村の寺院と墓地

SUWON学校の西隣に、村の寺院と墓地があります。写真の奥正面に見えるのがSUWON学校、左側に続いている塀が寺院で、道を隔てた右側に墓地が見えました。寺院の塀に沿って立つ旗は「六色仏旗」と呼ばれ、1950年から世界的に仏教徒のシンボルになりました。旗の色については、青は仏陀の頭髪の色で「定根」をあらわし、黄は仏陀の身体の色で「金剛」を、赤は仏陀の血液の色で「精進」を、白は仏陀の歯の色で「清浄」を、樺(橙)は仏陀の袈裟の色で「忍辱」をあらわすそうです(参照:ウィキペディア)。
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寺院の塀は100m以上も続き、その上にずらりと並ぶレリーフは、バンテアイ・クディ遺跡やタ・プロム遺跡の塀を思い起こさせました(左写真)。*バンテアイ・クディ遺跡情報/ 位置:アンコールワットから約4㎞北東。スラスランの西/ 建立:12世紀末、ジャヤバルマン7世治下の仏教寺院 /*タ・プローム遺跡情報/位置: アンコールワットから北東へ直線距離で4km弱/建立: ジャヤヴァルマン7世(1181~1220頃)が仏教寺院として創建。後にヒンドゥ-教寺院に改修される。
右写真は、道路沿い(南側)に建つ門です。両側をシンハ像が護り、その上には聖鳥(?)も見えました。
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門のレリーフには、デバター像とその上に仏陀像が刻まれていました(左写真)。右写真は、門の外から見えた寺院敷地内の様子です。木々がまだ小さいことなどなどから、この付近の建物は、近年建立されたもののようです。スピーカー(拡声器)も設置されていました。
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一方、道路を挟んだ山側の、階段を上った場所にも、寺院のような建物がありました(左写真)。屋根の部分を拡大してみると、ナーガで飾られた屋根の下に、カーラと踊るシバ神が描かれていました。このモチーフは、東メボンの中央祠堂やバンティアイ・スレイなど、アンコール遺跡で見られたものでした。*東メボン遺跡情報/ 位置:アンコールワットから北東へ約7.5㎞ / 建立:ラージェンドラヴァルマン(944~968)により952年に東バライの中に建立。*バンテアイ・スレイ遺跡情報/ 位置:アンコールワットから北北東へ約24㎞ / 建立:ラージェンドラヴァルマン(944~968)治世の967年に、バラモンで王師のヤジュニャヴァラーハが建立に着手。
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建物を横から見上げると、天井に仏陀が描かれていました(左写真)。建物の西側に墓地があり、木の苗がたくさん植えられていました。それらは動物に食べられないように、四角に囲ってありました。火葬後の骨を治める塔の下には、トタン屋根の墓や青色の墓が見えました。
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以下に、道路沿いに見えた墓地の写真を掲載しました。
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シンハ像が飾られた墓もあります(左写真)。漢字の墓碑銘を持つ右写真の墓は、中国系の人の墓でしょう。
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奥まった場所に、屋根架けをした墓がいくつもみえました(左写真)。トタンの屋根は、右写真に見るように、土葬した墓穴の上につくられています。
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プノム・クロム村では、墓地側の古い寺院の建物に、ヒンドゥー教の神シバ神が見られたのに対して、新しい寺院の門には、仏陀像が彫られていました。2つのレリーフの異なりは、カンボジアが、仏教国として進んでいく方向を見せているように思えました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

