12月の田と村の牛

2014年12月に訪れると、ピエム村の田は、一面薄茶色に変わっていました。9月3日に、水のない田に穴をあけて田植えをしていたあたり(左写真)も、9月6日に水田で2人の女性が田植えをしていた場所も(右写真奥)、すでに刈りいれが終わっていました。日本の稲刈りは、株のすぐ上を刈り取りますが、カンボジアの多くの村では、穂の付いた上の部分だけを刈り取ります。
 CIMG1850 CIMG1776

左写真右側の土が見えている場所は、苗代だったところです。そして雨季には、ゆったりと水を湛えていた水路には、ほとんど水がありませんでした(右写真)。
CIMG1775 CIMG1774

稲刈りの最中の田もありました。村人の姿が、黄色い稲穂の中に見えます。カンボジアでは、田植えが済んで2 ヶ月ほどで穂が出始め、さらに約1 ヵ月で、稲の刈りいれの時期になります。広い村の田は、時期をずらして順次田植えを行い、そして、稲の稔った田から順に刈取りが行われているようでした。 CIMG1778 CIMG1777

村の道を走る私たちの車の前を、牛が横切っていきました。角のある牛の後から仔牛がついていきます。牛たちが通り過ぎるのを、オートバイも停まって待ちます。CIMG1844

牛を、クメール語では「コーウ」といいます。ピエム村では、ほぼ半数の家で、1頭から2頭の牛を飼っています。村全体では600頭もの牛が飼われているそうです。稲穂だけを刈り取って、稲の下の部分を残すのは、それを牛たちに食べさせるためなのでしょう。
CIMG1845

この日、牛を引いて行く少年たちを何人も見かけました。刈取りが終わった田んぼに牛を連れて行くのは、子どもたちの仕事のようです。時間は11時を30分ほど過ぎていました。小学校の授業を終えて家に戻り、各々の家の牛を追って、餌場の田まで行くのでしょう。出会った少年たちは、皆、肩から布製の袋を掛けていました。膨らんだ袋の中には、少年たちの昼食が入っているのかもしれません。
CIMG1846 CIMG1849

牛を連れている少女にも会いました。彼女の手には、束ねた長い綱と棒が握られていましたが、袋は持っていませんでした。彼女は田んぼに牛をつないで、家に戻るのでしょうか(左写真)。道の上で、牛が渋滞状態になっていました。少年の牛の綱が、ほかの牛の綱と絡まってしまったようです。角を生やした牛が、優しい目でこちらを見ていました。牛の角は雄雌の区別なく生えますが、多くの牛が角を切られていました。角を残しているこの牛は、繁殖年齢の雄牛のように見えました(右写真)。
 CIMG1847 CIMG1848

ピエム村には収穫や田植えのときに、お互いに交代で手伝いあうという意味の「プローワス・クニア」という慣習があります。このプローワス・クニアで、牛や豚を育ててもらうこともあると聞きました。育ててもらった場合、3年間で2頭ほど子供が生まれるので、2頭生まれたら、1頭ずつ分けるそうです。その場合、メス牛は所有者のものになります。ちなみに、水牛は、ピエム村では、1家族が4頭育てているだけです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

村の水路

ピエム村の村長さんの案内で、村の東南東に架かる橋に行きました。この橋が、ピエム村の東境になるようです。橋の上を、自転車に乗った女性たちが、荷台に丸く束ねた弦(つる)を積んで、ピエム村の方へ帰って行きました(左写真)。村長さんが座る橋の欄干には、ナーガの彫刻が施されていました(右写真)。
DSC07694  DSC07696

この橋の両方の欄干の端には、何ものかを飲み込むナーガが彫られていました。一方の端の傍には、欠け落ちたと思われる、光背を背負った彫刻が置かれていました(右写真)。光背を背負っていますが、これはナーガではないようです。
DSC07692 DSC07693

