プレアアントンで昼食

プリア・アン・トム寺院の入口周囲には、食堂や土産物店が並んでいました。アンコール王朝の始まりの地とされるプノン・クーレンは、現在では、上座部仏教の聖地として人々の信仰を集め、クメール正月には、たくさんのカンボジアの人々が初詣に訪れるそうです。カンボジアでは、1月のインターナショナル・ニューイヤー、2月の中国暦の旧正月、そして4月のクメール正月と、年3回の正月があります。
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食堂の店先に、焼いた魚や鶏肉などが並べられていました。他の観光地の屋台などでも見かけた魚や肉に混じって、ここでつくられたと思われるピクルス(漬物?)などがビニールに入って売られていました。写真の食堂で昼食をとることになり、店先で鶏肉などを選びました。選んだ鶏肉は、店の女性が焼きなおして棒から外し、まな板の上で切り分けてくれました。
CIMG0683 CIMG0685鶏を切る

店先にいた若い女性(上右写真奥)が店内に入り、鍋にご飯を盛り付けてくれました。彼女のふるまいから、出産のために村に里帰りをしているように思えました。切り分けた鶏肉やキュウリにご飯を添えて昼食になりました。
CIMG0699 CIMG0688途中。8人で

食堂の壁面の床と壁とに、神棚のようなものが祀られていました。同じような棚は、シェムリアップ市街地のホテルやレストランでも見かけました。中国系の人たちから始まった商売繁盛を祈願するこのような棚は、最近の流行で、カンボジアの人たちの間でも祀られるようになっているそうです。お供え物の数は奇数とされ、この店でも5つのカップが供えられていました(左写真)。屋根下の梁からは、くすだまが下がっていました。食堂から見えた向かい側の店々には、衣類などがたくさん並んでいるのが見えました。
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衣類が並ぶ店先に、買い物をしている僧侶たちの姿がありました。僧侶たちを乗せてきたのでしょうか。通りには数台のバイクが停まっていました。店番の女性や傍で遊んでいる子供たちは、プレアアントン村に住んでいるのでしょう。
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左写真の衣料品売り場に、ボディマネキンに巻かれた僧衣が置かれているのが見えました。僧侶たちはこうした店で僧衣を購入しているのでしょうか。多くはありませんでしたが、観光客も訪れていました(右写真)。
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私たちが訪れた12月27日のプレアアントン寺の周辺は、観光客の姿は多くはありませんでしたが、店にはたくさんの品物が並んでいました。クメール正月には、カンボジア国内から多くの観光客を集めているこの場所は、プリア・アン・トム寺院の僧侶や村人にとって、日常生活を支えてくれる市場にもなっているのでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

プレアアントンの涅槃仏

プノン・クーレンの麓にある入場券売り場(左地図左上隅)から南東に13kmほど登っていくと、プレアアントム(プレアアントン)村に着きます。左地図で、赤丸は村を、茶色の四角は寺院や遺跡などを示しています。プレアアントン村の右横の黄色いスツーパが涅槃仏のある場所です(参照: http://krorma.com/ruins/phnom_kulen/)。村の入口に並ぶ店の奥に、磨崖仏寺院プリア・アン・トム (Preah Ang Thom)の塀が見えます(右写真)。
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プリア・アン・トム寺院へ入ると、カンボジア国旗と仏旗を背負っているように見えるシュヌ神像が立っていました。境内ではお供え用の花などが売られていました(左写真)。涅槃仏へ向かって、奥に見える石段を上って行くと、石段の脇に象や鹿の石像が見えました(右写真)。
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石段を少し上ったところに大きな石門があり、その前をガルーダ、ナーガ、シンハ、虎などの像が護っていました(左写真)。門の上部には、仏陀の両側に壺を持った僧侶が見えました。薬壺なのでしょうか。プリア・アン・トム寺院は、802年にジャヤヴァルマン2世がアンコール朝を起こした時期を起源とします。その後、プノン・クーレンは王家を象徴する聖地として、アンコール朝歴代の王たちがこぞって周辺に寺院を建立し庇護してきた歴史を持ちます。プレアントン寺は、ヒンドゥ-教が盛んであったアンコール時代には、多くのエイセイ達が修行に励んでいたことが想像され,周囲にもエイセイの名前がついた祠や住居跡が残されています(参照:http://blog.canpan.info/acupuncture/archive/115)
CIMG0641涅槃仏の寺へ CIMG0641涅槃仏の寺へ - コピー