村のネアクタ

プノン・クロム村は、プノン・クロム山の北すそ野に1㎞ほど続いています。左写真は、村の北東に広がる田を、63公道から撮影したもので、右写真は、村の北西に広がる田を、プノン・クロム村の西隣にあるCHONG KHNEAS (チョンクニエス)村の方向から撮影したものです。
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北側に広大な田を持つプノン・クロム村を歩くと、道沿いにたくさんのネアクタを見かけます。ネアクタは、すでにロハール村などで紹介したように、土着信仰の精霊を祀る祠(小屋)として、カンボジアの農村に多く見られます。ネアク=人、タ=ご先祖様、という言葉が示すように、祖霊崇拝としての意味も持ち、特に稲作をおこなっている人々の間で祀られてきました。
以下に、村の山側に建つ家々のネアクタから紹介していきます。村の入口の門近くには、店舗が並んでいますが、その一画にもコンクリート製のネアクタが建っていました(左写真)。少し進むと、高床式住居の道沿いの木陰に、木製のネアクタが2つ見えました(右写真)。
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道路より一段高くなった道路沿いの茂みに、木製のネアクタと、カンボジアの国旗が立っていました。その右の茂みにも、コンクリート製のネアクタが見えています(左写真)。右写真のコンクリート製のネアクタも木の下に建っていました。
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ネアクタは、子供たちの成長を見守る役目も持っているのかもしれないと思わせる光景に出合いました。道路沿いに建つネアクタと木の間から、2人の女の子が、家から出てきた母親の元へ、急いで走って行く様子が見えました。
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トタンぶきのネアクタが、ヤシの葉で葺いた家屋の前に建っていました(左写真)。近づいて見ると、周りを欄干のように囲ったネアクタの中に、線香立てとその左右に金銀の紙で作られた三角形の山のようなものが供えてありました。須弥山を象ったものなのでしょうか。
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ネアクタ(小屋・祠)は、家を建てる際、その土地の精霊であるネアクタに住みかを移ってもらうために建てられます。その場所は、方角が良いとされる北東の隅が選ばれるそうです(参照:http://angkorvat.jp/doc/cul/ang-cultu2080.pdf)。
左写真の家では、階段の外側にコンクリート製のネアクタが建っていましたが、この場所が、家の北東隅に位置づけられるのでしょう。ヤシの葉で編んだ壁面の家の前に、ナーガの欄干で囲まれたコンクリート製のネアクタがありました。ずっと祀りつづけられている様子が、線香立てとおそろいの水入れに緑の枝が供えてあることからもわかりました(右写真)。
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道沿いに並ぶネアクタは、その家とほぼ同じ時期に立てられたことを想像させました。DSC07541

入口の門から700mほど西の道路沿いに、松明のような紙飾りをつけた棒が立っていました。正月の飾りでしょうか(左写真)。ここで引き返し、以下の写真は道路北側の風景に変わります。北側には店舗なども多く、新しいコンクリート製のネアクタが道沿いに見えました(右写真)。
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左写真の建物はレストランかもしれません。高床式2階に、輪の中に星飾りのある正月飾りが下がっていました。ネアクタは近年たてられたもののようで、横にはカンボジア国旗が見えました。右写真のネアクタのそばにも、国旗が立てられています。
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傘をさしたネアクタがありました。面白いので写真に撮りましたが、傘を乾かしているのでしょう(左写真)。ヤシの実をぶら下げているネアクタもありました。こちらはお供え物なのでしょうか(右写真)。
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村の寺院を西側から写したのが左写真ですが、その手前に建つネアクタと、形がよく似ています。寺院の形を模したようなコンクリート製のネアクタは、シェムリアップ市街地で製造販売されていました(右写真)。
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プノン・クロム村では、古くからのネアクタが多く見られる山側の家々に比べて、新しい店舗などが建つ北側では、色も形も華やかなコンクリート製のネアクタが目につきました。コンクリート製のネアクタの販売によって、土地の精霊(ネアクタ)もカンボジア文化の1つとして、経済活動に組み込まれていくようです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

