家の改築とチューイ・クニア

ピエム村では、2006年からバンティアイ・スレイNGOの支援が始まっています。すでに紹介しましたが、左写真のコメの共同倉庫もバンテアイ・スレイNGOの支援活動として設置されたものです(2014年9月撮影)。共同倉庫のあるこの場所は、NGOのボランティアもしているドイさんの敷地で、左奥にはドイさんが所有する脱穀機の小屋があります。その奥に家族が住む高床式家屋があります。2014年9月に訪れた時は、コンクリートの柱の上に住居部分がありました(右写真)。元の高床式の床を高く持ちあげてコンクリート製の柱に換える改築は、専門家に頼んで5日間かかったそうです。4mほどの高さがあるコンクリート製の柱は、12本で400ドル。ドイさんの家には16本使われています。
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2015年9月に訪れると、ドイさんの高床式家屋の1階部分がレンガで囲われていました(左写真)。レンガで壁を造る作業は、親戚などに手伝ってもらって(チューイ・クニアで)2日間で出来上がったそうです。下右写真の男性が、ドイさんです。
ピエム村では、家を改築する際に手伝い合う仕組み「チューイ・クニア」が、現在でも多く行われていました。
クメール語のチューイは「助ける」、クニアは「お互いに」の意味で、あわせて「助け合うこと」「助け合い」になります。家を造るときだけでなく、結婚式、出産、葬式、祭(長寿の祝い、家の祭り)などの際にも行われる手伝い合いのことで、チューイ・クニア・タウィンは手伝いに「行く」こと、チューイ・クニア・タウマオは手伝いに「来てもらう」ことの意味です。 家を作るチューイ・クニアに行く人は道具などを持参し、一方、頼んだ家ではチューイ・クニアで来てくれた人に料理を用意します。
前回紹介したティエップさんが、1979年に家を造ったころは、木を伐ってきてヤシの葉で造る家だったので、姪や甥などの親戚や知り合いなどにチューイ・クニアで手伝ってもらい、10人以上の手伝いがあったので1日で仕上がったそうです。

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 CIMG6235改築には16本使った。残りは息子の家の改築に使う予定

2015年9月のピエム村では、コンクリート製の柱を使って床を高く持ち上げた高床式家屋をいくつか見かけました。左写真の家は、二階の住居部分に大きく張りだし部をつけていました。そして、右写真の家は、一階部分に大きな張り出し屋根を持ち、一部はコンクリートで囲ってありました。2枚の写真で高床式の家の左に見えるヤシの葉で壁面を葺いた建物は、炊事場のようでした。
ピエム村で、住居の改築が盛んに行われているのは、住居の新築がアプサラ機構によって規制されているためです。アプサラ機構は、遺跡周辺の環境を維持することを目的に、新しい住居や棟を作ることを厳しく規制しています。そこで規制区域内にある村々では(ピエム村も含まれます)、家族数の増加に対して、屋敷内にある小さな建物や家屋(居住していない小屋・炊事場など)を改築したり、高床式家屋の1階部分を囲って居住スペースを確保するなどの工夫をしています。
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チューイ・クニアはロン・ノル時代より以前から行われていた助け合いの慣行です。ポル・ポト政権下では全く行われなくなりましたが、ポル・ポト時代が終わると、村に戻ってきた人々が、既に壊されてなくなっていた自宅を再建するためにチューイ・クニアが盛んに行われるようになりました。現在でもチューイ・クニアを頼まれた時、それが大事なことであれば、2日間くらいは自分の仕事を休んでチューイ・クニアの依頼に答えることもあるようです。しかし、村内の働き手の多くが外に出て働くようになった2年前ころからは、チューイ・クニアを頼むことより、賃金を払って仕事をしてもらうことが多くなってきているそうです。

写真/文 山本質素、中島とみ子