アンコール・ワットの日の出

2013年3月21日春分の日の翌日、日の出を見るために、ホテルを午前5時21分に出発し、アンコール・ワットへ向かいました。中央祠堂への参道を歩くころには、東の空がうっすらと赤く染まってきました(左写真、午前5時49分撮影)。午前5時56分、草をはむ白い馬の周りが明るんで見えてきました。アンコール・ワット遺跡情報/位置:シェムリアップ空港から4.5㎞東 /建立:12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世により、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立される。
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午前6時09分の中央祠堂です(左写真)。午前6時11分、白い気球を持った2人の男性が歩いてきました。
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気球を持った2人の男性は、西塔門の方へ歩いていきました(午前6時11分)。祠堂前の広場の午前6時20分の様子です。日の出を待つ観光客の姿も、はっきりと見えてきました。
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6時20分、辺りを見回すと、参道や経蔵の上とその周囲など、あちらこちらで、大勢の人たちが思い思いの場所で日の出を待っていました。
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午前6時27分南側の聖池付近から見たアンコールワットからの日の出です。時間は午前6時29分。
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中央塔を駆け上る日の出を見るために、参道の上に場所を移しました(午前6時32分)。右写真は午前6時34分。
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そして、午前6時35分、中央祠堂塔の上に昇ってきた太陽が重なりました。大勢の観光客は、この光景を見るために集まっていました(午前6時38分)。
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塔の先端まで、太陽が昇りました(午前6時39分)。参道の西にある西塔門の上に、気球が上がっていました。気球も、春分の日のアンコール・ワットに上る日の出を撮影するために上げられたようでした(午前6時40分。
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参道の上は、カメラのシャッターを切る観光客でいっぱいでした(午前6時40分)。
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王の塔の先端に太陽が見えました。その手前の環濠に架かる参道を気球も帰っていきました(午前6時50分)。環濠に架かる参道を渡り終えて振り向くと、西塔門の王の塔の上に春分の日の(翌日の)太陽が昇っていました(午前6時51分)。
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アンコール・ワットは、春分の日と秋分の日に、中央祠堂の真上から太陽が上るように造られています。これまで、どれほどの人々が、中央祠堂に昇る日の出を仰ぎ見たことでしょうか。

写真/文 山本質素、中島とみ子

アリ塚と気象観測器

田の中にアリ塚がある光景は、アンコール・ワット周辺の村々で、しばしば見てきましたが、アンコール・ワット周壁内にも、たくさんのアリ塚がありました。アンコール・ワット遺跡情報/位置:シェムリアップ空港から4.5㎞東 /建立:12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世により、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立される。
アリ塚は、古い木の切り株や若木の横に作られていました。右写真のアリ塚は、アリ塚に接して若木が生えているように見えます。
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カンボジアの人たちがアリ塚を壊さず、そのままにしておくのは、「自然のままの石やシロアリの蟻塚が全体を表わすものとする、古い信仰」によるもののようです。「ヒンズー教中心の時代(西暦で言うとおよそ6 世紀から13世紀)には、男根(リンガ)崇拝がこの古代信仰と渾然一体となります。」
村の中央部の支柱、巨石、シロアリの蟻塚、そしてリンガといったものは、いずれも、それが生えている(または植え付けられている)土地と密接に関連していて、土地は人間を育んでくれる母親であるとして人類全体に認識されているのです」(参照:
http://www.jpf.go.jp/j/project/culture/archive/information/0412/img/pdf/report08.pdf)
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アリ塚が見られた場所は、参道の北側、象の門の東側です。その一画に、柵で囲われた計測器があります。日本大学が設置した気象観測器です。アンコール・ワットの平面図を再掲しました(参照:hhttp://www.ne.jp/asahi/y-sakai/fukui/sub64.html)。気象観測器は、北側の象の門の近くに設置してあります。
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気象観測器は、遺跡修復に関連した事業の一環で、アプサラ機構の許可を得て設置されています。数か月に一度、データの回収が日本大学によって行われています。
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気象観測器の電源は太陽光パネル(左写真)。観測機の傍に何種類もの石(砂岩やラテライトなど)が置かれていて、風化して行く度合いも観測しています(右写真右下)。アンコール・ワットの建築石材である砂岩などの自然劣化(風化)の速度と気象データ(風雨や温度・湿度)は、遺跡修復に関わるデータを得るためのものだそうです。
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記録器の中に、たくさんのアリが入り込んでいました。そして計測器の傘の下からはヤモリが姿を現しました。近くの木に住みついているのでしょうか。
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アンコール・ワット遺跡の中に設置された、現代的な器械の中にいるアリやヤモリなどは、アンコール朝時代から、この場所に生き続けてきたことを、ごく自然に主張しているかのようです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