ピエム村の地図を再掲します。地図の上が北になります。赤い屋根の大きな建物がピエム村の小学校です。そして、地図の右上から右辺を通って左下へ描かれている青い線が川です(左写真)。上4枚の写真で紹介したナーガのある橋の周辺を、拡大してみました(右写真)。写真の中央右上に見える、川と道路とが交わっている場所に記された橋が、上記の橋です。
DSC07079 DSC07079 (2)

ナーガの橋から西へ行くと、道路の下にコンクリート製の水路が作られています。左写真が水の流れこむ口で、溜まった水が丸い穴に吸い込まれる様子が見えています、そして、道路の下を通って反対側には、泡立った水が勢いよく流れています。この水路は、水量を調節する水門の役割を持っているようでした。右上の地図上では、橋の左側(西)に、道路を跨いで、四角い印で描かれています。
DSC07641       DSC07640

ここから流れ込んだ水は、ピエム村の田へと導かれていきます。 DSC07644 DSC07676

西へ少し進んだところで、村長さんが立ち止まりました。その足元には、「WFP2013」と刻まれたコンクリートがありました。WFPは、国際連合世界食糧計画の略称で、「食糧欠乏国への食糧援助と天災などの被災国に対して緊急援助を施し、経済・社会の開発を促進する国際連合の機関」です(参照:ウィキペディア)。この場所は、WFPの支援によって、道路を整備するときに、水が流れる道を確保するために土管が据えられていました。村の中の道路は、コンクリートで路肩を固めている箇所が数か所あり、下には、同じように土管が据えられていました。
DSC07716 DSC07715

村の地図では、道路を跨いだ土管の絵(二つの丸印をつなげた図)として描かれています。その1か所で、子どもを連れた女性を見かけました(左写真)。近づくと、女性は細い棒の先に糸をつけて、魚釣りをしていました。溜まっている水には魚がいるようでした。
DSC07577 (2) DSC07579

田の水口付近の溜まり水の中に、魚取りの網が仕掛けられているのも見かけました(左写真)。水路(溜まり水)沿いには、それぞれの田に引き込む水量を調節するために、工夫が施されていました。右写真には、水を引き込むために削った畔に土嚢を置いて、水量を調節していました(右写真)。 DSC07611 DSC07678

畔の一部に、木の枝で小さな堰が作られているところもあります。
DSC07635 DSC07637

写真の田は、水を引き込んでいるので、今度はこの田で、田植えが行われるのでしょう。DSC07576

日本では、日陰による収穫量の減少を防ぐために、田の周辺の木々は切られてしまいます。カンボジアの水田では、周りに大きな木があり、時には、田の中にも木が生えていて、農作業をする人々のために木陰をつくりだしていました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

雨後の田植え

2014年9月5日に再びピエム村を訪れると、田は水で覆われていました。雨が降ったのです。田の代掻きに耕耘機で向かう男性とすれ違いました。
DSC07059 DSC07060

さっそく水田での田植えが始まっていました(左写真)。雨をたっぷり含んだ苗も、出番を待っているようでした(右写真)。
DSC07057 DSC07069

そして、9月6日に訪れた時には、水の掛かった田で、田植えをする村人の姿を、村のあちらこちらで見かけました。村の北東に広がる田でも、田植えが行われていました。写真の2人の女性は、母親と娘のように見えました。
DSC07534 DSC07527

ピエム村内は、12のグループ(班)に分かれていて、1つのグループは25~30家族で編成されています。田植えや収穫時に助け合いを行なう、「プローワス・クニア」と呼ばれるしくみもあります。プローワスは「交代」の意味、クニアは「お互いに(相互に)」の意味です。日本の農村にある手伝い合い(交換労働)のしくみと似ています。
DSC07581 DSC07585