石門の前(左写真)や門の下(右写真)で、村人が敷物の上に鹿の角や薬草、木の実などを並べて売っていました。
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売られていた薬草や木の実は、プノン・クーレンで採取されたものなのでしょう。驚いたことに黒い鹿(?)の頭や毛皮まで並んでいました(左から3番目の写真)。鹿の頭の左後ろに並ぶ小さな像の中に、手に急須を持った「エイセイ」の像を見かけました(拡大して右隣りに掲載しました)。「エイセイ」は、クメール伝統医療に習熟していた修験僧のことで、ヒンドゥ-教が盛んだったアンコール時代には、山に籠もって修行をする人々がたくさんいたことが知られています
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上っていくと、赤い砂岩でつくられたお堂がありました。入口のリンテルに彫られていたのは「カーラ」でした。周りには僧坊なども建っていました。
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上ってきた人たちは、境内にある井戸で足や手を清めて涅槃仏の参拝に向かいます。井戸の中には「横たわるビシュヌ神像」が置かれ、井戸の横にはリンガもつくられていました。私たちが近づくと、井戸の傍にいた白服の男性が、銀色のボトルに入った水をリンガの上に流しかけてくれました。「お布施をした方がいいでしょう」というガイドさんに従って、お布施箱に1ドル入れました。井戸の後ろには大きな岩が迫っていました。
CIMG0656 - コピー (2) CIMG0646リンガの聖水で手を洗う

大きな石の下にはネアクタが祀られ、その前は伝統楽器を置かれたステージのようになっていました(左写真)。靴を預かる少年たちがいました。涅槃仏への参拝は靴を脱いでおこなうので、村の女性や子どもたちが下足番をしているのです。私たちは、少年2人に1ドルづつで預けました。彼らの後ろの大きな岩に、何体もの仏像が安置されているのが見えました。ちなみに、左側に坐っているガイドさんの手にはスマートフォンが握られています。
CIMG0653 CIMG0670靴の番一人1ドル

上写真の大きな岩の向かい側に礼拝所があり、礼拝所の後ろにそそり立つ巨大な岩の上に涅槃仏が安置されています。巨岩の頂上に、屋根を掛けた伽藍が見えます。涅槃仏へ上る階段は、礼拝所の横から岩の周りに設置されていました(右写真)。
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階段の途中から、階段を支えている柱が見えました。右写真は、上りきった階段の上からの風景です。巨岩の高さは20mもあるそうです。
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巨岩の上に彫られていたのは、全長9.5mの涅槃仏でした。この涅槃仏は16世紀にアンチャン1世が建造したものといわれています。アンチャン1世は、1546年にはアンコール・ワット寺院の修復を命じていて、その頃にアンコールワットはヒンドゥー教から仏教に改宗されたようです。1431年頃に放棄されたアンコールが、シャム(タイ)の支配下になっていた時期のことです。
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プノン・クーレンは、アンコール王朝の始まりの地であり、かつては王と神が一体となる儀式が行われていました。現在では、上座部仏教の聖地としてもカンボジアの人々の信仰を集めているようです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

プノン・クーレンへ

シェムリアップ市街地を通る国道6号線で、道路に渡された看板を外しているところを見かけました。道路拡幅に伴う工事かと思いましたが、最近、こうした看板が落ちる事故があったので、すべて撤去されることになったそうです。
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看板の撤去が行われていた一画に、プノン・クーレン観光のチケット売り場がありました。観光客が入れ替わり訪れていました。右写真の机に坐っている女性がチケットを発行していました。プノン・クーレン遺跡の入場料は1人20ドルでした。
CIMG0395 CIMG0401プノンクーレン周辺の遺跡入場料は一人20ドル