SUWON 小・中学校

プノン・クロム村入口から400 mほど西に、 SUWON PRIMARY & MIDDLE SCHOOL(スウォン小・中学校)があります。校門には、2008年11月18日に、韓国の支援で学校が建設されたと書かれていました(左写真)。前回紹介した制服姿の少年少女たちは、午前の授業を終えて家へ帰る途中の、この学校の生徒だったのです。
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韓国とカンボジアの国旗が掲揚されている校庭から、男子小学生と一緒に中学生の女生徒たちも出てきました。後ろの校舎には、小学生の姿が見えます。2部制をとっているカンボジアの学校では、この時間(11時少し過ぎ)には、午前の部の授業が終わるのでしょう。 DSC07487 (2)

30分後(11時半過ぎ)に再びこの学校の前を通った時、自転車が倒れる場面に遭遇しました。倒れた自転車は、女の子が運転して男の子が後ろに乗っていました(左写真)。2人はすぐに起き上がり、友達と一緒に帰っていきました。そして、誰もいなくなった校庭からは、オートバイに乗った女性が出てきました。先生なのでしょうか?
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カンボジアで教育を担当している行政機関は、「教育・青少年・スポーツ省」です。義務教育期間は日本と同じ、小学校6年間と、中学校3年間ですが、学期は10月から始まります。2学期制を採用していて、1学期が10月~4月上旬、2学期は4月下旬~7月で、8月~9月は夏休みになります。ちなみに、4月中旬はカンボジアのお正月です。
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上左写真の校舎は中学校で、シーソーなどの遊具が見える下左写真奥の校舎が小学校でしょう。学校の前を通り過ぎようとすると、塀の間からお菓子を食べている生徒たちが見えました。この学校の校内には、店が設置されているようです(右写真)。
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学校の前の空き地に、生徒たちが集まっていました。ショベルカーが置いてあったので、工事が始まっている場所のようです(左写真)。傍らのINFORMATION板には、2013年から2015年にかけて、韓国の支援で、Suwon Village Community Center at Phnom Kromが建設される旨が記されていました。DSC07597 DSC07585

生徒たちの視線の先には、木のぼりをしている女生徒がいました(左写真)。 よく見ると、すでに登っている生徒がいました。 この木も、じきに伐り倒されてしまうのでしょう。
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コミュニティセンターの建設予定地に立つこの木は、じきに切り倒されてしまうのでしょう。木の周りで遊ぶ子どもたちの姿に、土地の精霊(ネアクタ)のイメージが重なりました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

下校時のプノン・クロム村

プノン・クロム村は、プノン・クロム山を囲むように、ふもとに広がっています。プノンは「山」、クロムは「下」の意味を持つそうです。標高100mほどの山の上にはプノン・クロム遺跡と寺院があり、観光地になっています。テントがけの店が並ぶ広場には、観光客を乗せてきたトゥクトゥクも停っていました(左写真)。右写真に見える大きな門を入ると、プノン・クロム(Phnom Krom)村です。
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プノン・クロム村に立ち寄ったのは、2012年12月のことです。門をくぐると、村側にも、カゴなどの生活用品を積んだトゥクトゥクや、店舗などがありました(左写真)。村の入口付近では、半そでブラウスに紺のスカートをはいた少女が2人、はち切れそうな笑顔で写真に納まってくれました(右写真)。
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山の麓をぐるりと通る道路の両側に村は広がっています。午前11時過ぎの村の中は、午前の授業を終えて家へ帰る、制服姿の少年少女たちであふれていました。
村へ入って少し歩くと、子どもたちが、高床式の家の間を登っていきました。プノン・クロム山の中腹にも家々があるようです(左写真)。荷台に男性たちを乗せたトラクターが通ると、子どもたちは、塀よりによけていきました。彼らも昼食に家へ戻るのでしょう。プノン・クロム山の周囲(右側写真)には、広大な水田が広がっています。
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山側に建つ家々は高床式家屋が多く、その一隅に立てられたネアクタも、比較的新しいように見えました。
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村の入口から400mほど進んだところに、PHNOM  KROM SUWON PRIMARY & MIDDLE SCHOOL(プノン・クロム・スウォン小・中学校)がありました。小学生から中学生までが、この学校に通っているようです(左写真)。
村の入口からここまで、下校する生徒たちと向かい合うように歩いてきた私たちは、学校を過ぎると、生徒たちの後ろを歩くことになりました(右写真)。
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左写真の右奥に見えているのが学校の塀です。そして、左側の黄色い塀は寺院です。小学校の低学年らしい子どもたちがふざけあいながら歩いていました。足早に彼らを追い越し、振り返ってカメラを構える私に、子どもたちは、はにかんだ笑顔で答えてくれました。
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連れ立って帰っていく兄弟らしい生徒たちも見かけました。以下に、カンボジアの合計特殊出生率の推移(1980~2012年)を掲載します(単位: 人)。 引用: http://ecodb.net/country/KH/fertility.html