多勢で田植えをしているこの田(上写真2枚、下写真)は、NGOが田を借り、村人がボランティアで田植えをしていると聞きました。田を所有していない村人が、ボランティアとして働くというしくみは、村に入ったNGOによって作られたそうです。ドーン・ケオ地区(ピエム村を含む13カ村)には、2006年からバンティアイ・スレイNGOが訪れるようになりました。「NGOが村に入るようになって、村の雰囲気が良くなった」と村長さんは話します。
DSC07592

田の中に苗代が作られていました(左写真)。苗代に種籾を撒いて、1か月ほどして成長した苗を、田んぼに持って行って田植えをします。苗の束を自転車の荷台に乗せて運んでいる女性にも出会いました(右写真)。
DSC07614 DSC07600

少し先で、子供たちが苗採りをしていました。日本で田植えには、15~20㎝ほどに育った苗が使われますが、この苗代の苗は、その倍ほどもありました。子どもたちは、彼らの膝丈より大きく育った苗を、両手で引き抜いていました。
DSC07656

自転車で女性が運んでいた苗は、この子どもたちが採ったもののようでした。雨が降ったので、水田で一斉に始まった田植えに使う苗採りに、子どもたちも借りだされたのでしょう。苗を引き抜いては、根に就いた土を叩き落とし、それを束ねていく様子は、苗取を楽しんでいるように見えました。
DSC07652 DSC07655

ピエム村にも、日本の村で行われていた、「ユイ」のような交換労働の仕組みがありました。日本では田植え機の導入等により、田植えを手伝い合う光景は見られなくなりましたが、交換労働や助け合いのしくみは、地域の人々を結びつけるよりどころとして受け継がれています。ピエム村でも手伝い合いのしくみは、村人を結びつけているのでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

9月3日のピエム村

2頭の牛が引く牛車が、ピエム村の道を走ってきました。乗っていたのはまだ少年の面影を残す若者で、彼は、牛に鞭を入れると、横道へ入っていきました。
DSC06393 DSC06394

写真は、ドーン・ケオ地区長事務所で見せてもらったピエム村の地図です。ピエム村は、西バライ北側に位置しています。前回紹介したプノン・ルーン(Phnom Rung Temple)遺跡は、地図中心から左上(北西)に、7層の石段として描かれています。地図の白い部分のほとんどが田です。野菜も栽培していますが、家の周りで自家用にするほどです。村には、277家族、1606人(内女性770人)が、稲作を生業として暮らしています。DSC07079

写真は、村の北西に広がる田です。カンボジアでは6月~11月が雨季にあたり、特に8月末から9月の初めころは雨が多く、田植えの季節になっています。ところが、 2014年9月3日のピエム村の田には、水がほとんどありませんでした。しばらく雨が降っていないために、田が乾いてしまったそうです。その田でも、村人は、田植えをしていました。DSC06398

上写真の右端で田植えをしていたのは、手に長い棒を持った男性と、腰をかがめて苗を植えている女性でした(左写真)。村のあちらこちらで、乾いた田に苗を植え付けていく人々の様子が見られました(右写真)。
DSC06324 - コピー DSC06349

別の場所でも、大勢の人たちが集まって、乾いた田に苗を植えていました。その様子を見ていると、まず、手に持った長い棒を田んぼにさして穴をあけて、その穴に、女性たちが苗を植え付けていきました。
DSC06388 - コピー

左写真の女性たちも、同じように棒であけた穴に苗を植えているのでしょう。そばには、2本の棒が立っていました。右写真の田んぼでは、草をはむ牛と、牛の番をする少年が見えました。水が溜まっている場所には苗が植えてあります。雨が降れば、ここも水田になるのでしょう。
DSC06391 DSC06308

小学校の前の道を、苗をたくさん積んだ牛車が、東へ向かって行きました。茶色の藁のように見えているのが苗の根です。そして、苗の先は、短く切りそろえられていました。水のない田で田植えを行っているのは、苗代に植えた苗が育ちすぎてしまうためなのかもしれません(左写真)。村の東の方の田には、多くはありませんでしたが水が掛かっていました(右写真)。
DSC06350 DSC06386

