ゴックトライ村長さんの家

赤土で覆われたアディゾンの工房前の道路から、東に分かれる道に入りました。ゴックトライ村を東西に走るこの道の両側には、村人の暮す屋敷が並び、その後ろには田が広がっていました。村長さんの家は、道路から左写真の横道を入った奥にありました。私たちが案内された建物は板張りの高床式家屋で、1階部分の入口付近にはタイルが敷かれていました。この場所で、村長としての仕事が行われているようでした。
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村長さんの屋敷の入り口で、子どもたちが遊んでいるのを見かけました。子どもたちは、2人1組に分かれてビー玉あてのゲームをしていました。写真右の少女の前に、ビー玉が並べられています。彼女が、レフリーの役目なのでしょう。
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庭の奥に、数棟の家屋が建っているのが見えました。そして、壁面をヤシの葉で葺いた家屋の前で、2人の女性たちが小さな子どもたちの子守りをしていました。村長さんの屋敷内には、数組の家族が一緒に住んでいるようでした。
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村長のスーソカンさんにお話を聞きました(左写真)。村長の役職は5年1期で、スーソカンさんは4期目。無報酬の名誉職ですが、村の代表として、調査や支援等への協力を行っているとのことでした。スーソカンさんの家では、村内にある1ヘクタールほどの農地でコメを作っていますが、村外のトンレサップにも農地を持っているそうです。タイルで張られた入口の奥には木製のドアが2つあり、1階部分も住居として使われているようでした(右写真)。
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鈴の音がしたので見ると、少年が2頭の牛を連れて田んぼの方から帰ってきたところでした。牛は鈴の付いた首輪をしていました。
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村長さんの家を後にして、村の道を東方向に5分ほどいくと、道沿いに食堂がありました(左写真)。その先には、集会所の建物も見えました(右写真)。
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集会所先の、道沿いの田んぼの中に樹木の苗が並んで植えられていました。その後ろには、国道6号線沿いの家々が見えています(左写真)。ゴックトライの村内を東へ進むと、水路に架かる橋がありました。橋のところで、自転車に乗った少女とすれ違いました。少女の家はゴックトライ村なのかもしれません。橋の先に、国道6号線が通っています(右写真)。
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この橋から東へ4㎞ほどで、国道6号線は、大きなホテルなどが立ち並ぶシェムリアップの市街地へと入ります。国道6号線の南に位置し、アプサラゾーン2に指定されているゴックトライ村にも、そう遠くない将来、観光開発の波が押し寄せてくるのでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ゴックトライ村

ゴックトライ村は、西バライの南西にある村で、2000年にアプサラゾーン2に指定されています。アプサラゾーンが記載されている地図を、再掲しました(左写真)。白地に赤い網掛け部がゾーン1(Monumental Sites、 遺跡地区)、黄色地に赤い斜線部がゾーン2(Protected Archaeological Reserves、考古埋蔵物保護地区)、そして、白地に黒の網掛け部はゾーン3(Protected Cultural Landscapes、文化的景観保護地区)ですゴックトライ村の位置を確認するために、左地図の西バライ南西部を拡大しました(右写真)。右の地図のほぼ中央から西、ゾーン2の範囲に、ゴックトライ村はあります。左上から斜め下に通っている黒い線は国道6号線です。
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水門の脇で、自転車に乗って遊んでいる子どもたちを見かけました。この水路は、西バライ排出口からの水が国道6号線を越えて3本の流れに分かれたうちの1つで、6号線に沿って北西に流れている水路です。右上の地図では、6号線から南南西へ出ている道が、ゾーン1からゾーン2に入るあたりになります。ゴックトライ村は、この道の東側に広がっています。
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水門の場所から、少し南へ下ったゴックトライ村の風景です。道路沿いに立つ高床式家屋の後ろには、田が広がり、オウギヤシの木も見えました。ゴックトライ村には、2012年12月時点で、 家数185軒、220ファミリー(人口1,080人)が農業を生計として暮らしています。
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道路沿いには電柱が立ち、電線が引かれていました。電気の使用料は、民間で1キロワット1,100リエル、国は800リエルなので、今は国の電気を引いている家が多いようです。新築している家も見かけました。ゾーン2の地域でも建物規制があり、以前からある建物の修理は許可されますが、結婚したときであっても家を新築する許可は下りないそうです。ただし、この規制は屋根の数で数えているので、この家もそうした範囲での建築なのかもしれません(左写真)。右写真は、道路沿いに見えたネアクタですが、たくさんの文字が書かれていました。
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ゴックトライ村に小学校はありませんが、支援によって近隣にいくつも小学校が造られているので、隣村(2㎞ほど先)とチェイルの小学校のどちらかを選択して通学できるそうです。文房具等は、村の子どもたちにも無償で提供されています。DSC07863

