SUWON学校の西隣に、村の寺院と墓地があります。写真の奥正面に見えるのがSUWON学校、左側に続いている塀が寺院で、道を隔てた右側に墓地が見えました。寺院の塀に沿って立つ旗は「六色仏旗」と呼ばれ、1950年から世界的に仏教徒のシンボルになりました。旗の色については、青は仏陀の頭髪の色で「定根」をあらわし、黄は仏陀の身体の色で「金剛」を、赤は仏陀の血液の色で「精進」を、白は仏陀の歯の色で「清浄」を、樺(橙)は仏陀の袈裟の色で「忍辱」をあらわすそうです(参照:ウィキペディア)。
寺院の塀は100m以上も続き、その上にずらりと並ぶレリーフは、バンテアイ・クディ遺跡やタ・プロム遺跡の塀を思い起こさせました(左写真)。*バンテアイ・クディ遺跡情報/ 位置:アンコールワットから約4㎞北東。スラスランの西/ 建立:12世紀末、ジャヤバルマン7世治下の仏教寺院 /*タ・プローム遺跡情報/位置: アンコールワットから北東へ直線距離で4km弱/建立: ジャヤヴァルマン7世(1181~1220頃)が仏教寺院として創建。後にヒンドゥ-教寺院に改修される。
右写真は、道路沿い(南側)に建つ門です。両側をシンハ像が護り、その上には聖鳥(?)も見えました。
門のレリーフには、デバター像とその上に仏陀像が刻まれていました(左写真)。右写真は、門の外から見えた寺院敷地内の様子です。木々がまだ小さいことなどなどから、この付近の建物は、近年建立されたもののようです。スピーカー(拡声器)も設置されていました。
一方、道路を挟んだ山側の、階段を上った場所にも、寺院のような建物がありました(左写真)。屋根の部分を拡大してみると、ナーガで飾られた屋根の下に、カーラと踊るシバ神が描かれていました。このモチーフは、東メボンの中央祠堂やバンティアイ・スレイなど、アンコール遺跡で見られたものでした。*東メボン遺跡情報/ 位置:アンコールワットから北東へ約7.5㎞ / 建立:ラージェンドラヴァルマン(944~968)により952年に東バライの中に建立。*バンテアイ・スレイ遺跡情報/ 位置:アンコールワットから北北東へ約24㎞ / 建立:ラージェンドラヴァルマン(944~968)治世の967年に、バラモンで王師のヤジュニャヴァラーハが建立に着手。
建物を横から見上げると、天井に仏陀が描かれていました(左写真)。建物の西側に墓地があり、木の苗がたくさん植えられていました。それらは動物に食べられないように、四角に囲ってありました。火葬後の骨を治める塔の下には、トタン屋根の墓や青色の墓が見えました。
シンハ像が飾られた墓もあります(左写真)。漢字の墓碑銘を持つ右写真の墓は、中国系の人の墓でしょう。
奥まった場所に、屋根架けをした墓がいくつもみえました(左写真)。トタンの屋根は、右写真に見るように、土葬した墓穴の上につくられています。
プノム・クロム村では、墓地側の古い寺院の建物に、ヒンドゥー教の神シバ神が見られたのに対して、新しい寺院の門には、仏陀像が彫られていました。2つのレリーフの異なりは、カンボジアが、仏教国として進んでいく方向を見せているように思えました。
写真/文 山本質素、中島とみ子