ピエム村は、アプサラゾーン1に指定されています。そのため、家族単位に所有している田についても、アプサラの管理下にあるので、勝手に池を掘ったり、埋めたりすることができないそうです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

プノン・ルーン(Phnom Rung Temple)

西バライの北西角から1㎞程北東に、プノン・ルーン(Phnom Rung Temple)があります。この遺跡は、プレアンコール時代の寺院遺跡で、現在の行政区割としては、ドーンケオ地区のピエム村に位置しています。左写真は、ピエム村の一隅に立つプノン・ルーン遺跡への道しるべで、横の男性は、ピエム村の村長さん(パン・ブーさん)です。私たちは、彼の案内で土手を上り、プノン・ルーン遺跡へ向かいました(右写真)。
DSC07050 DSC07036

土手の内側は田んぼになっていて(左写真)、その先の小高い木々の中に、プノン・ルーン遺跡がありました(右写真)。
DSC07038 DSC07039

プノン・ルーンは、現在、1辺130mの方形の土手に囲まれた中心部に、砂岩の基石と大きなヨニが残されているだけですが、かつては、レンガを高く積み上げた寺院が建っていたといわれます。
DSC07044

遺跡を抜けて、ピエム村の道路に出ました。西方向から3人乗りのバイクがやってきました。町でよくみかけるバイクタクシーかと思いましたが、若者が家族を乗せているのかもしれません。
DSC07045 DSC07543

稲田の向こうに、ピエム村の家屋が見えました。
DSC07047

ピエム村の北東には、8世紀建立のバラモン教寺院、コック・ポー(Kok Po Temple)遺跡も残されています。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ヤシの葉を編む

村の道を歩いている私たちを見つけて、迎い入れてくれた家がありました。人々の輪の中から、煙が上がっていたので、庭に集まって食事をしていたようでした(右写真)。
DSC033071 DSC033091

ヤシの葉を編んでいる2人が夫婦で、集まっていた若者や子どもたちは、彼らの家族のようでした。前に置かれた台の上には、皿として使ったバナナの葉がありました。食べ残りの付いた葉っぱの上には、スプーンが置かれていて、小さい女の子の口の周りには、食べかすが付いていました。台の右隅には、小さい魚が2匹おいてありました。
DSC033111

煙が上がっていたのは、そばに置かれたコンロで、鶏や魚を焼いていたのでした。コンロで燃やしていたのは、ヤシの葉の切りくずです(左写真)。焼いていた鶏は、家で飼っていたものかとたずねると、若者が、パチンコを使って鶏を仕留めたのだと、その様子を再現して見せてくれました(右写真)。
DSC03312 DSC03326

ヤシの葉を編んでいた主人が、屋根と壁面をヤシの葉で葺いた小屋へ案内してくれました。小屋の外側は、鳥の羽のようにヤシの葉が覆っていましたが(右写真)、天井の内側を見ると、編まれたヤシの葉が整然と組まれ、天井板を張ったかのように見えました(右写真)。
DSC03313 DSC03316

中は思ったより広く、壁面に組まれた竹の外側に、葦の葉が葺いてありました。床は竹が張られていて、隙間から下が見えました。左写真のカーテンの向こうは寝る場所になっているようです。小屋の隅には、水の入ったタンクが置かれ、調理なべも置いてありました。青いスニーカーがあったので、大きい息子さんがこの小屋で寝ているのかも知れません。
DSC03319 DSC03318

小屋から出て見上げると、葉の切り取られたヤシの木が数本ありました(左写真)。元の場所に戻ると、井戸のそばのバナナの木に、大きな房のバナナが実をつけているのが見えました(右写真)。
DSC03315 DSC03330