1995年頃には、アンコール・ワットの修復の手伝いに行っていた村人もいましたが、今はいないそうです。近年では町での仕事が増えていて、村からシェムリアップのホテルやレストランへ働きに行く人は20%くらいになっているそうです。村の人口は、増加傾向にあるとのことでした。右写真は、道路沿いに見えた「EMERGENCY ASSEMBLY POINT(緊急時避難場所)」の立て看板です。この奥に、村の工房がありました。
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工房は、フランスのNGOアディゾンの支援で建てられたもので、20人ほどの村人が働いているそうです。入口の上には、ARTISANS ANGKORの文字とロゴが見えました(左写真)、そして、中で機織りをしている女性も、同じロゴと文字の描かれたTシャツを着ています(右写真)。
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工房と道を挟んだ西側の家に、人の姿が見えたので立ち寄らせてもらいました。庭に、床の土台が組み立てられていましたが、後ろに見える高床式家屋の1階を住居スペースとして改修するようです(左写真)。少し先で、ミシンを小屋の前に持ち出して、作業をしている少年がいました(右写真)。
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下写真で、家の改築工事が行われていたのが、道路を挟んで手前が、アディゾン工房の敷地です。水門のあった場所から南南西に延びるこの道路は、近年整備されたらしく、赤土で覆われていました。
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赤土の道路を南へしばらく行くと、東へ入る道路があります。この道路は古くからの村の道らしく、脱穀された稲わらが屋敷内や田の中に積まれている光景なども見られました。この道の南、そして北にゴックトライ村の田んぼが広がっています。
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村内に広い田を持つゴックトライ村ですが、50㎞先のプノンボック近くに、補充用の土地が用意されているそうです。村長さんの話では、「あちらはまだジャングルだし、生まれたところを離れたくない等の理由で、これまでに移った人はいない」そうです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ドーン・ケオ地区長事務所

2014年9月4日に、ドーン・ケオ地区長事務所を訪れました。地区長事務所の建物は、他の地区長事務所と同じ形をしていました。地区を定めたのは、フランスの植民地時代からのことで、今まで続いています。ドーン・ケオ地区は13カ村からなり、2837家族、14573人(うち女性は7586人)が住んでいます。DSC06841

カンボジアの地方行政のシステムには2系列があります。一つは、「州 (khet,province) -郡 (sork,district) -町 (khum,commune)」 、他の一つは、「特別市 (krong,municipality) -区 (khan,district/section) -地区 (sankhat,commune/quater)」 という系列です。州と特別市とは同格。町及び地区(町と地区とを合わせて、以下「町等」という)は、2001年3月の「町・地区行政運営法」及び「町・地区選挙法」に基づき設置された自治体です。町等は厳正拘束名簿式比例代表制直接選挙により選ばれた評議員からなる評議会が置かれ、条例 (decca) を制定するとともに、評議会議長(第1党が候補者名簿の最上位に置いた候補者)が事務を統括します。町等の主たる事務は住民間の紛争の調停や開発計画の策定であるとされます(参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A1%8C%E6%94%BF)なお、町や地区の下に位置する村 (village) という組織は、現時点では憲法上の設置根拠を有していないそうです。
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ドーン・ケオ地区長事務所に地図がありました。左写真はドーン・ケオ地区の範囲を示す地図で、中央を横切っている道路の左端に二重丸に見える印が見えますが、そこが地区長事務所です。すでに紹介したピエム村の地図も、地区長事務所で見せてもらったものです(右写真)。地区事務所には、ユニセフの援助、要請で2012年から作りはじめた各村の地図があります。各村の地図は、毎年作り直しされているそうです。地図に見るように、2008年から各家番号が付けられましたが、配達制度のないカンボジアでは、郵便物はまだ各家へは届きません。
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2014年12月に再び訪れたドーン・ケオ地区長事務所には、2組の来訪者がいました。手前の2人は、結婚届を出しに来た男女(左写真左)、そして、もう一人は独身証明書をもらいに来た男性でした。ジーンズに黒いジャンバー姿の男性です(左写真中央)。
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戦乱で住民登録台帳が失われてしまったカンボジアでは、子どもが生まれても出生登録を出せない状態が続いていました。カンボジア政府は2002年に、全国民には住民登録を、新生児には出生登録を義務付ける法案を可決しました。そして2005年8月までに終えることを目標に登録のキャンペーンが始まりましたが、2006年になってもまだ34%もの住民が登録を終えていないそうです(参照:http://www.bs-tbs.co.jp/genre/detail/?mid=KDT0603200 )
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地区長事務所の道路を挟んだ東側に、資料館がありました。
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現在の地区は、フランス植民地時代に区割りされたものですが、地区内で暮らす人々の住民登録台帳は、内戦時代に失われてしまいました。地区内の地図や住民登録台帳を新たに作成することから始まる地区長事務所の仕事は、やがて地区の人々の生活を把握し、開発計画へと結びついていくことになるのでしょう。
地区長事務所や資料館が、その地域の人々が暮らす歴史の営みを大切に保存していくことの大切さを感じます。