木の実拾い

アンコール・ワットの周壁内から眺めた西塔門です。中央が王の門、そして左側がヴィシヌ神が置かれていた塔門です。この一画で木の実拾いをしている女性がいました。バケツを用意してきているので、女性は地元の人なのでしょう。アンコール・ワット遺跡情報/位置:シェムリアップ空港から4.5㎞東 /建立:12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世により、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立される。
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長い棒で木の実を叩き落としては、落ちてきた実を拾っていました。木の実は梅ほどの大きさの青い実でした。
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女性が木の実を拾うのを見ていた観光客も、集まってきて一緒に拾っていました。少し離れた木立の中に、ビニール袋に入った木の実が吊るされていました。昼食の時に食べるもののようです。DSC012331 DSC01226

木の実が吊るされていた場所は、象の門に続く北側の道で、木々の中に作業小屋などがありました。小屋の前に石像が置かれているので、後方に集まっている男性たちは、これらを彫っている人たちなのでしょうか。
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道沿いで、赤シャツに赤い帽子をかぶった男性が薪割りをしていました。土産物を入れたカゴを持った4人の子どもたちを見かけたのも、木々が茂る、この一画でした。
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西塔門の北側にある象の門の方角から、一人の女性が天秤棒に振り分け荷物を担いできました。彼女は、子どもたちのいる木立の前を通り、十字路に着くと、荷物を降ろしてザルに盛った品物を並べ始めました。観光客らしい、赤いシャツを着た男性が、象の門へ歩いて行きます。観光客の多くは、西塔門入口から入りますが、この象の門は、遺跡内で暮らす僧侶や土産物屋で働く人たちの通用門にもなっているようでした。右写真の手前側が、前回に記した土産物屋と寺院へ続いています。
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カゴを並べた物売りの女性の前には、すぐに観光客が足を止めていました。アンコール・ワットを見学して帰る観光客は、次々と女性の前で立ち止まり、購入して行く人もいました。
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土産物の入ったカゴを首から下げた少女たちも、物売りの女性の傍へやってきました。そして、物売りの女性のところで足を止めた観光客が女性の前を過ぎると、子どもたちは近寄って、絵葉書などをすすめていました。
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アンコール・ワットを見学して帰ろうとするときに、出会う物売りの女性は、観光客にとってカンボジアの農家のおばさんのような親しみやすさを感じさせてくれるのでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

白い髭の老人(エイセイ)

アンコール・ワット周壁内にある土産物屋の後ろ(北側)に、寺院(僧坊)が建っています。アンコール・ワット遺跡情報/位置:シェムリアップ空港から4.5㎞東 /建立:12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世により、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立される。
寺院への門を入ると、左側に祠のような小祠がありました。中には、白い髭を生やした老人が、右手に杖を、左手にヤカン(薬壺?)を持った像が立っていました。小祠はきれいに飾り付けがされ、線香などが供えられていたので、カンボジアの人々が大切にしている像だとわかります。
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この白い髭を生やした老人は、ヒンドゥ-教の修験者「エイセイ」で、一般にエイセイは、「白ひげを携え,肩に下げ袋,右手に数珠をつけた杖,左に急須を持った姿の像」として祀られています。手に急須を持っているのは、彼らがクメール伝統医療に習熟していたことを示しているようです。ヒンドゥ-教が盛んだったアンコール時代には、山に籠もり修行をする人々がたくさんいたそうです。(参照:http://blog.canpan.info/acupuncture/monthly/201101/1)。隣にも何かを祀っている小屋があり、その前の椅子に坐っていた男の子が、首を伸ばして「エイセイ」の方を見ている姿が印象的でした(右写真)。
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この寺院は、土産物屋の後ろ(北側)に見えた建物です。近年、ここで祈りをささげるために、僧房が建てられそうですが、寺院の周囲に描かれている壁画も、新しいように見えました。
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白いストゥーパも立っていました。
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左写真は僧坊です。僧坊の一画には寄付金箱がいくつも置かれていました。
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左写真には、釈迦涅槃像か見えます。その前には、象や小さなシンハ像、ナーガ像、そしてネアクタが置かれていました。
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寺院の敷地内で遊ぶ子供たちも見かけました。子どもたちがまたがって遊んでいたのは、輪切りにされて六角形のほぞ穴(柱穴?)が空いている、大きな切り株でした。彼らの後ろに、砂利石とレンガブロックが置かれているので、僧坊を建てるときにでてきたものでしょうか。
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エイセイは、各地の民話の中でも語り継がれていて、カンボジアの人々の間では、仙人、魔法使い、森の聖人、精霊などを連想させるシンボルになっているそうです。子どもたちにとって、エイセイは、どんな存在なのでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ストゥーパの先

