)
国道から入った脇道では、空のペットボトルの入った大きな袋を振り分けにした女性の自転車が通って行きました。そばの店の横には、洗濯をする女性がいました。朝7時ごろの光景です。
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7時20分ごろ、シェムリアップ川沿いの歩道に設置されているゴミ箱から、リヤカーのようなカートでゴミを集めていく人たちを見かけました。
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この時間、シャムリアップ川沿いのあちらこちらに、道路掃除する女性たちの姿がありました。
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道路掃除に彼女たちが使っていたホウキは、日本の竹ぼうきに似ていましたが、穂先は竹ではなくほうき草のようなものでできていました。
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タ・プロムホテル下の道路で、カートを押しながら掃除をしていた人が使っていたホウキは、シダでつくられた日本では道路ホウキと呼ばれているものでした。
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シダの道路ホウキは、自転車に積んで売られていました。
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8時を過ぎたころ、市街地の国道6号線でも清掃がおこなわれていました。緑のユニホームを着た女性たちが、路肩に置かれたゴミ箱からゴミを収集していく様子も見られました。緑のユニフォームを着用している人は、行政と契約したフランスの企業に雇われている清掃員と聞きました。
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店舗の前で、掃除をする若い女性たちがいました。左写真は午前8時半ごろ、右写真は午後2時ごろのものです。店員として働いていると思われる彼女たちが使っていたのは、カラフルな化繊の道路ほうきでした。
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午後5時少し前にも、男性が黄色い化繊のホウキで歩道を掃除しているのを見かけました。こうした化繊のホウキも、右下の写真のように他の掃除用品などと一緒に自転車につけて売られていました。
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午前8時頃のホテル街を、2台の荷車が通って行きました(左下写真)。前の荷車を引くのは母親と子供、その後を行くのは父親でしょう。前の荷車には、大きな袋に使用済みのアルミ缶やペットボトルなどが入っていると思われる大きな袋が積まれていました。午後2時ごろにも、荷車を曳いていく女性を見かけました(右下写真)。荷車の中には、使用済みペットボトルやアルミ缶など、日本で資源ごみとされる種類のものが多く積まれていました。
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観光客の増加に比例して、さまざまなゴミが増えているようです。

写真/文 山本質素・中島とみ子