1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989
5.69 5.85 6.01 6.13 6.20 6.21 6.16 6.07 5.94 5.79
1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999
5.62 5.44 5.24 5.03 4.83 4.62 4.42 4.24 4.06 3.90
2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009
3.75 3.62 3.50 3.40 3.31 3.23 3.16 3.10 3.05 3.01
2010 2011 2012
2.97 2.93 2.89

合計特殊出生率が、5~6人台で推移してきたカンボジアで、1994年には4人台、1999年には3人台、そして、2010年には、2.97人と、減少傾向を捉えることができます。また、ジャイカ、カンボジアだよりApril 21,2014、No. 32によれば、乳幼児死亡率(出生1,000対)も、2000年に95人、2005年66人、2010年45人、と減少し、2015年の目標数は35人と改善傾向にあるそうです。
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学校からさらに400mほど西の道路沿いからは、下校するたくさんの生徒たちと会いました。
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合計特殊出生率の低下は、乳幼児死亡率の減少とともに、労働力としての子どもを産むという考え方から、カンボジアの次世代を担う子どもたちの育成へと、国や家族の認識が変化してきたことを示しているのかもしれません。

写真/文 山本質素、中島とみ子

水上ステーション

トンレサップ湖を訪れるたびに立ち寄る場所が、写真のレストラン(水上ステーション)です。観光ボートから降りた場所には、イケスが作られていて、そばにはネアクタが立っていました(右写真)。
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「中にワニがいます」というガイドさんの声掛けで、観光客は、いけすの中を覗き込みます。その先がレストランになっています(左写真)。見晴らし台は、レストランの上に設置されています。右写真には、屋根に設けられた階段へ向かう観光客の姿が見られます。階段を上ると見晴らし台に出ます。
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見晴らし台から見下ろした水上ステーションの一画です。観光客を乗せてきた観光ボートが何隻も停まっています。反対側の水路にも、水上レストランがあり、観光ボートが行き来していました。水路の左側(北)が船着場方向で、右側(南)がトンレサップ湖になります(2013年8月撮影)。以下に、2013年8月の写真を中心に、見晴らし台からの風景を紹介していきます。
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展望台から南方向を臨むと、浸水林が途切れた先に、トンレサップ湖が広がっている様子を見ることができます。黄色く塗られた水上寺院と思われる建物も、この方角に見えました。
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上写真の左(東)方向へ目をやると、そこにも水路があり、両側に水上住居や店舗が並んでいました。トンレサップ湖周辺に広がる浸水林の間には、人々が生活する水路が何本も通っていて、この水路もその1つです。
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北方向に見える山は、フナム・クロム山です。船着場は、フナム。クロム山の麓にあるので、水路は、この先大きく左へ曲がっているようです。
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見晴らし台の下に、水上レストランの屋根が見えているこの方向は、西です。浸水林の中に、建物が見えました。ここにも水路が通っているのでしょう(左写真)。右写真は、南西方向です。展望台には、ゆっくり風景を眺められるよう椅子も置かれていました。
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見晴らし台から降りていくと、そこには、種々雑多な土産物が並んでいました(左写真)。その一画には、レストラン用の調理場があり、たくさんの鍋が吊るしてあるのが見えました(右写真)。
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大きなワニ皮が吊るしてあるこの一画は、トンレサップ湖で行われている漁の様子がわかる展示もしてありました(左写真)。右写真は、2014年9月に撮影したものですが、トンレサップ湖での人々の暮らしを描いたカラフルな色紙が目をひきました。
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色紙の絵柄は、7つほどあるようでした。以下に①~⑦として紹介していきます。①田植え、②稲刈り、③④収穫した野菜を運ぶ。
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⑤水牛、⑥水牛の親子、⑦投網。これらの描かれている人々は、ベトナム帽(ノンラー)をかぶり、女性のシャツにはスリットが入っていました。これらの絵を描いたのは、ベトナムの人なのかもしれません。
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ノンラー(Nónは笠、Láは葉の意味)は、ベトナム全土で用いられている円錐形の藁でできた帽子です(参照:ウィキペディア)が、ロハール村の稲刈りでも、女性たちがかぶっているのを見かけました。隣接するカンボジアとベトナムとは、物資の移動が容易なために、生活文化も似通っているように思えました。
ベトナムとカンボジアは、ラオスを含めて、かつてフランス領インドシナと呼ばれていた歴史を持ちます。