アンコール・ワット周壁内にある土産物屋の東側に、緑色のヤシの葉葺きの屋根が見えました(左写真)。屋根の葺き替えが行われているようで、屋根の上や下に男性たちの姿がみえました(右写真)。アンコール・ワット遺跡情報/位置:シェムリアップ空港から4.5㎞東 /建立:12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世により、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立される。
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近づいてみると、はしごをかけた屋根の上では、古いヤシの葉の屋根の上に赤いトタンをかぶせる作業の真っ最中でした。
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土産物店が並ぶ裏手(北側)に、左写真の門があります。この門は寺院への入口ですが、アンコール・ワット観光に訪れている人たちが次々に中へ入っていきました(左写真)。中へ入ると、すぐ目に付く場所に、トイレの場所を示す矢印が書かれた案内板が立っていました。
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矢印に従って進む道の脇には、ストゥーパが立っていました。ストゥーパはカンボジアのお墓のことで、ナーガやシンハの付いた柵、4隅にハスのつぼみや仏像を配したストゥーパなども見られました。
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立ち並ぶストゥーパの横を、若い女性やリユックを背負った観光客が足早に通り過ぎていきます。
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トイレ手前のストゥーパの前には、飲み物などを売る小さな店が開かれていました。女性が子供を遊ばせながら店番をしていました(右写真)。
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左写真の建物の左奥は、寺院の僧房が建ち、右奥が、トイレになっていました。トイレは、横に水ためがあって、使用後は自分で流すものでしたが、掃除が行き届いていました。
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トイレ付近から、入ってきた門の方向を眺めた写真です。観光客に開放されているトイレがストゥーパの先にあるため、本来ならば裏道になるこの場所にも、観光客をターゲットにした小さい店が出ていました。
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一般的に、カンボジアのトイレは下水管が細く、紙を流す使用になっていないそうです。それを知らずに、カンボジアを訪れ始めた当初、ホテルのトイレを詰まらせてしまったことがありました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