写真/文 山本質素、中島とみ子

副村長さんの家

3日目のアンケートは、小学校から500mほど東にある副村長さんの家で実施しました。副村長さんの家に続く道沿いと屋敷内には、次々に自転車が停められていきました。村内277家族を3つに分けたグループは、居住場所によるものではなかったので、村の西に住む人たちも、村の東端の副村長さんの家までアンケートを受けに来ていました。写真のたくさんの自転車は、そうした人々が乗ってきたものです。CIMG1802

副村長さんの家では豚を飼っていました。豚小屋では、まだ生まれて間もない子豚10頭ほどが、ワサワサと動き回っていました(左写真)。隣の囲いにいたのは親豚です(右写真)。
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吊るしてあったたくさんの小さい籠は、カエルを捕まえるためのもの籠です(左写真)。屋敷内にはふたをした井戸とその横にポンプが設置されていましたが、その周りにも自転車が停められていきました。自転車の中には、NGOから支援されたものも少なくないのでしょう(右写真)。
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この日、 副村長さんの家でアンケートに回答してくれたのは70人くらいでした。そのうち半数近くの人たちが自転車に乗ってきたようです。副村長さんの家の、コンクリート製の柱で支えられた高床式家屋の1階で、アンケート用紙の配付・回収を行いました(左写真)。そのほかにも、屋敷内には、数棟の平屋の建物があり、右写真には、布製の赤い帽子と、隣に白い帽子が掛かっているのが見えました。赤い帽子は、周りにつばのついた女性用のハットで、白い帽子は野球帽のような男性用のキャップでした。
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この日、アンケートのために集まってくれた人々の中にも、帽子をかぶった人たちが多く見られました。CIMG1797 CIMG1792

シェムリアップ近郊の村々で農作業をしていた人々の多くは、ノンラー(ベトナムの三角帽子)のような帽子をかぶっていましたが、ここピエム村では、田植えや稲刈りの際にも、布製の帽子をかぶっている姿をよく見かけました。布製の帽子は、ドーン・ケオ地区に入っているNGOから、村人への贈り物なのかもしれません。
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アンケート用紙を提出する際、その人の名前を書いてもらう作業があります。自分で書き込んでいく人もいましたが(左写真)、多くの人は、ガイドさんに名前を伝えて書いてもらっていました。ガイドさんがその場所を離れているときなどは、家族と一緒に来た小学生が、名前を書き込んでいきました(左写真)。右写真の少女は、小学校5年生でしたが、ガイドさんに代って何人もの名前を代筆してくれました。彼女は、「クメール文字の形が好き!」といって、しっかりとした文字で紙に名前を書き込んでいました。CIMG1796 CIMG1818 - コピー