写真/文 山本質素、中島とみ子

トンレサップ湖

船着場から、ボートハウスと浸水林の間を20分ほど進んでいくと、水路の両側に、大きなレストランが見られるようになります。以下に2013年8月撮影の写真を中心に、トンレサップ湖とその入り口付近にある水上レストランを紹介します。
左写真のレストランの見晴らし台には、カンボジアと韓国の国旗がはためいていました。右写真もレストランで、カンボジアの国旗が立てられています。レストランの周りには、観光客目当てに小さなボートに乗った女性と子供たちが集まってきていました。
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左写真のレストランは休憩する場所で、トンレサップに関するミニ資料館のようになっています。次回、水上ステーションとして紹介したいと思います。右写真は、水上寺院のようでしたが、2014年9月に訪れた時には、観光船の通る水路には見えませんでした。
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大きな船のレストランもトンレサップ湖手前の浸水林沿いに停泊していました(左写真)。同じ船のレストランが2012年12月には、水路を抜けた湖の中にありました(右写真)。水上レストランは、水深が変化する乾季と雨季で、また何かの理由から、水上を移動しているのでしょう。右写真手前に見えているのは、漁業の網が仕掛けられている場所のようで、父子らしい2人が様子を見に来ていました。
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湖上はるか遠くを大きな船が通っていきました。プノンペンとシェムリアップを通う定期船です。拡大したものを右写真として載せました。プノンペンからシェムリアップへの河川航路の国内の旅客数は、2009 年の2万109 人から、2010 年には1万3000 人に減っていますが、ベトナムのカンティヌン港からの外国人旅行者は、2009 年の1万7250 人から、2010 年の2万1000 人に増えていて、外国人旅行者にはクルーズが人気のようです。参照:http://www.jterc.or.jp/koku/koku_semina/pdf/100910_follow.pdf
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観光ボートは、トンレサップ湖面が周囲360度広がっている場所までいき、やがて、引き返します。私たちがどのくらいまで進んでいったのか、ガイドさんに尋ねたところ、水上ステーションに貼ってあった地図の上で、湖を縁取る「線」を示しました。私たちは、トンレサップ湖のほんの入り口、水路の出口までを見てきただけのようです。
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電波塔が2か所に立っていました。
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現在、クルーズ観光用の航路の水深は4mですが、将来は5mにする計画もあるそうです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

