2014年12月に訪れると、ピエム村の田は、一面薄茶色に変わっていました。9月3日に、水のない田に穴をあけて田植えをしていたあたり(左写真)も、9月6日に水田で2人の女性が田植えをしていた場所も(右写真奥)、すでに刈りいれが終わっていました。日本の稲刈りは、株のすぐ上を刈り取りますが、カンボジアの多くの村では、穂の付いた上の部分だけを刈り取ります。
左写真右側の土が見えている場所は、苗代だったところです。そして雨季には、ゆったりと水を湛えていた水路には、ほとんど水がありませんでした(右写真)。
稲刈りの最中の田もありました。村人の姿が、黄色い稲穂の中に見えます。カンボジアでは、田植えが済んで2 ヶ月ほどで穂が出始め、さらに約1 ヵ月で、稲の刈りいれの時期になります。広い村の田は、時期をずらして順次田植えを行い、そして、稲の稔った田から順に刈取りが行われているようでした。
村の道を走る私たちの車の前を、牛が横切っていきました。角のある牛の後から仔牛がついていきます。牛たちが通り過ぎるのを、オートバイも停まって待ちます。
牛を、クメール語では「コーウ」といいます。ピエム村では、ほぼ半数の家で、1頭から2頭の牛を飼っています。村全体では600頭もの牛が飼われているそうです。稲穂だけを刈り取って、稲の下の部分を残すのは、それを牛たちに食べさせるためなのでしょう。
この日、牛を引いて行く少年たちを何人も見かけました。刈取りが終わった田んぼに牛を連れて行くのは、子どもたちの仕事のようです。時間は11時を30分ほど過ぎていました。小学校の授業を終えて家に戻り、各々の家の牛を追って、餌場の田まで行くのでしょう。出会った少年たちは、皆、肩から布製の袋を掛けていました。膨らんだ袋の中には、少年たちの昼食が入っているのかもしれません。
牛を連れている少女にも会いました。彼女の手には、束ねた長い綱と棒が握られていましたが、袋は持っていませんでした。彼女は田んぼに牛をつないで、家に戻るのでしょうか(左写真)。道の上で、牛が渋滞状態になっていました。少年の牛の綱が、ほかの牛の綱と絡まってしまったようです。角を生やした牛が、優しい目でこちらを見ていました。牛の角は雄雌の区別なく生えますが、多くの牛が角を切られていました。角を残しているこの牛は、繁殖年齢の雄牛のように見えました(右写真)。
ピエム村には収穫や田植えのときに、お互いに交代で手伝いあうという意味の「プローワス・クニア」という慣習があります。このプローワス・クニアで、牛や豚を育ててもらうこともあると聞きました。育ててもらった場合、3年間で2頭ほど子供が生まれるので、2頭生まれたら、1頭ずつ分けるそうです。その場合、メス牛は所有者のものになります。ちなみに、水牛は、ピエム村では、1家族が4頭育てているだけです。
写真/文 山本質素、中島とみ子