僧坊の図書室2014

ロレイ祠堂の裏側(西)には、図書室や勉強する教室が造られていました。左写真で高い場所に僧侶が見えますが、ここは前回紹介した改修中の僧房、高床式の2階です。そして、写真左に見える白い壁の建物が図書室、奥に見えるスダレで覆った建物が教室です。DSC07947教室へ

図書室の入口に置かれた椅子には、小さな見習い僧が座っていました(左写真)。その横に安置されていた仏陀像の表情が、とても穏やかに見えました(右写真)。
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入り口ドアの上には、クメール文字の下にLIBRARYと英語の表記もありました。ドアを開けると、天井から下がっているたくさんの飾り物が目に入りました(左写真)。書棚には、多くはありませんでしたが、様々な本が並んでいました(右写真)。
DSC07949図書館 DSC07952

『地球の歩き方』、『みんなの日本語』なども見えました。その前に置かれていたクメール文字の本の表紙には、アプサラの踊り手と日本人形が描かれていました(左写真)。絵本もありました(右写真)。
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電気の配電盤から引かれたコードは、私たちが節電タップと呼ぶコンセントにつながれています(左写真)。電気は、本棚の一画に置かれたパソコンやプリンターにつながれていました(右写真)。 図書室は、書籍を日差しなどから守るためでしょうか、窓はありませんでした。
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図書室の建物の隣には、風を通すために大きく開けられた開口部と、日差しを遮るためのすだれをかけた教室がありました(左写真)。教室には、生徒の姿はなく犬が1匹、机の上でのんびりと外を見ていました(右写真)。
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ホワイトボードのある教室の前では、先生が座っていました。英語の授業が行われた後らしく、ホワイトボードには、英語が書かれていました(左写真)。教室には、世界地図や歯の健康についてのポスターがかかっていました。

DSC07965教室 DSC079671 - コピー (2)

階段を下りたところにも、教室らしい建物が見えました。
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カンボジアでは 、学校を開いている寺院が多くあります。僧侶は、学識と信仰とを併せ持っている存在で、村の人から敬われる存在です。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ロレイの僧坊2014

ロレイ祠堂の南側には、ロレイ寺院の本堂がありましたが、北側にも、何棟もの建物が見えました。一般に、ヴォアットと呼ばれる寺院には、特別な儀礼的行為によって定められた浄域をもつ「布薩堂(vihear)」、最も大きく、使用頻度が高い「講堂(sala chhan)」、僧侶たちが生活する「僧坊(kot)」などがあります(参照:http://www.cias.kyoto-u.ac.jp/files/pdf/project/Mapping_Practices_NL_3.pdf)。写真中ほど大きな建物が、講堂かもしれません。その左の白壁の建物は、村人が聖水をかけてもらう階段があるので、布薩堂のようです。そして、僧坊は、僧侶や見習い僧などが起居する建物です。
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左写真の階段が、祭りのときなどに、村人がひざまずいて頭から聖水をかけてもらう場所になっています(左写真)。階段の上には聖水を入れるバケツや甕が並んでいて、その奥に大きな太鼓が置いてありました(右写真)。この儀礼は、もともとは、新年を迎えるときに、聖水を掛け合って幸運を祈るヒンドゥー教の行事でしたが、それが仏教にも影響を及ぼし、さらに、祈祷信仰として人々の間で広まっていったようです。
DSC07995祭りのとき村人がこの階段にひざまずき頭から聖水をかけてもらう DSC07996聖水を入れる甕