チケット売り場の壁に、プノン・クーレン遺跡の写真と場所が記された地図が貼ってありました。地図には、18の遺跡が記されていましたが、私たちが訪れようとしているのは、遺跡の入口付近にある千本リンガと、滝、そして涅槃仏の3ヵ所です。
CIMG0404(1)1000本リンガと(2)滝 CIMG0400見たのは①②のみ

国道67号線を北上し、象のサークルを通り、パームシュガーを作っているサンダイ村からさらに北へと進みます。
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サンダイ村の北、67号線から66号線に入る場所に、直径160mほどもある大きなトラフィック・サークル(交差点)があります(左写真)。クバルスピアン遺跡はサークルを北へ向かいますが、プノン・クーレン遺跡へは、サークルから東へ抜けていきます。サークルを抜けて少しいくと、立て看板の前に僧侶たちが並んでいるのを見かけました(右写真)。
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クバルスピアンへ行くときは、右側に見えた小高い山が、プノン・クーレンへ向かう今回は、左側に見えました。その先に、新しい建物が見えました。たくさんのカンボジア国旗が翻っていたので、公共施設かも知れません。
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クーレン丘陵の地図を左に掲載しました(参照:http://krorma.com/ruins/phnom_kulen/)。上述したトラフィック・サークルは、バンティアイスレイの右下の道路が交わる地点につくられています。そして、そこから右(東)に延びる道の先に、入場券売場と記されています。この場所が、ストップ棒の設置されている右写真です。私たちは、シェムリアップ市街地でチケットを購入していましたが、ここではチケットの確認も行われていました。
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ストップ棒の手前の道路沿いには、果物や飲み物などを売る店ができていました。
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左写真のペットボトルの後ろに積まれているのは蜜蠟で、右写真で葉っぱに包んで売られているのは、蜂だそうです。クーレン丘陵には養蜂場があるのでしょうか。
CIMG0529 CIMG0531蜂を包んである

トイレを示す案内と、プノンクーレン遺跡の案内板がありました。右写真のきれいな建物が、トイレです。
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案内板には、クメール語と英語で説明がありました。概要は次のようでした。
シェムリアップ州の中で最も大きな森林地帯のプノン・クーレン国立公園は、シェムリアップ川の源流であり、たくさんの遺跡(リンガ、涅槃仏、滝など)があり、また多様な動植物(20種の絶滅危惧種を含む)の生息地となっています。しかし、現在は、狩猟、違法な切り出しや乱伐、焼畑農業などにより、クーレン山の森林とそれによって守られてきた遺跡、景観、動植物相が脅威にさらされている。環境省(MoE)や地域住民は、この森の景観や動植物相を守り、水源を維持確保し、住民が持続可能な暮らしができるように努力している。
大勢の人が乗り込んで屋根の無い自動車が出発していきました。シェムリアップ市街地から50㎞ほどあるプノン・クーレンへは、こうした自動車もタクシーとして使われているのかもしれません。
CIMG0522千本リンガは地図の左上 CIMG0535

写真は、切符売り場から少し上った場所から北方向に見えたクーレン丘陵です。左隅の山麓にクバルスピアン遺跡があり、その右(東)側に見えている山はプノン・クーレンの北西寄りの一部です。プノン・クーレンの山頂は、ここからさらに南東へ上ったところにあり、その標高は487mあるそうです。
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プノン・クーレンは、アンコール王朝発祥の地と言われる聖なる山です。シェムリアップからクーレン山の麓まで約50km、そこから約30分ほど登った山頂付近に、滝やプレアアントン涅槃仏、千本リンガなどの遺跡があります。

