北スラスラン村の北側には、見渡す限りの田んぼが広がっています。その北方向200~300m先に、東バライが造られた当時の南側土手が見えています(左写真)。東バライの南土手の西隅から、環濠のような大きな堀が田の中を南東に通っています。かつて東バライからの水がこの堀によって北スラスランの田に運ばれてきていたのでしょう。東バライが涸れた現在でも、雨季には雨水がその堀を満たし流れてきます。右写真は12月に撮影したので、水はほとんどありませんでした(撮影2012年12月)。*東バライ情報/ 位置:アンコールワット東門から東バライの南西角まで直線距離で約4㎞ / ヤショヴァルマン1世の統治時代(900年頃)に造られる。東西7,150m、南北1,740m。
広大な田の東方向に目を転じると、木々に混じってプレループの塔が小さく見えました(左写真)。撮影した場所からプレループの塔まで、約2km離れています。望遠で撮影したプレループの写真をさらに拡大して、右写真として掲載しました。北スラスランの北から北東に広がるこれらの田は、北スラスランはじめいくつかの村の人々が耕しているようです(撮影2012年12月)。*プレループ遺跡情報/ 位置:アンコールワットから約6㎞北東。/建立:ラージェンドラヴァルマン(944~968)が961年にプレループを中心に都城を造営。
以下に、北スラスラン村の中を北から南へ通る道沿いで会えた、「北スラスラン村の家族」を紹介していきます。
**ヤシの葉で編んだ家屋の家族**
大きなヤシの葉の壁面を持つ高床式家屋がありました。壁面の一部が取り外された2階には、女性の姿と下がっている電球が見えました。ヤシの葉で編まれた壁面は、綱がついていて、夜や、雨が降り始めた時には引き上げるのでしょう。2階にいた女性が階段のところまで降りてきてくれました。1階の柱の後ろには夫らしい男性の姿も見えました。
左写真の若者は、彼女の息子です。敷地内に建つ別の家屋には、彼女の娘さんと孫が暮らしているようでした(右写真)。
少し南で、木陰にハンモックを吊るして子どもの昼寝を見守っている母親らしい女性がいました。左写真の左隅の建物が住居のようで、中央のヤシの葉で囲まれた小屋は穀物小屋でしょう。その奥から、農作業用に飼われている白い牛がこちらを見ていました。
北スラスラン村の北側には、広大な田の近くで農業を生業として暮らす家族の姿がありました。
★★離れて暮らす家族★★
北スラスラン村の中を南へ歩いていると、シェムリアップで日本語ガイドをしているという男性(Gさん)に出合いました。Gさんはこの日、北スラスラン村で暮らす母親を見舞うために、シェムリアップで暮らしている姉の家族と連れ立って、北スラスラン村に帰ってきていました。彼に案内されて、母親が暮す家に立ち寄らせてもらいました。
屋敷内に3棟の建物が見えました(写真2枚)。左の赤い屋根の2階建て建物は、Gさんのお姉さん家族がシェムリアップに移る前に暮らしていた住居、右の高床式の建物がお母さんの住居になっていました。その間に炊事小屋があり、黄色い服を着た子どもが階段に腰かけて、高床式家屋の1階に坐っている母親(Gさんの姉)と楽しそうにおしゃべりをしていました。
左写真は、上左写真のお姉さん家族が7年前まで住んでいた家の入口付近です。閉じられた窓や入り口の上に、蓮の飾りが付いていました。「コックベイ地区北スラスラン**番地」と住所表記も残されたままでした。
高床式家屋の2階は、大きなすだれを掛けて日差しを遮り、風通しを良くしていました。すだれは200~300ドルで購入したそうです(左写真)。1階の柱には、2か月前に設置したという衛星放送のパラボナアンテナ(200ドル)がありました(右写真)。
ネアクタ(小祠)は5~7年前に建て替えた際に、占い師の助言により、福を呼び込むという意味(中国系の考え方)で、階段の先に移したそうです(価格は200~300ドルくらい)。一般にネアクタは、家を建てる時、土地の精霊(ネアクタ)に住みかを移ってもらうために方角が良いとされる北東の隅につくられます。ネアクタという呼び方はサンスクリット語で、Gさんはポップンムと呼んでいました。