舟の修理

トンレサップ湖では、舟が暮らしのすべてに関わっています。漁をするための漁船、荷物を運んだり移動するための交通手段、そしてもっとも重要な住居として。今回は、観光船から撮影した写真から、舟を修理する人々の様子を紹介します。
写真は、2014年9月(雨季)に撮影したもので、場所は63公道の南端あたりです。周囲は水没し、陸地として残っているこの場所で、5人の男性が舟の修理をしていました。テントを張った下では、舟にペンキを塗っているようです。舳先の魔除けの2つの目がこちらを向いていました。
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以下に紹介する10枚の写真は、2012年12月(乾季)のものです。
船着場近くの船どまりでは、水から上げられてペンキ塗装を終えた観光船がありました(左写真)。水路脇の陸地に舟をあげて、点検している夫婦らしい男女の姿も見えました(右写真)。
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木肌も新しい作りかけの舟が見えました。手前の舟と比べると数倍も大きく、小屋の外にはみ出した部分には、テントが張られていました。ここは、舟を製造する水上工房のようです。DSC07235

舟の艫部分の舟板はまだ貼られていなくて、奥には、横倒しになった古い舟が置いてあるのが見えました(左写真)。舳先の方では、集まって休んでいたのは舟職人たちのようです(右写真)。
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長い大きな舟が停まっていました。舟の中では男性たちが何か作業をしているようです。
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近づくと、大きな舟の内側にも少し小さい舟が停まっていて、ほかにも、数隻の舟が見えました。これらの舟は、1軒のハウスボートの周りを囲むように集まって停められていました(左写真)。工具などが積まれた舟も停まっていて、滑車も設置されていました。りホームの作業が行われている最中にも見えました(右写真)。
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青く周りを塗られた2つのドラム缶が目につきました。近年、ハウスボートを浮かせるために、以前使われていた木の枝や竹などに変わって、現在はドラム缶が使われるようになっています。作業を見守る監督者らしい男性の帽子に、アンコールワットのようなマークがついてるのが見えます。
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水路を進んでいくと、乾季で水上にその幹をあらわにした浸水林の下でも、舟の修理や制作が行われていました。水上に浮かぶ台の上に舟を引き上げて、点検修理をしていたり(左写真)、その近くには、新しい舟を作っている場所もありました(右写真)。
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トンレサップ湖周辺では、人々の暮らしは水上で完結されているようです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

