バナナ休憩

私たちの横を、たくさんの生徒を乗せてオートバイが引く荷車が通り過ぎていきました。その後ろをオートバイの後ろに乗った生徒も通っていきました。その先には牛車づくりの作業小屋がありました(2012年12月)。
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この作業小屋の周りには、たくさんのバナナの木がありました。右写真の紫いろのものがバナナの花です。
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たわわに実った青いバナナの房があり、そのそばには黄色く熟したバナナも見えました(左写真)。作業場にいた少年が、熟したバナナを採ってくれました(右写真)。
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みんなでバナナ休憩です。ここでは、少年1人を含む4人が牛車づくりをしていました。
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屋根をヤシの葉で葺いたこの作業小屋は、壁面もヤシの葉で、そこには棚もつくられていました。床に置かれた籠の中には、部分品がたくさん入っていました。竹籠に混じって、プラスチックのザルや発泡スチロールの箱も見えました(左写真)。右写真の牛車が、彼らが造っているものです。DSC09659 DSC09661

私たちについてきた子供たちが、先回りをするように向かった先にも、作業小屋がありました。牛の模型が水に浸してありました。下彫り状態でこのように水に浸すと、彫りやすくなるそうです(右写真)。
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ここでは、1人の男性が接着剤で部品を張り付けていました。右写真の寺院のような建物がお手本の模型のようです。高貴な人が乗る牛車なのでしょうか。
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牛車づくりの作業小屋は、ロハール村の子供たちにとって、魅力のある場所のようです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

少年たちと牛車づくり

ロハール村の入り口付近に、「TRADITIONAL KHMER MUSICAL INSTRUMENT AND OXCART HANDICRAFTS」と書かれた看板がたっています(左写真)。ロハール村では、伝統的なクメール楽器と手作り工芸品の牛車が制作されています。伝統楽器については、すでに紹介しましたので、今回は、手作り工芸品の牛車を制作する作業小屋の様子を、紹介していきます。
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2012年12月23日、ロハール村にある手作り牛車(HANDICRAFT OXEN CART)の作業小屋に立ち寄りました。朝の9時30分ごろでしたが、少年が3人、小屋で作業をしていました。カンボジアの学校は2部制なので、彼らのこの日の授業は午後からのようです。手前の少年の坐っている台の前には、たくさんの木製の牛車がつんでありました。奥の方にも、作業をする少年の姿がありました。
DSC09451牛車の制作

手前の少年は、手に持った接着剤で、模型の牛車に幌を張り付ける作業を(左写真)、奥にいた少年は、定規や鉛筆、それに直角を計る道具を使って、手ノコギリで、寸法に合わせて板をカットしていました(右写真)。
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もう1人の少年は、牛を彫っていました。彼の前にある棚には、牛車の模型が置かれていました。上の2つより古く見える中段の模型は、車輪の軸の数も多く、技術的には勝っているように思えました。そして、台の上には、下彫り段階の牛の模型がありました。少年が手に持っているのも、この下彫り段階の牛でした。
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台の上に置かれていたノートには、作業の手順などが描かれていました(左写真)。小屋の屋根下に張ってある紙に書かれた絵と文字は、注意事項(禁止事項)でしょうか(右写真)。
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この作業小屋は、家屋にバナナの葉で葺いた屋根を差し掛けて造られていました。大人の職人さんたちが小屋を使用する前の時間、少年たちが、簡単な作業を手伝いながら、牛車づくりを学んでるようでした。ちなみに少年が着ている青いTシャツには、日本語で「はじめまして」と書いてありました。
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続いて訪れた作業小屋には、人の姿はありませんでしたが、牛車の模型が天井につるしてありました(2012年12月23日10時4分)。
DSC09569 DSC09572牛車の模型