高床式家屋の屋根から雨どいを流れ落ちた雨水が、樋を伝って大きな甕の中に溜るようになっていました(左写真)。炊事小屋の入口の横には、チョークで、fruits,orange,Apple という英単語が書きつけてありました。孫娘が学校で習った言葉を書いたものでしょうか。
井戸水を汲む母親の姿が見えました(左写真)。母親が洗い物や洗濯をするときに、日差しを遮るようにとパラソルが置かれているようです。母親と離れて暮らすGさんとお姉さん家族の母親への気遣いが、屋敷内のあちらこちらに感じられました。右写真の青い箱には、母親の家を含む周辺の4軒の家の電気メーターが入っていました、電気は村の中にある発電所(電気屋)から引いています。料金は1ワットに付き1ドルです。
★★電気屋さんの発電所★★
ロハール村や北スラスラン村に引かれている電気は、北スラスラン村にある電気屋さん(発電所)から送られています。2013年3月に電気屋さんを訪れた時の写真4枚を再掲しました。左から、①屋敷入口にあるヤシの葉で葺いた建物、②発電機が入っている青い箱から、配電盤を通して、電線で村の中に電気が運ばれています。燃料はジーゼル、手前のドラム缶には軽油が入っています。③屋敷内で営んでいる店に、主人夫婦とその家族などが集まっていました。左隅の若者は従業員のようでした。④息子さんが学校の先生をしているので、机とイスが並んでいるこの場所でボランティアの学校を開いているとのことでした。
2015年9月に訪れると、入口にあったヤシの葉で葺いた小屋の屋根がトタン葺に変わっていました(左写真)。青い発電機は、「Supper Silent」と書かれた黄色の外観の発電機に変わっていました(右写真)。
店の奥にあったボランティアの学校は、取り壊されていました。「教員をしていた息子が転勤したので、かたずけました」という場所は、住居スペースが増やされていました。
発電所は定年後に始めたもので、料金1キロワット1ドルの受け取りと帳簿付けは妻が、1人いる従業員はメーターの取り付けなどをしています。「売り上げの7割は社会のために使う」という父の教えに従って、慈善事業への寄付もしているそうです。
店の壁には、出身地(ドンム・レイロ地区)への寄付により表彰された写真が飾ってありました。電気屋さんは40キロ離れた同地区のドン・ベック村で生まれたそうです。
★★長寿の祝い★★
2015年9月、11時半頃、市場西側の通り近くの家で「長寿の祝い」が行われていました。音楽が鳴り、たくさんの人々が料理の準備をしていました。料理は、村の人たちや専門のコックさんに頼んでいるようでした。
招待客は、親戚家族(左写真)、長寿を祝われる当人の友人たち(多くは村の高齢者)(右写真)などでした。
カンボジアには家族の長寿を祝う慣習があります。長寿の祝いは、50歳を超えた人が、さらなる長寿を祈って、親戚・友人や隣近所の人を招いて祝ってもらう、家族ごとの行事です。料理を作る手伝いに多数の人手が必要なので、結婚式と同様に村のチューイ・クニア(手伝いあい)を頼みます。内戦が終わって約30年、村の年長者は、家族とともに暮らす中で伝統的な慣習を伝える役割を担っているようです。
北スラスラン村は、アンコール朝期に造営された東バライと人造池スラスランの間に位置しています。現在は、スラスランの北辺を通る観光道路沿いの北スラスラン地内に、多くの観光客用のレストランが建ち(左写真)、また市場もつくられています(右写真)。
北スラスラン村を概観すると、北側に農家が多く、村の中心には発電所のような事業を行う家があり、南には村の人が経営するレストランや市場があります。 シェムリアップ市街地から約12㎞の位置にある北スラスラン村では、子どもたち夫婦がシェムリアップ市街地で暮らす家族もあり、農村から都市部への人口の移動が始まっているようでした。屋敷内に一緒に暮らしてきた農業を生業とする大家族の形は、流動的に変わっていくのでしょう。
写真/文 山本質素、中島とみ子