トンレサップ湖の漁業

トンレサップ湖周辺は、良い漁場になっています。、雨季と乾季で水量が大きく変化するために、乾季には陸地であったところが雨季には水につかり、大量のプランクトンが発生し、プランクトンを主食とする淡水魚がたくさん生息しているからです。
トンレサップ湖の水位の変化は、雨季にメコン川の上流にあたる中国やラオス側で降った雨が、プノンペン付近で逆流することによっておこります。地図で確認すると、中央左側に細長く伸びた湖がトンレサップ湖で、湖から南のプノンペンへと流れているのトンレサップ川です。一方、ラオスの国境を越えて南下したメコン川は、途中から西へ流れを変え、プノンペン付近で再び南下を始めます。こうした2つの川の位置関係によって、雨季には増水したメコン川の河水がトンレサップ川を逆流してトンレサップの湖に流入するという現象が起こります。そして、乾季 (11月~4月) には長さ約 150km、幅約 35km、面積約 2700km2 だったトンレサップ湖が、 雨季になると約3倍に広がるのです。
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2014年9月(雨季)、観光船が通るトンレサップ湖の水路沿いには、漁の網を広げている家族の姿がありました(左写真)。網を修復している男性も見かけました(右写真)。雨季の増水期には、産卵親魚を保護するために、トンレサップ川は禁漁になっているそうです。
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乾季には、水位が低くなった水路沿いのあちらこちらに表れた陸地の上で、多くの人たちが網を干している姿が見られました(左写真)。子どもたちも、土の上に棒を立てて遊んでいました(2012年12月撮影)。
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水位が下がってくると、魚は浸水林(しんすいりん)から湖心に向かって湧いたように出てくるのだそうです。 トンレサップ湖の漁業について、わかりやすい記述がありましたので、以下に、引用しました。
メコン川上流(Kampong Cham)付近に生息する親魚の一部は、プノンペンまで流されるとそこにはゆっくりとした流れのトンレサップ川があり、本流は激流です。これ幸いとトンレサップ川に入り、ゆっくりと流れに任せると広大なトンレサップ湖に着きます。湖の周囲は段々と浸水し、田んぼから森や藪まで浸水です。そして浸水した森や藪(浸水林、Water Forestといいます)で産卵し、稚魚が育つのです。
http://www.howtocambodia.com/magazine-02/story_of_fish.htm
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水路を30分ほど進んだところに、毎回立ち寄る水上ステーションがあります。トンレサップ湖に関する写真をはじめ、漁の道具なども展示されています。掲載した魚の写真はその一部ですが、こんなにたくさんの種類が生息しているのかと驚くほどです。体重100kgを上回るメコンオオナマズ(Pangasius gigas) やフグなど600種類以上の淡水魚が生息していて、トンレサップ水系で採れる魚は、カンボジアで暮らす人々のタンパク質摂取量の60%ほども占めているそうです。
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左写真は、トンレサップ湖における乾季と雨季の面積の変化を示した写真です。また、浸水林についても絵入りで説明されていました(右写真)。浸水林は、大きなものでは高さ10mにもなり、水に浸かっていても枯れることがないので、その下でたくさんの魚が生息しています。しかし、浸水林は近年減少の一途をたどり、1930 年代には100 万ha あった浸水林面積が、今日では約4 分の1以下になっているそうです。(参照:https://www.env.go.jp/nature/satoyama/syuhourei/pdf/cwj_9.pdf
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漁具や、漁の方法を模型化したものも展示されていました。漁法としては、湖面では、Fishing Lot(湖面に数kmの竹柵、垣根のようなもので垣網といいます)を張り、魚を通せんぼします。魚は柵に沿って深みへ、深みへと行きますが、そこには大きな竹篭が待っており、一旦入ったら出られません。トンレサップ川ではDai漁業が待っています。Dai漁業とは川を竹柵で仕切り、3箇所ほどに直径4~5m、長さ150m~200mの袋状の網(Bag net)を仕掛けます。水の流れとともに流れてくる魚を漁獲します。http://www.howtocambodia.com/magazine-02/story_of_fish.htm
右写真奥に、竹の垣根のように見えているのが、Fishing Lotでしょうか。
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雨季と乾季で極端に水位が変化するトンレサップ湖周辺では、漁業を生業とする人々は、乾季は陸地、雨季は水上となる場所に、集まって暮らしていました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ペインティング模様

トンレサップ湖を初めて訪れた2012年には、左写真のように、ヤシの葉で編んだ覆いをかけた舟とヤシの葉で葺いた屋根の店舗を見かけました。その後、訪れた2013年8月、2014年9月には、水路沿いにこうした光景は見られなくなっていました。そして、水路沿いにはペインティングされた店舗やボートがたくさん並んでいました。右写真のボートは、ヤシの葉で葺いた屋根の上に、ビニールテントがかぶせてあります。
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ペインティングされた店舗は2012年にも見られましたが、その数が増え、より鮮やかになっていました。ペインティングは、屋根下の三画の部分と屋根先は鮮やかな色彩で模様が描かれていて、テラスや壁面は、ブルーやグリーンのペンキで塗られていました。
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屋根下のペインティング模様は、日の出のように、一点から色の光が上に広がっているものがほとんどで、ボートの舳先を連想させました。その色合いや幅は、少しづつ異なっていましたが、最近塗り替えられたと思われるもののほとんどすべてに、こうしたペインティングがされていました。
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 2014年には、人々の暮すハウスボートにも、おなじような模様がペインティングされていました。
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観光船から見ると、水路に沿ってハウスボートとボートが並んでいる光景は、その色彩と模様とが似通って見えました。
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船には、魔よけの意味で目が描かれることが一般的です。水路につながれている舟にも、舳先の両側に目が描かれていました。舳先の先端に、巴のような模様も描かれていました。
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日本では、巴は水が渦巻いている姿を文様にしたものです。また、星印は一筆で描けることから、魔が入らない、あるいは封じ込めるという意味を持つとされ、世界各地で魔除けとして用いられているものです。