3日間にわたるアンケート調査は、ピエム村の277世帯のうち、合計220人以上の人たちに協力していただきました。アンケート会場で印象的だったのは、読み書きを手伝うために家族に付き添って来た小学生たちの姿でした。中でも、クメール文字の形が好きと言って、私たちの前で堂々と文字を書いてくれた少女の姿は、文字を学ぶことの素晴らしさを、私たちに思い出させてくれました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

コメの共同倉庫

ピエム村小学校の150mほど南西に、コメの共同倉庫があります。左写真の地図で、右上の赤い屋根が小学校で、中央に記されている赤い建物の印がコメの共同倉庫です。この共同倉庫は、2006年から村に入っているバンティアイ・スレイNGOの支援によって、2008年に建てられました。右写真は、共同倉庫の入口付近です。掲示板の横の男性は、田植え作業の手を停めて、私たちを案内してくれた村長さんです。掲示板には、バンティアイ・スレイNGOのドーン・ケオ地区での活動報告でが貼られていました)。
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左写真の、トタン屋根に壁面を板で囲った高床式のこじんまりとした建物が、ピエム村のコメの共同倉庫です。NGOは、コメを購入して倉庫にしまっておき、それを政府登録カードを持っている貧困家族に安く売ります。コメの購入代金は、3か月後まで支払いが猶予されます。そして、NGOは、支払われた代金でまたコメを買い、それを倉庫にしまっておきます。利益がたまると、自転車などの支援をおこないます。村に来るバンティアイ・スレイNGOのスタッフはカンボジア人で、女性のスタッフが9割を占めています。
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倉庫の右隣には、精米機と発電機が置かれている小屋がありました。ちょうどこの時、1人の男性が精米の作業をしていました。
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共同倉庫の奥には、2棟の高床式建物がありました。その1棟は、長いコンクリート製の柱を使った板張りの高床式の家屋です。そして入口の横には、ヤシの葉で壁面を葺いた建物も見えました(右写真)。以上7枚の写真は2014年9月3日に撮影したものです。
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2014年12月のピエム村での2回目のアンケート調査を、この共同倉庫で実施させてもらいました。以下の写真は2014年12月24日に撮影したものです。
アンケート調査に協力するために集まってくれた村の人たちは、順々にビニールシートの敷かれた木陰にきちんと坐って待っていました。この場所は、共同倉庫ができた2008年から、ピエム村の集会所としても使われています。
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アンケートの調査協力員の人たちは、2日目のコメの共同倉庫にも手伝いに来てくれました。ビニールシートに座った村人たちは、彼らの説明を聞きながら、アンケートに答えていました。
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一緒についてきた小さい子供たちは、思い思いに遊んでいました。彼らがいる左写真の場所は、コメ倉庫の入口付近の建物の前で、そこには、長さ4m以上もあるコンクリート製の柱が置かれていました。どちらかの小屋の改築が予定されているようです(左写真)。子どもたちは飴をもらっています(右写真)。
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アンケートは無記名で行われますが、提出の際に別紙に名前を書いてもらいました。ほとんどの人は自分の名前を書くことができるようですが、恥ずかしがったり、時間がかかったりする場合には、ガイドさんが名前を聞いて書き取っていきました。
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多くの女性たちは、伸ばした髪を後ろで束ねていましたが、髪を短く整えている女性もいました。
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ピエム村で実施したアンケートは、カンボジアの人々の幸福に対する感じ方を調査するものでした。ピエム村の村長さんの話では、NGOが村に入るようになって、いちばん変わったのは貧困家庭の生活と村の雰囲気だったようです。かつては、家族内の夫婦喧嘩や、子供をいじめたりすることも見られましたが、NGOの活動によってそうしたことが減り、村全体の雰囲気も穏やかになったということです。「初めは女性を守るために活動してくれたが、これからは男性も守ってもらう」と笑いながら話してくれた村長さんの言葉には、NGOに対する信頼が感じられました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