ロレイ祠堂と布薩堂の間を入っていくと、見習僧たちが椅子に坐ってくつろいでいました。その前を小さい女の子が走っていきました。時間は、10時少し前でした。ちなみに、ワット・ポーでの僧侶の一日は(遠藤宣雄、2002、2003年調査)、4時に起床、4時から6時が祈祷、6時から7時まで托鉢(バン・バッ)に歩きます。そして、7時から7時30分に朝食、その後、11時までは自学自習の時間。そして、昼食が11時から12時、その後14時まで仮眠あるいは自学自習で、19時から20時に祈祷、22時に就寝となっています。それから推し量ると、私たちが訪れた時は、昼食前の自学自習の時間にあたるようでした。左の建物は、食事の場で、その奥に炊事場があります。
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左写真は、僧侶たちが食事をする建物です。その入り口に、観光客に、僧侶の食事への寄付を求める箱が置かれていました(右写真)。そこにいた高齢の男女は、寺の庇護を受けながら雑用を手伝っているのでしょう。
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食事場(左写真右隅)を含め、左写真に写っている建物群が、僧坊として使われているようでした。手前の平屋は、前回(2013年9月)にはなく、最近建てられた建物のようです。奥の高床式建物は、改修中で、その建物の下で、小さな見習い僧が数珠を作っていました(右写真)。
DSC07992 DSC07943数珠を作っている小さい僧侶

僧坊を案内してくれたのは、左写真の黄色い僧衣の僧侶でした。彼は英語の先生をしているそうです。階段で会った若い僧侶が、手首に幾重にも数珠を巻いていました(右写真)。数珠は、念仏の回数を数える時に珠を爪繰(つまぐ)る目的などに用いられています。
DSC07946 DSC07945右英語の先生

一段低くなった場所に井戸があり、周りにたくさんの僧衣が干してありました。洗濯場なのでしょう(左写真)。そして、野菜が植えられている畑も見えました(右写真)。
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見習い僧が2人、草掻きをしていました。カンボジアには雨季と乾季の別はありますが、年間を通して高温多湿な気候です。僧坊での暮らしの中で、雑草取りは欠かせない仕事の1つなのでしょう。木陰では、影絵の革クラフトを制作する少年たちがいました。
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ロレイ祠堂は、こうした僧坊で暮らす見習い僧たちによっても護られていました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ロレイの寺院2014

ロレイ寺院は、ロレイ祠堂の建つ丘の南側にあります(左写真)。寺院の屋根は、カンボジアの他の寺院同様に飾りが付けられていました。ガイドさんの説明では、屋根の下の飾りは竜の頭を象ったもので、屋根の上の飾りはヘビの尾を象っているそうです(右写真)。
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本堂の前に立つと、シンハ像や納骨堂の先に、1000年以上の時を経たロレイ祠堂が並び立っていました(左写真)。納骨堂の中には仏像が見えました(右写真)。
DSC08013本堂の横の墓・火葬後の骨壺を収める DSC08015右の墓の中

2014年には、本堂に立ち寄りました。左写真の手前にあるお知らせ板には、「Donation for Buddha /Contribution for Building」(仏への寄贈/建物への寄付)と書かれていました。奥に、1体の大きな仏陀像と8体の像が安置されていました。大きな仏陀像の顔は、カンボジア女性の顔に似ているように思いました(左写真)。壁面や天井にも仏陀が描かれていました(右写真)。
DSC08005本堂の中 DSC08011

仏像の後ろに、棺が置いてありました。この棺は、村の人が亡くなると寺から借りていき、葬式をするためのものです(左写真)。葬儀が終わると、葬列をつくって遺体を入れた棺を寺まで運び、荼毘にふします。一般的には、死後2~3日ほど経つと火葬しますが、偉い人になるほど火葬までの期間が長いそうです。ちなみに、シアヌーク前国王は、1年以上たってから火葬されました。右写真は、本堂の左奥にある、遺骨を入れたガラスケースです。近くで掘り出されたという、ポルポト時代の遺骨が納められていました(右写真)。
DSC08007お棺・村人が借りて葬式をする DSC08006本堂左奥ポルポト時代の死者の遺骨近くで掘り出されたもの

左写真に見える壺のようなものは、火葬後の骨を納める骨壺です。ちなみに、このような骨壺がプサールー市場でも売られていました。右写真は、子どもの墓です。ガイドさんによると、火葬するのは20歳以上の大人だけで、子どもは土葬されるそうです。
 DSC08016骨壺 DSC08019子どもの土葬墓