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陸上で暮らす私たちは、ボートは乗り物で、ハウスボートは居住する家と分けて考えますが、水上で暮らす人々にとっては、ボートもハウスボートも、同じ生活する家なのでしょう。
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水路沿いに墓地がありました。その石碑にも巴の模様が見えました。
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トンレサップ湖へ続く水路での目に見える変化の1つに、水路沿いに並ぶボートやハウスボートのペインティングの増加があります。そして、そこに描かれた模様には、水上で暮らす人たちの生活が反映しているようです。ペインティングのためのペンキ等は、シェムリアップ州政府の支援によって提供されたものなのでしょうか?

写真/文 山本質素、中島とみ子

水上の暮らし2013

下写真は、2014年9月の船着場へ戻る水路の左側の様子です。右端のハウスボートにはテレビアンテナが立ち、赤い張り出し屋根には、太陽光パネルらしいものが見えます。その北(写真右端)にフナム・クロム山が見え、その間の水路左側には、住居らしいものは見えません。DSC07406

2014年の上写真と同じ場所を、2013年8月にも撮影してありました。2枚を見比べると、2013年に青いハウスボートのあった場所には、緑色に塗られた2棟のハウスボートがありました。ヤシの葉で葺かれた屋根の物置も、緑のトタン板で囲ってありました。DSC00276 - コピー

そして、2013年8月には、赤い張り出し屋根に太陽光パネルはなく、その下では、ベトナム帽をかぶった祖母が小さな舟で遊ぶ男の子を見守っていました。
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2013年には、赤い張り出し屋根を持つハウスボートから北側にも、人々が暮らすハウスボートが見られました(下4枚写真)。
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一方、南側には、人々の暮らすボートハウスが多く見られました。左写真には、ボートハウスにつながれたテントで囲ったボートハウスの中に、男の子と、その家族らしい人たちの姿が見えました。右写真に見えるボートハウスも、生活の場になっているようでした。
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水路沿いには、いくつものボートハウスが並んでいました。ちなみに、これらのボートハウスは、2014年9月にはこの場所に停まっていませんでした。
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下2枚の写真に見える大きなボートハウスは、2014年にも見られました。DSC0026 DSC07211

ボートハウスの中での、人々の暮らしも垣間見られました。左写真では、ハンモックに横になった男性と、少年が、そして右写真には、小さな男の姿が見えました。
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ヤシの葉で葺いた屋根のボートハウスが並んでいました。小学校の付近にあるこれらのボートハウスは、小学校に通う子供を持つ家族たちのようです。
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水路がトンレサップ湖に注ぐ付近には、何軒もの大きな水上レストランがあります。左写真の、韓国とカンボジアの国旗を掲げたレストランは、韓国資本の店なのでしょうか。

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2013年には、どのレストランの前にも、ボートやタライボートに乗った女性や子どもたちが集まっていました。彼らは、レストランを訪れる観光客に、首にヘビを巻いた子どもたちの写真を撮らせたり、ジュースなどを提供して、お金を得ようと集まっていたのでした。
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2014年9月には、レストランや水路で、地元の女性や子どもたちが観光客と接触する光景は見られなくなっていました。各国の支援を受けて経済成長を始めたカンボジア王国で、トンレサップ湖で暮らす人々にも、自立を求める一歩が、動き始めたように思いました。

写真/文 山本質素、中島とみ子