村長さんの家

2014年12月にピエム村で、アンケート調査を実施させてもらいました。ピエム村には277家族、1606人が暮らしています。アンケートは、村の3ヵ所(村長宅、コメの共同倉庫、副村長宅)で、3日間(12月23日、24日、25日)に分けて実施しました。
今回は、アンケー調査初日の様子を紹介します。場所は、村の小学校から約300m北西にある村長さんの家の庭です。左写真の8人の人たちは、アンケート調査に協力してくれた村の人です。アンケートについての説明をした後、村民の人たちの前に、アンケートに回答してもらいました(右写真)。
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調査協力者がアンケート用紙に記入している間に、村の人たちが次々に集まってきました。子どもたちも一緒に来ているので、庭は人でいっぱいになりました。庭にゴザも敷かれました。
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高床式家屋の階段とその周りに集まっている人の中に、村長さんの奥さんの姿も見えました。その向こうの棟の下屋掛けの下に坐っている人は、村長さんの家族なのでしょう。
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集まった村の人たちにもアンケート用紙が配られていきました。調査協力者は、村人の輪の中に入り、村人の質問等に答えていました。カンボジアでは、クメール・ルージュの時代に教育が禁止されました。その影響もあって、ピエム村でも、中高年の人の中には文字を学んでいない人もいます。調査協力者は、そうした人たちが回答するための手伝いを依頼しました。
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集まった人たちは、屋敷内にいくつかの輪を作っておしゃべりをしたりしながら、にぎやかにアンケート用紙に書き込んでいました。
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庭の一画から、大きな笑い声が上がりました。見ると、ネアクタのような小さな小屋の中に、幼児が入って坐っていたのでした。その周りにいた人たちは、楽しくて仕方がないという様子で見ていました。
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母親が連れ出そうとしますが、幼児は出たがらないので、しばらくそのまま置いておくことにしたようでした。この小祠は、ネアクタを祀るためのもののようですが、村人が幼児に注いだ温かい視線は、土地の精霊であるネアクタの姿を幼児に見ているためでしょうか。
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左写真は、村長さんの家です。壁面をヤシの葉で葺いた高床式の住居の右側の欄干に、2羽の鳥がむかいあった模様が彫られているのが見えました(右写真)。村長さんに聞くと、「この家屋は3日ほどで建ったけれど、この模様を彫るのに大変時間がかかった」とのこと。村長さんは闘鶏が趣味のようでした。CIMG1508 CIMG15082

屋敷内には鶏小屋があり、中には、見事な羽を持った鶏が飼われていました。以前(2009年3月31日)に、フン=セン首相が演説の中で、闘鶏の賭博を禁じたそうですが、闘鶏本来の目的は賭博ではなく、鶏の品質向上にあるとして、闘鶏自体は禁じないことを強調したそうです。(参照:http://cambodiawatch.net/cwnews/shakai/20090401.php
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アンコール・トムの中にあるバイヨンには、闘鶏の様子がレリーフに残されています。左のレリーフは、偉い人の前で闘鶏の鶏を抱えて座している人たちが、右のレリーフには、闘鶏の場面が彫られています。
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カンボジアの闘鶏は、テレビで毎週放送されるほどの人気番組になっています。アンコール王朝時代から、闘鶏はカンボジアの人々の楽しみとして受け継がれているようです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ピエム村の家屋

村長さんが案内してくれた下写真の住居は、屋根や壁面がヤシの葉で葺いてありました。大きな高床式家屋の全面を、ヤシの葉で葺いて維持するのは大変なことだろう、と思いながら見ると、家のそばにヤシの木があり、たくさんの葉が生い茂っていました。木の棒で作られた張り出し屋根の下には、鍋やザル、ポリバケツなどが置かれていました。
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その張り出し屋根の上に、小さな太陽光パネルが設置されていました(左写真)。このパネルは、NGOの支援品目の1つで、この家も、支援を受けて設置したようでした。廻り込むと、若い女性が土間を掃いていました(右写真)。
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1軒の屋敷内を通らせてもらった時、初老の夫婦にあいました。女性が坐っている台の下には、たくさんのまきが積まれ、奥の方には、伐り倒した木材が見えました(左写真)。また、この家には木材で作った木組みの道具がありました(右写真)。日本でもこのような仕組みで精米していた時期があったので、これは、精米のための装置のようです。
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シェムリアップ近郊の多くの村と同様に、ピエム村でも1つの屋敷内に3棟ぐらいの家屋が建てられています。屋敷内には、ヤシの葉を使った家が多く見られました。それらの家屋のうち、ヤシの葉で屋根や壁面を葺いてあるものを以下に載せました。
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ある屋敷の中で、少女が土饅頭を作って遊んでいました。周りには、子犬や鶏が寄ってきていました。DSC07703