階段下にある土産物売り場の裏側にも、土葬の墓がありました。ガイドさんによると、この土葬墓は中国系の人の墓とのことでした。その横で、土産物売り場の増築作業が行われていました(左写真)。右写真は、土産物売り場の横に建てられている石像です。同じ形の像を、プノムクロムの寺院でも見かけました。
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土葬墓地は、観光客が訪れる土産物店の裏側にありました。写真の右側には、土産物が並べられた小屋が続いています。
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ロレイ遺跡を訪れる観光客は、アンコール朝初期の祠堂と併せて、現代の村の寺院と墓地、そして僧坊での僧侶たちの生活を目にすることができます。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ロレイ遺跡2014

ロレイ遺跡は、すでに「ロレイ祠堂2013」、「ロレイの仏教寺院2013」で紹介しましたが、今回は、2014年12月に撮影した写真で紹介します。
プサール―市場から国道6号線を11㎞程東に行くと、「LOLEI」の道しるべが見えてきます。この道しるべは2013年と同じでしたが、後ろに見える家屋の壁面には、新たにビールの大きな看板がついていました(左写真)。駐車場に着くと、バスから降りてきた観光客と一緒になりました。バスのフロントガラスに韓国語の文字が見えたので、韓国から来たようでした(右写真)。
DSC07896①ロレイ遺跡へ DSC08024

ココヤシが積まれた土産物売り場の中は、テーブルといすが置かれた食堂にもなっていました(左写真)。観光客を乗せてきたトゥクトゥクやバイクタクシーも停まっていました。その向こうに、土産用の帽子やスカーフをたくさん抱えた女の子たちが集まっているのた見えました(右写真)。
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祠堂へ登る階段の手前に、小屋があります。この小屋は、寺が管理する菩提樹の前に建てられた神の祠ですが、2014年12月には菩提樹は伐られていて、株から新たな枝が伸びていました(左写真)。祠の中をみると、仏像のレリーフやレンガのかけらなどが並べられていました(右写真)。
DSC07903お寺が管理する木(菩提樹)の神の祠 DSC07906

屋根裏には、五色の旗(左写真)や、飾り旗が吊るされていました(右写真)。
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祠堂の周りに廻らされた2段の石積は、創建当時に、インドラカタータ(人工池)の中に土を盛った小島の上にロレイ祠堂が建てられていたという名残を見せていました。右写真は、階段に向かって右側の石組です。
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左写真は左側の石組です。階段の上にロレイ祠堂が見えました。*ロレイ遺跡情報/ヤショヴァルマン1世(889~910頃)が、父インドラヴァルマン1世によってロリュオス地方に開掘された人工池インドラタターカ(東西3.2km南北0.7km、貯水量1000 万㎥)の中心に893年に建立。
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2014年12月のロレイ祠堂は、足場が組まれ、周りにシートが差し掛けられていました(左写真)。シートの下では、男性がレンガを手に、修復作業をしていました(右写真)。
DSC07923元は赤レンガの上に白漆喰 DSC07929

デヴァター像の修復も進んでいるようでした(左写真)。右写真は中央祠堂の内部です。入口には、サンスクリット語の石碑が残っています。
DSC07932「最も美しい女神」といわれている DSC07936中央の堂の跡リンガなど

ロレイ祠堂が建つ丘の上から、東方向を眺めると、 4~5m下に土産物売り場が見えました。そして、さらに一段下がったところに寺院の塀があり、その先には田が広がっていました。DSC080121

シェムリアップ川東側の国道6号線の拡幅整備によって、ロリュオス遺跡には、これまでより多くの観光客が訪れるようになることでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