写真/文 山本質素、中島とみ子

周壁内の寺院

アンコール・ワット周壁内には、参道の北側と南側にそれぞれ寺院があります。写真の大きな屋根は、参道の北側に建つ寺院で、寺院と聖池と間には土産物を売るテントがずらりと並んでいます。この場所は、アンコール・ワットを訪れたたくさんの観光客で、いつも賑わっています。
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観光客が、この寺院の門を次々と入って行きます。すでに紹介したように、寺院内にあるトイレが、観光客に開放されているためです。ストゥーパの建つ小道を進んだ先に見えている建物は、僧坊の一部です。
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左写真が僧坊で、トイレは右方向(東側)に設置されています。右写真は、僧坊の左側(西側)に建つ、仏教壁画が描かれた本堂です。
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この北側の寺院は、アンコール・ワットのそばで祈りをささげたいという僧侶たちの願いで、近年建てられたと聞きました。左写真ストゥーパの右手前にある白い石碑には、「土地之神」という文字が記されていましたが、寺院が建設される以前に、この場所に土地の神が祀られていたのかもしれません(左写真)。敷地内の西側には、大きく屋根が欠けられた小屋の一方に仏像や涅槃仏が祀られていて、その前には寄付金箱が並んでいました(右写真)。
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第三回廊からは、南側に建つもう1つの寺院を臨むことができます。手前に見える十字の屋根は第一回廊南門です。赤い屋根が南側に建つ寺院です。大きな屋根の建物の横にはストゥーパも見えています。奥の屋根には太陽光パネルが設置してあるようです。
DSC01948南

南側の寺院は、西塔門十字テラスの南階段から続く小道の先にありました。私たちは、ガイドさんの「トイレ休憩です」の声に促されて、この寺院へ向かいました。ナーガの欄干の間を抜けると、寺院敷地内に赤い屋根の、まだ新しい観光客用のトイレが造られていました(左写真)。トイレの前で赤いクーラーボックスに入れた飲み物を売っていました。若い僧侶が、飲み物を買いにきていました。
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飲み物を買った僧侶が歩いていく先を目で追うと、僧坊(?)の前を通りすぎ(左写真)、その先に建つ、本堂と思われる赤い屋根の建物の前も通り過ぎていきました。その先には、第三回廊から臨んだストゥーパの建つ寺院があります。 ここで掲載した南側の寺院の写真は2013年8月時点のものですが、その後、南側の寺院内にも、観光客が休憩できるような場所の整備が進んでいるようです。
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写真は、南の寺院入口付近から、西塔門前の十字テラスと参道の先に建つ西塔門を臨んだところです。北側の寺院は、右奥の木立の中に位置しています。
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2013年8月27日のアンコール・ワット観光は、午後15時30分から始まりました。それは、アンコール・ワット見学の最後に、参道の先に建つ西塔門に沈む夕日を鑑賞するためでした。あいにく曇り模様の日でしたが、午後5時半過ぎ、雲の間から太陽がのぞきました。私たちは、夕日を見るために、南側から西正門十字テラスの階段を上りました(右写真)。
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左写真は17時38分、西塔門の北方向に見えた夕日です。8月27日のこの日は、太陽は、真西に建つ西塔門の北よりに沈んでいきました。春分と秋分の日には、西塔門の真上に沈む夕日が見られるのでしょう。アンコール・ワットの見学時間は、日の出時間の5時30分から日の入りの17時30分頃までとされています。夕日を見るために参道にとどまっていた観光客も、西塔門の方へ歩き出しました。北の聖池には、水浴びをする子どもたちの姿がありました。
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アンコール・ワットツアー観光には、「日の出を見ること」と「日の入りを見ること」が組み込まれています。それは、太陽が昇る場所と沈む場所とが綿密に計算された建築様式を持つためです。アンコール朝が滅びた後、アンコール・ワットは、住民と寺院の僧侶たちによって護りつづけられていたといいます。乾季と雨季とで構成されるカンボジアの季節の中で、太陽の動きを見極めることのできる場所の1つが、アンコール・ワットだったのでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子