少女は、私たちに気づくと、屋敷の奥の方へ歩いて行きました。子犬たちも少女の後をついていきました(左写真)。屋敷の奥には、長いコンクリート製の柱を使った板張りの高床式家屋が建っていました(右写真)。
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3~4mのコンクリート製の柱を持つ高床式家屋は、村内の何か所かに見られました。ピエム村の東南に位置するコック・ソノット村でも、こうした長いコンクリート製の柱を持つ高床式家屋がありました。それらの多くが、外壁を板張りにしていました。
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アプサラ機構によって、アンコール遺跡の保存のために指定されたアプサラゾーンの地図を再掲しました。白地に赤い網掛け部がゾーン1(Monumental Sites、 遺跡地区)、黄色地に赤い斜線部がゾーン2(Protected Archaeological Reserves、考古埋蔵物保護地区)、そして、白地に黒の網掛け部はゾーン3(Protected Cultural Landscapes、文化的景観保護地区)です(左写真)。一部ピエム村付近を拡大したものが右写真で、ピエム村を含む西バライ左上(北西)は、赤い網掛けのゾーン1に指定されていることがわかります。
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アプサラゾーン1に指定されているピエム村では、家を新しく建てることは禁止されていますが、改築はしてもよいそうです。高床式の1階部分を覆って、住居として使っている家々が見られました。
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カンボジアでは、結婚すると妻の家に住むことが一般的ですが、ピエム村では、結婚した娘夫婦のための家屋を新築することができません。そのために、夫方か妻方かのどちらかに、住むための家屋がある方に、一緒に住んでいるそうです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ピエム村の店

ピエム村には、前回紹介した小学校西隣にある店の他にも、小学校の東を南北に走る道路沿いに、数軒の店を見かけました。 以下3枚の写真は、小学校の前の道路が、南北に通る道路に行き当たった場所にある店です。住居の一階部分が店になっていて、アコーディオン式に開け閉めできる戸が右端に付いていました(左写真)。店先にはガソリンを入れた瓶が並び、ガソリンを入れるためのジョウゴも置かれていました。よく見ると、瓶はすべて、「JOHNNIE WALKER BLACK LABEL」のラベルのものでした(右写真)。
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午後4時ごろに店に行くと、中には2人の少年を含む5人の人たちがいました。テーブルに坐っていた男性は、「仕事が休みなので、食事をしながらビールを飲んでいます」と話してくれました。彼の前には缶ビールのほかに、卵の殻やどんぶりがありました。店の中に渡された棒には、パンや菓子などが吊るされ、右奥にはジュースやたばこが並んでいました。
少年の左側、店の奥に、ディスプレイとバッテリーが置かれているのが見えました。ピエム村には電気が引かれていないので、バッテリーでカセットビデオを見ているのでしょう。
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上の店から少し北の道路沿いにも、店があります。店内は、前の店と同様に、渡した棒に商品を吊し、その下のテーブルで食事ができるようになっていました。店の前にはトタン板の張り出しがあり、棒で支えてありました。その棒を外すと、トタン屋根が下りてきて、シャッターのように店を閉めるようになっていました。
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この店にも、白菜、キャベツ、タマネギ、ニンニクなどの野菜が見えました。ピエム村では、野菜は自家用として栽培しているだけです。店に並ぶ野菜は、村外から仕入れてきたものなのでしょう。これらの野菜は、訪れる客に提供する食事の材料として使われ、また、村人にも売られているようです。野菜の上に渡された板に、味の素の袋や、ビニールの袋に小分けした調味料や調理油が吊るされていました。そして、この店でも瓶やペットボトルに入れたガソリンが売られていましたDSC07738

