水路を行く観光船からは、学校も見えます。写真は、十字架を掲げた教会とその後ろにある小学校です。協会と小学校の間にある二階のベランダの上には、太陽光パネルが設置してありました(2014年9月撮影)。
2012年12月に、この前を通った時には、カンボジアの国旗が翻り、カンボジアの正月飾りがいくつも架かっていました。カンボジアの正月は4月ですが、正月飾りが新しかったので、インターナショナル・ニューイヤーも祝うのでしょう。
少し先に、もう1つ小学校があります。カンボジア国旗が掲げられていたこの小学校には、’CHARITY RICE TO HELP THE PEOPLE’と書かれている建物が併設されていました。
2012年12月には、この小学校に立ち寄りました。併設されている左側の建物に入ると、’All Viet Nam Familly Staying At The Sea Of Kingdom Cambodia.’(カンボジア王国の海に滞在しているすべてのベトマムの家族)で始まる英文がありました(左写真)。他の掲示物には、赤い文字でVIET NAM SCHOOL EDUCATE POOR CHILDRENと赤い文字で書かれていました。この小学校は、トンレサップ湖で暮らすベトナムの家族のために、カンボジア政府が運営しているもののようです。
トンレサップ湖で、ベトナム人が水上生活をするようになった経緯は、ベトナム戦争中から、ベトナムを脱出したベトナム人(いわゆるベトナム難民)を、当時のカンボジア政府が、トンレサップ湖を指定して住まわせたことに遡ります。(参照:http://www.e-asianmarket.com/angkor/tonlesap01.html)
ベトナムでは、1954年の南北分断以降、南ベトナムで共産主義勢力による反政府ゲリラ活動が活発化し、1964年頃からアメリカが本格的に軍事介入し、ベトナム戦争が拡大していきました。1975年4月のサイゴン陥落でベトナム戦争は終結しましたが、その前後から南ベトナム政府や軍の関係者、資産家など新しい社会主義体制の下で迫害を受ける恐れのある人々や新体制に不安や不信をもつ人々が大量に国外に流出を始めました。サイゴン陥落以前に国外に脱出できなかった人々は、いわゆるボート・ピープルとして漁船等の小型船に乗って直接周辺諸国へ脱出しました(http://www.rhq.gr.jp/japanese/know/i-nanmin.htm)
多くの子供たちが、ここで食事をしていくようです(左写真)。壁に架けられている赤い’DONATION BOX’募金(寄付)箱 が、ひときわ目立っていました。
ホワイトボードが設置してある壁の上には、カンボジア国旗と前国王ノロドム・シアヌーク夫妻の写真、現国王ノロドム・シハモニの写真が掛けられていました。
左写真の男性は校長先生、若い女性の先生もいました。3つほどの教室を見学して回りましたが、どの教室も生徒でいっぱいでした。この水上の学校も、午前と午後の2部制で行われていますが、その理由は、一度に全部の生徒が入ると、小学校が沈んでしまうからだそうです。
校舎の裏側には、たくさんのボートがつないでありました。生徒たちが乗ってきたものなのでしょう。2013年8月には、制服を着た少女とボートを見かけました(右写真)。
校舎は、トンレサップ湖の水量の変化(乾季と雨季)に応じて、引っ越しをするそうです。そして、小学生のいる家族もまた、ハウスボートごと、小学校のあとを追って、校舎の近くに引っ越していくということです。
写真/文 山本質素、中島とみ子