作業場には、木片や定規などが雑然とまとめて置いてありました。ガイドさんが、吊るしてあった牛車の模型を降ろして見せてくれました。全長50センチほどもある牛車の模型は、精巧に作られていました(右写真)。
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作りかけの部分品もザルの中に入れてありました。手回しの工具(?)も置かれていて、そのままいつでも作業に入れるようになっていました。
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もう一つの作業小屋では、少年が電動カンナを使って、板を削っていました(2012年12月23日 10時11分)。板の端まで削ると、平らに削れたか片眼をつむって板の表面を確認していました。その様子は、もう一人前の職人さんのようでした(右写真)。
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この作業場は、小屋掛けではなく家屋に続けて作られていて、少年が使っている電動カンナのほかに、いくつかの電動工具(上左写真)、電動ドリル(下左写真)などがありました。傍らには、小さい男の子たちもいました。
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1年後の2013年12月22日、午後3時、牛車づくりの小屋を訪ねた時、大勢の少年たちがいました。彼らは、作業をする男性たちのそばで、牛車づくりを見ていました。その中に1年前に、ボンドで牛車の幌をつけていた少年の姿もありました。DSC01381

牛車の模型作りをする小屋3ヵ所のうち、2か所で、少年たちは、小さいころから作業小屋の傍で遊び、やがて接着をする作業や、下彫りの作業を手伝いながら経験を積み、牛車を作ることができるようになっていくのでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

水車づくり

ロハール村の中を通る道沿いに、真新しい水車が見えました。周りで子どもたちが遊んでいます。
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近寄ると、1人の男性が水車を作っているところでした。子どもたちはその周りで遊んでいたのです。直径4mほどの水車は、黒い枠の中に立てられていました。シェムリアップ近郊の田園風景の中で、水車は見かけたことがありませんでした。
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全体的に細い木材で作られているこの水車は、観光用に使われるもののようです。木の板を継ぎながら円形に張っていく作業や、バランスをとるためには、職人さんの技術が必要なのでしょう。台の上には、工具などがみえました。
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左写真は、 民族博物館入口にある水車です。ロハール村の男性が作っていたものと比べると、かなり大きいものでした。また、シェムリアップ川にも、水車が見えましたが、よく見ると、ネオンサインが付いた飾りの水車でした。
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ネオンの水車を見下ろすことのできるシェムリアップ川の西岸に、タ・プロムホテルがあります。タ・プロムホテルのロビーにも、小さな水車が飾られていました。
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写真の水車は、最近、シェムリアップ川に設置されたものです。キングス・ロード・アンコールというレストラン街の目印として、この水車は回っています。
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シェムリアップでは、観光客の目を惹くオブジェの1つとして、水車が人気のようです。一方で、12mの大きな水車を、日本とカンボジアの職人さんたちが協力して修理をしたというブログもありました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

空芯菜(クウシンサイ)

ロハール村にある屋敷の庭で、葉物野菜の葉を取っている2人の女性を見かけました。彼女たちが葉を取っていたのは、茎が空洞になっていることから、中国で空芯菜と名付けられ、日本では、それを音読みして「クウシンサイ」と呼ばれている野菜です。学名は「ヨウサイ(蕹菜)」、ヒルガオ科サツマイモ属ということで、サツマイモに似ています。
DSC09624空芯菜の葉を取る作業