アプサラ庁舎

プサール―市場から国道6号線を東へ400mほど行くと、北に延びるアプサラロードがあります。アプサラロードは、中央を通る道路の両側に大きな堀があり、その堀の外側にも道路(側道)が通っています。家々は、その側道沿いに建っています。西側にテントが見えました。テントの下には石像が立っていて、小さい子たちがその足元に坐っていました。大きな石が置いてあったので、ここで石像を造っているのかもしれません(左写真)。右写真は、ショッピングセンターで、建物の前面や塀にアプサラ(天女)のレリーフが見えました。
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中央の道路からは、30~40mごとに堀を渡る道があり、中央道路から左右の側道に移れるようになっていました。堀を渡る道の向こうに、パラソルを立てて飲み物やガソリンを売っている店が見えました。その後ろには、売り物なのでしょうか、家具が置いてありました(左写真)。ベトナム帽をかぶった女性を乗せたバイクも走っていました。運転していた女性は、ピンクのヘルメットをかぶっていたので、バイクタクシーのようです(右写真)。
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右手前方に、オレンジ色の屋根に白い壁の建物が見えてきました。この建物は建設中の新しいアプサラ機構に属している建物(「India House」?)のようです(左写真)。この建物と道路を挟んだ北側に新アプサラ庁舎が建設中でした。ここの十字路にはロータリー(交差点の中央に設けた円形地帯)が作られ、その中央にアプサラの像が立っていました。
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左写真は、南側から建設中の新アプサラ庁舎を撮影したもので、右写真は、アプサラロードから撮影した写真です(2012年12月撮影)。右写真の中央あたりに、作業をする2人の男性の姿が見えました。建設中の庁舎は、かなり大きなものでした。
CIMG2258新アプサラ建設中 DSC011801

建設中の新アプサラ庁舎の少し北に、建設中の庁舎などと同じオレンジ色の屋根に白い壁の建物が見えてきました。この建物が、2012年12月時点では、アプサラ庁舎として機能していました。そして、写真の右に見えるている建物は、「Smiles of Angkor Show Palace」で、観光客向けのショーが行われている建物だそうです。
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アプサラ組織は、アンコール地域における文化遺産保護と地域開発を担う政府直轄の組織として1995年に創られました。アプサラとは、カンボジア政府アンコール地域保存維持管理機構「Authority for Protection and menagement of Angkor and the Region of Siem Reap」のかしら文字によるものだそうです。
DSC01532アプサラ→市役所 DSC01184

私たちは、「カンボジアの人々の幸福感」に関するアンケート調査を実施するにあたって、2012年12月にアプサラ庁舎を訪れたのでした。新しいアプサラ庁舎が完成した後には、この建物は、シェムリアップ市役所として使われるとも聞きましたが、2014年12月には、この庁舎から11㎞程東で、「SIEM REAP ADMINISTRATIVE CITY」の建設が始まっていました。
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建設中のアプサラ庁舎の前のロータリーには、アンコールワットのレリーフに見られるアプサラ像も、立てられていました。アプサラという言葉は、天女アプサラのイメージを伴って、観光客にも親しみやすい呼び名として採用されたのでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

プサールー付近の道路拡幅

シェムリアップ川東の国道6号線も、2013年3月に通った時には道路拡幅が始まっていました。写真は、プサール―市場付近で見かけた拡幅工事のようすです。2台のショベルカーが、道路と建物の間の土を掘っていて、ヘルメットをかぶった人たちが、掘り出した土砂とショベルカーの周りで作業をしていました。国道6号線の拡幅工事は、水路を造るところから始まるようです。写真左隅に、プサール―市場が見えています。
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オートバイに乗った女性も、工事現場を見ながら通り過ぎていきました(左写真)。右写真は、プサールー市場前の作業の様子です。帽子の上に黄色いヘルメットをかぶって、道路の土を寄せている女性の姿も見えました。そばで立っている制服姿の男性は監督者なのでしょう(以上3枚は2013年3月撮影)。
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2014年12月にプサールー市場前を通ると、国道6号線の北側にショベルカーが停まっていました。ガイドさんが「今日は日曜日で、道路整備が休みです」と教えてくれました。道路際には、計測棒や計測布などが、使ったままの状態でおいてありました。拡幅工事は着々と進んでいるようでした。
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市場の西側に、ガードレールがそのまま残っている場所がありました(左写真)。道路の向かい側にもガードレールがこ残っていて、この下を水路が通っていました(右写真)。
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市場の向かい側は、道路拡幅と合わせるかのように、道路沿いの建物も改修されているようでした。
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市場から約400m東に、寺院のような屋根に塔の立つホテルが建っています(左写真)。このホテルの前から北に、アプサラロードが伸びています。ホテルの少し東には、「C.P.CAMBOSIA CD., LTD」と書かれた青いビルが建っていました(右写真)。