遺跡内の土産物屋

アンコール・ワットの平面図を掲載しました(参照:hhttp://www.ne.jp/asahi/y-sakai/fukui/sub64.html)。西参道を渡って西塔門を入ると、参道(350m)が中央祠堂へと伸びています。参道を挟んだ南北に、経蔵と聖池が造られています。石畳の参道の先に見えているのが中央祠堂とそれを囲む尖塔です(右写真以下3枚2013年8月撮影)。そして、写真左側に見えている建物が北側の経堂です。アンコール・ワット遺跡情報 / 位置:シェムリアップ空港から4.5㎞東 /建立:12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世により、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立される。
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参道を降りて、北側の経蔵へ向かいました。経蔵の前で立ち止まったガイドさんは、この経蔵が日本の協力によって修復されたと説明してくれました。案内板の右下には、カンボジアの国旗に並んで日本の国旗がありました。日本から訪れた観光客には、日本が修復に関わったこの経蔵を案内しているのでしょう。
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経蔵の先(東)で、子どもたちが赤い椅子をおもちゃにして遊んでいました。聖池の手前のこの場所は、北側に土産物屋が並んでいます。土産物屋で、子どもたちの家族が働いているのでしょうか(左写真以下8枚2012年12月撮影)。中央祠堂を臨むことのできる聖池の周りには、カメラを構えた大勢の観光客が集まっていました。
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観光客は、聖池に映るアンコール・ワット祠堂を、写真に収めようと集まっているのです。左写真が、この日撮影した聖池に映るアンコール・ワットです。聖池の北側には、大きな寺院の屋根とその前にテントがけの土産物店が見えました。
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ブルーシートで屋根を覆った土産物店が、何棟も連なっています。店の前は、観光客と、土産物を片手に観光客を呼び止める店の人とが入り混じって賑やかでした。
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土産物屋の前の、聖池や伽藍を臨める木陰には、赤いイスと青いイスが並ぶオープンテラスも設置されていました。
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12月、午後4時ごろ訪れると、聖池一面にピンクのハスの花が咲いていました(以下4枚2013年12月撮影)。池の北のオープンテラスで、飲み終わったヤシの実を、割っている少年を見かけました。
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ココヤシジュースは、飲み終わった後、種子の内側に就いた白い胚珠をすくい取って食べられるように、割ってくれるのです。少年が割ったヤシの実を渡すと、渡された女性は、その隣に座っていた息子に手渡していました。
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歴史的遺産であるアンコール・ワットの中で、今を生きるカンボジアの少年の姿が記憶に残りました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

アンコールワット西大門

アンコール・ワットは、シェムリアップ空港の5kmほど東に位置しています。写真は、西正門の南土手に造られている歩道から眺めたアンコール・ワットです。周りを囲む環濠は、5.5キロメートル・幅190メートルで、 約500万立方メートルの水を貯めることができるそうです。左側に見える西参道の正面は、西大門(3基の塔門)が建ち、その右側には、アンコール・ワットの中央祠堂とそれを囲む尖塔も見えます。右隅に見える門は、象が通るための門です。アンコールはサンスクリット語では王都、ワットはクメール語で寺院を意味します。12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立されました。
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環濠に架かる西参道は、幅約16メートル、距離190メートル。西大門は南北230メートルほどで、中央に王の門と左右に2つの塔門があります。西大門を含んだ周壁の長さは、南北840メートル、東西1,030メートルです。
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西大門の南北隅には、象が通るための階段のない「象の門」が造られています。左写真は、北側にある象の門、右写真は南側の象の門です。
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参道を渡ってきた観光客の多くは、西大門の中央にそびえる王の門を入っていきます。
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王の門から入ると、入り口の正面に中央祠堂が見えるようになっていました。内側の壁面にはデバターのレリーフが並んでいます。
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王の門を周壁内から臨んだものが左写真です。連子窓の左右には、デバターのレリーフがずらりと並び、連子窓の上には、たくさんのアプサラが彫られているのがみえました。連子窓には見せかけだけの窓もたくさんあります。
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2014年9月には、王の門の南側にある塔門から入りました。この塔の通路には、後世に持ち込まれたと思われる、高さが4mほどもある「ヴィシュヌ神」の像が置かれていました。かつて、アンコール・ワットの祠堂には、ヴィシュヌ神の像が祀られていたそうですが、14世紀以降仏教寺院に変わり、本堂に安置されていたヴィシュヌ神は四体の仏像に置き換えられたそうです。
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ヒンドゥー教の太陽を神格化したヴィシュヌ神は、現代でもカンボジアの人々の信仰の対象になっているのでしょう。像の前で、礼拝する人々の姿も見られました(左写真)。王の門と南側塔門を結ぶ通路には、天蓋をかけた像や、衣を着せた像が数体置かれていました。
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左写真は、周壁内から眺めた西大門です。中央に王の門、その左側がヴィシヌ神の置かれていた塔門です。そして、右写真は、周壁内から写した西大門北にある象の門です。
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アンコール朝時代に建設された多くの寺院は、東を正門としていますが、アンコール・ワットは、西に正門が造られています。それはスーリヤヴァルマン2世が、神の顕在と王の死後の墳墓として建立したためといわれています。

写真/文 山本質素、中島とみ子