家族が集まっている光景は、どこの国でも、見る人を優しい気持ちにさせます。内戦が終結し約30年、カンボジアの人々は、若者たちを中心に、ようやく平和の時間を享受できるようになってきているようです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

稲の脱穀

コック・ソノット村の道沿いには、高いヤシの木が多く見られました。左写真の建物は、店のようでしたが、この時は閉まっていました。その前にいた、子どもを連れた男性の家に、立ち寄らせてもらいました。住居は細い道の奥にありました(右写真)。
DSC03262 DSC032671

家の前庭には、刈り取られた稲穂を積んだ荷車があり、2人の女性が忙しそうに働いていました。彼女たちは、母娘のように見えました(左写真)。DSC03276

母親と思われる女性は、籠に入れたモミを、高いところから振り落としながら、モミに混じった藁やごみを風で飛ばしていました。2mほど離れた場所に、赤い扇風機とバッテリーが置いてありました。風を利用して、モミと藁くずなどを分ける方法は、昔ながらの脱穀方法(風選)です。風の強さと方向とを測りながら、風が弱い場合は、扇風機を使って風を起こしているようでした(右写真)。
DSC03270 - コピー DSC032751

振り落されて、平たいザルに溜まったモミの中から、ごみや石などを丁寧に選り分けていました(左写真)。その後、ザルを振って軽いごみをうかせ(右写真)、それを取り除きます。彼女は、こうした一連の作業を何度も繰り返していました。
DSC03283 DSC03278

荷車の後ろに廻り込むと、藁の山の中でも、帽子の上からクロマーをかぶり、手袋をした女性が見えました。彼女は、刈り取ってきた稲を、丸い木の輪に叩きつけて、稲穂からモミを落とす脱穀の作業を行っていました。こうして脱穀したモミを、先ほどの母親が風選でモミを選別していたのです。
DSC03288 DSC032951

家の前で水をバケツに入れていた女性が、そのバケツを持って家の裏の方へ行きました(左写真)。裏には牛のえさ場があり、数頭の牛が見えました(右写真)。この家では、母と2人の娘を中心に農業が営まれているようでした。
DSC03273 DSC03292

屋敷の奥(北)を、東西に川が流れています。木橋の向こう側に建つ家の前に、お椀を伏せたように丸く積まれた稲わらが見えています。これは、脱穀機によってモミと分けられた藁が、飛ばされてできた藁の山です。DSC03291

農家の庭に、高く積み上げられた藁の山は、脱穀機で作業を行ったことを示しています。脱穀機を持った業者は、村の家々を回り、脱穀作業を請け負いながら、玄米も買っていくようです。カンホジアでは、精米技術が未発達のため、多くが玄米のままベトナムなどに運ばれているという現実があります。

写真/文 山本質素、中島とみ子

コック・ソノット村

西バライ北の土手沿いに建っていたコック・ソノット小学校から、土手を200mほど下って行くと、赤土の道路に出ました。東西を走るこの道路沿いに、コック・ソノット村が広がっています。道の北側は、西バライの土手へとつながり、南側には、家々の後ろ(南側)に田んぼが広がっています。そして、コック・ソノット村の東は、すでに紹介したコック・ベン村に続き、西は、後日紹介するピエム村へと続いています。西バライの土手とほぼ並行して走るこの道路は、最近整備されたようで、歩くと赤土がフワフワしていました(2013年12月撮影)。
DSC03230 DSC03231 DSC03262 DSC03254

家々は、道路から奥まったところに、数棟が集まって建っていました。多くの住居は高床式家屋で、壁面は板やヤシの葉で覆われていました。
DSC03258 DSC03257 DSC03342 DSC03242

下2枚の写真の高床式家屋は、長い(高い)柱で支えられていました。右写真の家屋では、下にいる女性の背丈の倍位の長い柱が使われていました。
DSC03235 DSC03247

