牛の飼育頭数の変化

ピエム村の道で、少年が乗った牛車と出会いました(2014年9月)。私たちの前を通り過ぎると、少年は牛に鞭を入れて脇道へと曲がって行きました。*ピエム村情報:西バライの北西、ドーン・ケオ地区。ロンノル時代までは、「ポム・プノン・ルーン」(プノン・ルーン遺跡のある村の意味)と呼ばれていたが、ポル・ポト時代に、「プノン・ルン村」になり、さらにポル・ポト政権崩壊後に「ピエム村」となる。
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このころまで(2014年9月)、ピエム村の世帯の半数ほどが、耕作牛(雄牛)を2頭くらいずつ飼っていたそうです。2014年5月時点の家族数(世帯数)は277家族であり、村全体では200頭以上の牛が飼われていたことになります。村の多くの高床式家屋の1階部分は、牛を飼育するための場所として使われていました(以下12枚2014年9月撮影)。
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草場では、草を食む仔牛の姿も見られました。牛を、クメール語では「コーウ」といいます。ピエム村では、牛を所有している人が忙しくて世話をすることができないような場合に、雌牛を預けて育ててもらう「プロワス・ダイ」が行われてきました。「プロワス」はクメール語で「交代/交換/互いに」を意味し、「ダイ」は「手」を意味する言葉です。牛を預けて飼ってもらう「プロワス・ダイ」では、仔牛が生まれた場合の1頭目は持ち主の所有とし、2頭目は預かって育ててくれた人の所有とし、仔牛が2頭生まれた場合には1頭づつ分ける、また、雌牛は所有者の分、などとあらかじめ取り決めをしておきます。牛のプロワス・ダイは「牛で返す」とされています。繁殖用の雄牛を飼っている人は、道端に看板を出しておくそうです。
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2014年12月、ピエム村の道を走る私たちの車の前を、数頭の牛が横切っていきました。角のある牛の後から仔牛がついていきます。牛の角は雄雌の区別なく生えますが、多くの牛は角を切られ、角を残している牛は、繁殖年齢の雄牛が多いと聞きました。オートバイも、牛たちが通り過ぎるのを停まって待ちます。時刻は11時過ぎ、牛を曳いて歩く子どもたちにも会いました。刈取りが終わった田んぼに牛を連れて行くのは、子どもの仕事の1つなのでしょう。
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2014年12月、ピエム村の副村長さんの家では、豚を飼っていました。豚小屋では、まだ生まれて間もない子豚10頭ほどが、ワサワサと動き回っていました(左写真)。隣の囲いにいたのは親豚です(右写真)。家畜である 豚について、プロワス・ダイが行われることはほとんどないようです。豚は育てて売ることができるために、近年、その価値は上がっています。
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2015年9月、村内を歩くと、コンクリートの柱に改築した高床式家屋が何軒もありました。写真の家屋は、コンクリートで持ち上げて二階を造っているところでした。庭に、女性たちと子供の姿が見えたので、立ち寄らせてもらいました。階下には、耕耘機が置かれていました。
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屋敷内は、バナナの若木がたくさん植えられ、野菜も育っていました。牛を飼っていた気配は残っていましたが、牛の姿はありませんでした。
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2015年9月ごろには、ピエム村内で牛を飼っている世帯は3~4世帯だけになったそうです。ここ数年の間に飼育されている牛の数は、数百頭から十頭ほどへと激減したことになります。「建物が増えると、牛の餌としての草が減ることにもなるので、ピエム村では牛の数が減ってきた」という話も聞かれました。「カンボジアの家畜飼育2006 年( http://yk8.sakura.ne.jp/ADC-1/Pages/Cambodia-J/Cambodia-tips08-3J.html)」に、牛の売買について以下の記述がありました。牛の販売価格(成牛)は、よい牛なら300$以上、最低でも200$以上で販売できる。輸入牛の血が入っていて、大きな牛なら1000$以上になるというまた、痩せた牛を買い取って、太らせてから肉牛として売る仲介業者もいるそうです。
シェムリアップ近郊の村々と同様に、ピエム村にも、マイクロファイナンスの勧誘業者が訪れるようになり、融資話の一環として、牛の買いとりの話もされているのかもしれません。牛を売ったお金は、家を改修したり、耕耘機やバイクなどの購入費に充てられているのでしょうか。

写真/文 山本質素、中島とみ子

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