店の前にバイクが停まりました。店の女性は、慣れた手つきでジョウゴをバイクのタンクに差し込み、ペットボトルのガソリンを入れ始めました。男性はヘルメットをかぶっていたので、バイクタクシーなのかもしれません(左写真)。この店の家族らしい女性が、店の横にあったバイクを表に持ってきました。車体には「HONDA」と書かれていました。日本人の私たちに、日本のバイクを見せてくれたのかもしれません。
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さらに北側に行ったところで見かけた店にも、道路沿いにガソリンの棚が置かれていました(左写真)。右写真のガソリンの棚は、店ではない家の塀の外に置かれていました(右写真)。
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プノンペン市内のガソリン価格は、最近まで5100リエル/リットル程度(約1.275ドル:約149円)で高止まりしていました。これに対し、キエット・チョン副首相、商業省、経済財政省は、2014年11月19日に石油関連企業9社を呼んで会議を開催しました。その後、市内のガソリン価格は、ソキメックス、PTT等では4700リエル程度まで、約8%程度下落しているそうです(参照:http://blog.goo.ne.jp/economistphnompenh/e/b708dd9e2f7bf6a9ae41480b9b47c1f1
ちなみに、日本のガソリン全国平均は、2014年11月時点で159円でしたが、2015年2月2日現在、132円ほどになっています。

写真/文 山本質素、中島とみ子

夏休みの小学校

2014年9月、ピエム村の小学校に生徒の姿はありませんでした。2学期制が採用されているカンボジアでは、10月から新学年が始まり、1学期は10月~4月上旬、2学期は4月下旬~7月で、8月~9月は夏休みになります。私たちが訪れた9月は、ちょうど夏休みの期間でした。
カンボジアの小学校では、学期中は毎週の日曜日のほかに木曜日が休みと決められています。町の小学校では、木曜日に先生を雇って勉強をさせているところもあるようですが、ピエム村では、木曜日は先生と子供たち全員で学校の掃除をする日になっています。
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校庭の一画に、コンクリート製のテーブルとイスが設置されているのが見えました。真ん中に生えている木が大きく枝を広げて、涼しそうな木陰をつくりだしていました。ピエム村に集会場はありません。2008年に共同倉庫ができる以前は、小学校で村のミーティングが行われていたそうです。この場所は、生徒たちだけでなく、村の人々も集まる場所になっていたのでしょう。また、小学校の校庭では先祖の祀りなど、村の行事も行われていました。DSC06354

小学校の塀の外に、牛と女性が見えました(左写真)。牛は、杭に廻らした有刺鉄線につながれて草を食べていました。ピエム村には600頭の牛が飼われています。前回、12月の稲刈り後の田へ向かう牛を紹介しましたが、9月の田植え時期には牛を田に放せないため、学校の周りの草を牛に食べさせているのでしょう。小学校を眺めているこの女性も、ピエム村の小学校で勉強をしたのでしょう。
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小学校の西隣で、兄弟らしい2人がハンモックで遊んでいました。周りには、小学校へ上がる前の小さい子供や、低学年と思われる子がいました。ここは店になっていて(左写真)、その前には、食事のできる場所がありました(右写真)。
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食事をする場所の屋根の下に、日本の七夕飾りのような赤い紙飾りが吊るされていました。シェムリアップ市内では、店舗の前の赤い提灯を見かけますが、これは魔よけや商売繁盛のために飾られているようです。小学校の学期が始まると、店やこの食堂にたくさんの生徒たちが出入りするのでしょう。DSC063641

学校の前の道を、苗を積んだ牛車が東へ向かっていきました(左写真)。村の東に広がる田の脇では、少年が自転車で遊んでいました。後ろの田で、家族が田植えをしているのかもしれません(右写真)。
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小学校が夏休みのこの時期、村のあちらこちらで子どもたちを見かけました。左写真の、小さい子供の面倒を見ながら遊んでいる彼らは兄弟姉妹なのでしょうか?家の中から、私たちに挨拶してくれた4人の子供たちも兄弟姉妹でしょう。
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カンボジアでは、1家族に5人くらいの子どもがいるそうですが、年上の子供が下の子を子守しているのをよく見かけました。小学校高学年の子どもたちは、手伝いや遊びながら子守をしていました。
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ピエム村は、ポーク郡ドーン・ケオ地区に属しています。ピエム村に中学校はないので、小学校を卒業した子供たちは、ドーン・ケオ地区中学校へ行きます。一部の人はポーク郡中学校へ行きます。ポーク郡中学校は小学校・高校が一緒にあるそうです。2012年には、ピエム村から2人が高校へ進学したそうです。

写真/文 山本質素、中島とみ子