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シェムリアップ川東の市街地を抜けるころから、国道6号線沿いには次々に新しいホテルが建てられていっています。その多くが、海外から訪れる観光客にとって、アンコール遺跡のイメージを髣髴させる外観を備えているように見えました。
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この「APOLLO PLAZA」は、プサール―市場から約2.5㎞ほど東に建っています。ここからロリュオス遺跡までは、8㎞程の距離です。
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シェムリアップ川東側の国道6号線では、道路拡幅と併せてホテルなどの建設ラッシュが起こっていました。多くのホテルは、広い敷地に4~5階建てで造られていましたが、ガイドさんの話では、シェムリアップでは、アンコールワットの中央祠堂の高さ65m以上の建築物は禁止されているとのことでした。

写真/文 山本質素、中島とみ子

プサールー市場

シェムリアップ川に架かるストーンブリッジを渡り、東へ1.5㎞ほど行った国道6号線沿いに、大きな市場があります。私たち観光客は「プサールー・マーケット」と呼びますが、「プサールー」という言葉自体が、クメール語で「市場(マーケット)」を意味しているそうです。
初めてプサール―・マーケットの前を通った時(2012年12月)、市場の前にたくさんのオートバイが停まっているのに驚かされました。左写真には市場の東角で買い物をする地元の人や、ヘルメットをかぶったバイクタクシーの運転手などが写っています。市場に買い物に来る人たちも、バイクタクシーを利用しているようです。そして、市場の西角を写した右写真には、ヘルメットにハイヒールを履いた女性が、オートバイにまたがったままスマホを操作している姿が写っていました。
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2013年3月に通った時にも、朝8時過ぎのプサール―市場前には、オートバイがずらりと停まっていました。プサール―市場でオートバイも売っているとガイドさんから聞いたことがありました。
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正面入り口は、東西200mの建物のほぼ中ほどにあり、両側を黄金色のシンハが護っていました。入り口の屋根には、神様が鳥に餌を与えている絵(?)が見えました。入口前に広げたパラソルの下では、山積みにされたフランスパンが売られていました。
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2013年12月には、プサール―市場の建物に入って買い物をしました。市場内は、通路の両側に所狭しと商品をディスプレイした店が並んでいました。この市場には、生活するために必要なもの全てがそろっているようでした。
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左写真の袋に入っている食品は干した魚で、量り売りされていました。右写真の売り場には、日焼け止めが見えます。
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左写真は、七輪のようなコンロでしょうか。奥に見えるのは電気がまのようです。右写真は刃物売り場を写したものです。
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細長い寸胴の鍋に混じって、とがった蓋の鍋もありました(左写真)。キッチン用品の鍋と並んで、骨壺も売られていました(右写真)。
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タライや鍋の奥に、「黎賓堂」と書かれた赤い神棚のようなものも置いてありました(左写真)。そして、入口の光が入る場所には、広いゴールド貴金属売り場があり、子どもを抱いた現地の女性の姿もありました(右写真)。金は、カンボジアの人たちの間でも人気のようです。
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左写真の売り場には、カラフルなサンダルや靴などが、ぎっしりと並べて置いてありました。また、ゴザや布団が積まれた奥には、さらにカラフルなドレスがたくさん並んでいました(右写真)。
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通路沿で品物を売る店だけでなく、市場の中にはブティックもありました。何台ものミシンと、縫い子さんの姿が見えました。棚にはたくさんの布が積まれていて、奥の方には出来上がったドレスなどもかけてありました。ここで布を選んで、気に入った洋服を作ることができるようです。DSC01439