ある屋敷内に人が見えたので、入っていくと、料理をしている女性と2人の少女がいました(左写真)。女性は、小さい石のすり鉢で何かを混ぜ合わせていました。台の上には、空芯菜と魚の入った皿と、野菜を薄く削いだものが置かれていました(右写真)。
DSC032381 DSC03239

ハンモックで休んでいる女性は、少女たちの祖母なのでしょう。男性の姿も見えましたが、右上写真に1000リエル札が2枚台の上に置かれていたので、この男性は食事をしに来たのかもしれません。
DSC03240

牛車を修理している男性も見かけました。1人は車体の下、もう1人は柄の部分を修理していました。
DSC03255 DSC03248

道路沿いに立つネアクタの奥に、豚小屋がありました。まだ生まれたばかりの子豚が7~8匹と親豚が飼われていました。
DSC03336 DSC03339

木の枝に、網と魚篭などが干されている家があったので、立ち寄らせてもらいました。コック・ソノット村は、西バライに舟を出して漁ができるのかもしれません。奥に広がった屋敷内には、もう2棟の高床式住居が建っていました。
DSC03361 DSC03360

コック・ソノット村の通りを歩いていると、バナナの木がたくさん植えられているのがわかります。左写真の家の庭には、青いバナナが幾房も置いてありました。右写真では、枯れたバナナの木の横に、たくさん房を付けた木があり、その左には、植えたばかりと思われるバナナの木も見えました。バナナの木は、1年ごとで枯れてしまうそうですが、1年中温暖なカンボジアでは、順次バナナの木が育っていくのでしょう。
DSC03233 DSC03261

赤土の道路と、高く伸びたヤシの木、そして家々の周りに植えられているバナナの木が、この村の風景を明るく感じさせていました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

西バライ土手の小学校

西バライ北側の土手を、東方向に車を走らせていくと、突然、土手の脇に店が現れました(左写真)。周りを見回すと、土手の反対側に学校がありました。少し手前で「Kok Thnot Village 480㎞」と記された道しるべを見かけましたが、道しるべの480㎞は480mの書き間違いで、ここがKok Thnot Village(コック・ソノット村)のようでした(右写真)。
 DSC03173 DSC03167

学校の校門の上には、「Kok Thnot Primary school」とありました。大きな木々で囲まれて、西バライの土手に建つこの小学校は授業中のようで、校庭は、ひっそりしていました(左写真)。見ていると、1人の男の子が校庭に出てきました(右写真)。
DSC03169 DSC03170

すると、校舎の中から、生徒たちが次々に出てきました。時間は8時40分頃でした。
DSC03178 DSC03185

校庭に出てきた生徒たちは、そのまま校門を抜けて、土手の向こうの店へと歩いていきました。土手の道は、生徒たちでいっぱいになりました。
DSC03223

低学年の生徒たちも、手に手にリエル札を持って、店を囲みます。彼らが握っているリエル札は、100リエルや500リエルのようでした(左写真)。イカをのして味付けをした食べ物が人気のようで、多くの生徒が買っていました(右写真)。
DSC03204 DSC03203

店には、飴やチョコレート、木の実を砂糖でまぶしたもの、一口大に切ったクッキーのような菓子パンなどが並んでいました。
DSC03194 DSC03190

食べ物だけでなく、おもちゃなども売られていました。女の子たちが集まっていたのは、イヤリングの入った袋の前でした。右写真の女の子も、イヤリングやネックレスをつけていました。
DSC03188 DSC03211

コック・ソノット小学校の前は、おやつを食べる子供たちの笑顔であふれました。
DSC03208

白いブラウスに紺のスカートの制服姿の女の子の中に、襟にキティちゃんの刺繍のついたものが目につきました。支援として贈られたものなのでしょうか。最近(2014年7月)、イオンモールの専門店として、サンリオ・ギフトゲートがオープンし、店内の入口にはキティちゃん型のゲートが作られたそうです。

写真/文 山本質素、中島とみ子