下の方から取り除いたクウシンサイの葉は、まとめて置いてありました(左写真)。屋敷内に立つネアクタの後ろの方に、クウシンサイが生えているのが見えました(右写真)。
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カマドの向こうに広がっている緑も、クウシンサイのようです。
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注意して見ると、ロハール村の井戸のそばに生えていた植物の中に、クウシンサイなどの野菜がありました。
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ある家では、トウモロコシ畑(左上)の手前に、クウシンサイがまばらに生えていました(左写真)。右写真の家には、棚がつくられていて、うり科の野菜が植えてありました。
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ロハール村と北スラスラン村の境にある井戸の近くに、野菜畑がつくられていて、ナスが実をつけていました。すでに紹介したように、この井戸は、ネーデルランド(オランダ)の支援で作られたものです。左隅に見える大きな水瓶や野菜畑も、支援が入っているのでしょうか。
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シェムリアップ市内のカンボジア料理店や中国料理店では、メニューにクウシンサイ炒めがあります(左写真)。クウシンサイは、カンボジア語(クメール語)では「とろくおん」といいます。したがってクウシンサイ炒めは「ちゃーとろくおん」となります(参照:http://d.hatena.ne.jp/anoame/20120711/p1)。右写真に見るように、スープには、クウシンサイの葉っぱが入っていました。
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オールドマーケットでも、クウシンサイを見かけましたが、ロハール村で生えているものより、太くて長いようでした。白菜などの野菜は、ベトナムから多く輸入されているそうですが、オールドマーケットや料理店のクウシンサイも、輸入されたものかもしれません。ちなみに、オールドマーケットなどで売られている野菜や果実は、ベトナムからの輸入品が多くを占めているということです。
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想像に反して、カンボジアの人々は、野菜を食べる習慣があまりないそうです。多くの野菜や果物は、同じ熱帯モンスーン気候に属すタイやベトナムから輸入されています。生産技術と流通システムが向上すれば、カンボジアの人々の食卓に、自国の野菜や果物がならぶことでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

野菜作り

ロンタオ地区を歩いていくと、目の細かい網で囲まれた野菜畑が見えました。傍に住居が建っていたので、屋敷内で野菜を栽培しているようでした。
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道からは、大きな水瓶やジョウロ、バケツが野菜畑の隅に置かれていたり(左写真)、井戸の中にブルーのホースが下ろしてあるのが見えました(右写真)。、
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野菜栽培をしている家に立ち寄らせてもらいました。「Home Vegetable Garden Demo Plot」(屋敷内の野菜畑に関する試みの計画)のと記された看板が立てられていて、Innovative(革新的)Approaches to Food Insecurity for Urban and Peri-Urban Poor in Siem Reap (Infose Project)、訳すと、シェムリアップ市と近郊の食の不安(危険性)に対する革新的アプローチ(プロジェクトの1つ)となるのでしょうか。このプロジェクトの期間は2011年から2014年までとありました(左写真)。作業小屋の奥にいた男性が応対してくれました。(右写真)。
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ホワイトボードが設置してあり、20/2/2013の日付と、野菜を栽培している写真が貼ってありました(左写真)。私たちが訪問した2013年3月18日は、写真が撮影された1か月後でしたので、野菜畑は、右写真のようになっていました。
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この区画は、手前からナス、トウガラシ、トマト、空芯菜、そして丈の高いゴウヤが、畔ごとに栽培されていました。
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トマトは青い実をつけていました。水瓶の奥に見えるのはブロッコリーの葉のようです。写真はカンボジアの3月中旬の野菜畑ですが、日本の夏、7月から8月にかけての野菜畑の様子に似ていました。
カンボジアの季節は、乾季と雨季とに分かれ、11月~4月ごろまでが乾季で、5月~10月ごろまでが雨季にあたります。一般に、野菜栽培に適しているのは、乾季の始まりのころで、乾季も終わりころになると、乾燥して栽培が難しくなり、一方、雨季は、スコールなどで野菜が腐ってしまうことが多く、栽培は難しいそうです。
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土を入れて40㎝ほど高くした苗場で、苗を育てていました。日本で寒冷紗と呼ばれる、綿や麻などを粗く平織りにした薄い布織物で覆っていました。強い日差しや・高温・乾燥を和らげるのに役立ち、また防虫・防風のために使われているようです。苗場の中には、ゴウヤの苗や、サラダ菜の苗が、バラバラと残っていました(右写真)。
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その隣に池がつくられていて、ハスが育っていました。ハスがないところを覗いて見ると、鯉らしい魚がたくさん泳いでいました(左写真)。池の縁には、ペットボトルの鉢を吊るして、サラダ菜やナスなどの苗を育てていました(右写真)。
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新たに、畔に植えられた双葉の苗もありました。その横に置かれた大きな水瓶には、「DONATED BY the E,U,***  INFORSE PROJECT 2011-2014」と記されていました。この水甕も、野菜栽培のモデル農家を育成する支援物資の1つのようです(左写真)。右写真は、「ロハール村の農家」で、すでに紹介した、「Promote Integrated Farming to Adapt to Climate Change」(気候変動に適応する総合的農業の促進)のポスターで、右奥に野菜畑が描かれています。
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カンボジアでは、野菜の多くを輸入しています。主な輸入先国は、2003年まではタイでしたが、2004年にプノンペン~コンポンチャム州に通じる国道6号線が補修されて、ベトナムからシエムレアプ州までの農産物の輸送インフラが大幅に改善したことにより、ベトナム野菜の輸入が急増しているそうです(参照:http://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/kaigaijoho/cambodia/cambodia.pdf)。「Home Vegetable Garden Demo Plot の成果として、ロハール村に野菜畑が増えていくことを願います。