ファッション雑誌を見ながら、型を選んでいる女性も見られました。その前では、店の人が布に型紙を置いて印をつけていました(左写真)。カンボジアの若い人の間では、少し前まではタイのファッションに人気があったようですが、最近では韓国のファッションに変わってきているそうです。
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市場の中には、美容院も数店舗入っていました。カンボジアでは、ショートヘアーは年配の女性向けとされ、ほとんどの女性は長い髪を後ろで束ねていますが、美容院では、ヘアアイロンで髪をストレートにするのが人気のようです。右写真の美容院では、女性の髪をヘアアイロンでストレートにしているのが見えます(写真左側)。そして、写真の中ほどにパーマをかける器具があり、タオルを巻いた女性が座っていました。右端のホットカーラーを手にした男性は美容師なのでしょう。ちなみに、カンボジアの美容院では、ネイルが人気だそうです。
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市場の中に歯科医院もありました。口の絵が描かれたこの中では、歯医者さんが患者の治療をしていました。
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毎朝4時から、生活料品を持って来て販売したり、購入したりする地元の人々が集まり、市場の賑わいが始まるそうです。
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国道6号線から見える賑わいだけでなく、 プサール―市場のだいご味は、東西200m、南北100mの大きな建物を囲む道の両側に広がっていました。
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道の両側に、生鮮食品や総菜売り場が、朝市のように立ち並んでいるのです。
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右写真は、午後4時ごろの市場の前です。荷物を積んだトラックが停まっていました。出店のパラソルがかたずけられ、市場の軒下にバナナが吊るされているのが見えました。、
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プサールー市場は、シェムリアップで生活する人々にとって、日本のデパートやショッピングモールにあたるものなのでしょう。建物の中だけでなく、四方を囲む道も含めて、地元の人々の生活を支えているようです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

日本料理店「米咲」

日本料理店「米咲(マイサ)」を私が初めて訪れたのは、2012年12月でした。この時は、米咲前の国道6号線は、拡幅工事が始まっていました(左写真)。拡幅予定の道路沿いに車を停めて入ると、赤い提灯の下がる2階が店になっていました(右写真)。
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店内は、日本人形が飾られたり(左写真)、調理場に続く入口には浮世絵の暖簾が掛かっていたりしました(右写真)。
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棚には、日本の漫画「ドラゴンボール」、「YAWARA」、「はじめの一歩」などが、ずらりと並んでいました(左写真)。最近では、プノンペンなどで日本の漫画をクメール語に翻訳したものが売られるようになってきているそうです。店内には上りがまちも設けられていました(右写真)。
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米咲の料理メニューには、梅おにぎり2個で4$。冷奴1.5$、ざるそば5.5$、寄せ鍋10$など、日本でなじんだ料理が記されていました。
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出された料理には、袋に入った割りばしと、紙ナプキンで包んだカレー用のスプーンがついてきて、日本的な気遣いが感じられました。
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2012年12月時点で、店のおかみさんは、拡幅工事に伴い、「店をたたむことも考えている」と話していました。しかしその後、2014年12月まで、シェムリアップを訪れるたびに、昼食に立ち寄らせてもらっていたので、このまま営業を続けていくと思っていましたが、今年、2015年2月に閉店したと聞きました。右写真は、2012年12月の店の前ですが、米咲の看板の横に、「FOR SAIL」の張り紙が出ていました。米咲の家主は、韓国か中国の人だったと聞きました。ちなみに、外国人の土地所有に関する制度は、以下のようです。
カンボジアでは、個人または法人に拘わらず、外国人が土地を所有することは禁じられていますが、土地使用(コンセッション、無制限の長期賃借、更新可能な有期の短期賃借等)については認められています。さらに、土地上の不動産や個人資産を所有することや、債務保証として担保に差し入れることも認められています(改正投資法第 16条)。また、所有についても、2010 年 4 月 5 日、上院議会で法案が承認され、外国人でも居住用不動産を購入できるようになりました。そして、外国人がカンボジアで不動産所有権を取得するためには、カンボジア資本と合弁会社を設立(外国人の株式持分は 49%以下)した上で、取得する方法があります。( http://www.mlit.go.jp/totikensangyo/kokusai/kensetsu_database/cambodia/page5.html
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内戦中にカンボジアの土地制度は崩壊し、土地所有権の権利書と登記簿の多くが失われてしまったそうです。近年の観光開発は、土地所有権を巡る紛争を多発させる原因になっているのかもしれません。

写真/文 山本質素、中島とみ子

シェムリアップ西の国道6号線

今回は、シェムリアップ西の国道6号線(National Route 6)沿いの光景を、道路拡幅工事の進行状況と併せて紹介していきます。写真の撮影場所は、ストーンブリッジの10㎞ほど西から市街地まで、撮影時期は、2012年12月、2013年3月、2013年12月、2014年9月です。
下写真は前回に掲載したものですが、この地点から国道6号線の紹介をして行きます。2012年12月午前11時ごろ、場所はストーンブリッジから10㎞西にある、ゴックトライ村からの道が、国道6号線に接続している橋です。右奥がシェムリアップ市街地です。シェムリアップ方面からのトラックやバイクタクシー、また市街地へ向かう普通車などが6号線を通っていました。左写真の橋から2分ほど東に行った路肩では、女性たちが棹に衣料品をかけて売っているのを見かけました。
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ゴックトライ村の橋から1.5kmほど東に、西バライ排出口からの流れに架かる橋があります。2013年12月の朝8時頃に通ると、橋の上を4台のオートバイが西へ走っていくのを見かけました(左写真)。1台のオートバイの荷台には、大きなかごの両側に鍋が吊るしてありました(右写真)。この先の村々に、鍋を売りに行くのかもしれません。
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西バライからシェムリアップ市街地へ向かう国道6号線では、夕方になるとバイクや自転車に乗った多くの人々とすれ違います。2枚の写真は、2014年9月の午後5時30分頃に仕事を終えて帰宅する人たちのようでした(左写真)。右写真の自転車に乗った女性たちも、市街地で働いているのでしょう(右写真)。
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シェムリアップ空港からの道路が交わると、国道6号線はNational Route 6(Airport Road)と呼ばれるようになります。私たちが最初に訪れた2012年12月には、交差点から500m東にあるガソリンスタンド前も、赤土が敷かれ、拡幅工事が始まっていました(左写真2012年12月)。2013年3月に通った時には、ガソリンスタンドから800mほど東のホテルの前で、砂利石を敷く作業が行われていました。路肩には赤土が山積みになっていました(右写真)。
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National Route 6(Airport Road)を東へ2㎞程のところに、Cambodian Cultural Village(カンボジア文化村)が造られています(左写真)。この辺りから、道沿いに大きなホテルを見かけるようになりました。右写真は、カンボジア文化村から1.2㎞東に建つホテルですが、両側にシンハ像、屋根に塔を持つ外観は、まるで寺院のようでした。
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上右写真のホテルの向かい側(北側)に、学校がありました(2013年3月撮影)。時間は午後5時過ぎ、授業を終えた生徒たちが、次々に門から出てきます。そして、拡幅工事のために塀の外に山積みされた砂利石の上に登っていたのは、女生徒たちでした。カンボジアでも、女生徒の方が活発なようです。
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この付近の国道6号線は、2013年12月には、拡幅工事がほぼ終了しているようでした(以下6枚2013年12月撮影)。市街地に近づくほどに国道6号線沿いは、ホテルが建ち並ぶようになります。
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新しいホテルが建設される一方で、20世紀の初頭に建てられたフランス風建物の中には、政府が外国人観光客の入国を認めるようになって、再び営業を始めたホテルもあるようです。左写真のフランス風の外観を持ったゴルディアナ・アンコールホテルも、その1つかも知れません。そして、国道6号線沿いで営業していた日本料理店「米咲(まいさ)」は、家主の都合もあって、2015年2月に閉店したそうです(右写真)。
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「米咲」と道路を挟んで右斜めに見えた瀟洒な建物は、「税務署」のようです(左写真)。右写真に「米咲」付近の地図を掲載しました。ピンクの丸印が「米咲(マイサ)」です。(http://www.cambodialife.mobi/cambodia/sightseeing/restaurants/1227)
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税務署の右隣りには、外観を改修しているホテルがありました(右写真)。このあたりには、「アンコール」を名称の一部にしたホテルが多く見られます。右写真は、シェムリアップを通る国道6号線の地図です(http://homepage1.nifty.com/Cafe_Saigon/cambodia/siemreap.htm)DSC02011 

今回紹介したのは、シェムリアップ市街地西側の10㎞程でしたが(右上写真参照)、国道6号線は、首都プノンペンからシェムリアップを通りタイの国境までの全長447kmにおよんでいます。、国道6号線の拡幅・整備は、観光開発の一環として新たな経済活動を生み出す一方で、米咲のように撤退を余儀なくされる店も出てきているようです。

写真/文 山本質素、中島とみ子