写真/文 山本質素、中島とみ子

村人の神様

ロハール村でも、屋敷の一隅に小さな木の祠が祀られています。すでに紹介したように、この祠はネアクタとよばれ、カンボジアの農村に多く見られるものです。ネアクタとは、ネアク=人、タ=ご先祖様、という言葉からわかるように、祖霊崇拝としての意味もありますが、もっと広く、土着信仰の精霊をも意味しています。
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ネアクタは木にも石にも水にも土にも何にでも宿っていると信じられている。ある土地に家を建てるとき、その地に住んでいたネアクタには住みかを移ってもらわなければならない。そこで土地の一角に、多くの場合は方角が良いとされる北東の隅にコンクリート製の杭がついた祠を建てそこに移住してもらう。その祠はネアクタの家とか小屋( ktomneak ta)といわれている(参照:http://angkorvat.jp/doc/cul/ang-cultu2080.pdf)。
DSC09621土地の神・各家にある DSC01660 DSC09631

井戸のそばに立つネアクタは、その祠がコンクリート製の小さな寺院のような形をしていました。
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高床式家屋の二階入口へ上る階段の横につくられた台の上に、山のように盛った砂に線香が何本かさしてありました。ここに祀られているのは正月の神様のようです。
DSC09623 DSC09532家ごとに正月(=4月)に紙様を迎える

カンボジアの正月(4月)には、各寺院で須弥山をかたどった砂の山(カンボジア語で「プノン・クサイッ」)がつくられるそうですが、写真の砂山は、各家で正月に神様を迎える「プノン・クサイッ」なのでしょうか。
日本で、神社などからお札をもらい、正月様として家に迎え入れる慣習と似ています。
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両手首に、編んだ赤い紐をつけた少女は、ロハール村で最年長の男性の家族です(左写真)。最年長の男性とブティさんは、右手首に同じ赤い紐をつけていました。この赤い紐(糸)は、寺で聖水をかけてもらい、お経を読み終えてから、「未来の健康や、よいことがあるように」と 祈りを捧げて、腕に巻いてもらうそうです(http://ameblo.jp/antanue-hotel/entry-11760050104.html)。この紐は、切れるまで結んでおきます。
DSC09513孫たちもおまじないをしている DSC09519ブッティ君がたばこをあげると

ある家の階段に、若い女性がびしょぬれで座っていました(左写真)。見ていると、白い服を着た男性が、家の中から身を乗り出すようにして、器に入れた水を女性の頭からかけていました(右写真)。これは、カンボジアの「厄払い」の儀式だそうです。カンボジアでは「厄年」とされるゼロの年齢(20歳、30歳など)になると、『清めの水』で厄払いをするそうです(参照:http://iwahara.miraiserver.com/JCSI/wp/?p=241)
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お寺では、厄払いとしてお経をあげて聖水を棒の先で振り掛けるようにしている写真をよく見ますが、ここでは、かなりの量の聖水を、頭からかけていました。
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『清めの水』は人間だけではなく、事故が起きないようにバイクや車を清めることもあるそうです。階段下に、バイクと自転車が置かれているのも、そのためなのでしょうか。

写真/文 山本質素、中島とみ子

井戸

ロハール村の道を歩くと、屋敷内外にある井戸が目につきました。DSC01369 DSC01353

井戸のそばに、ネアクタを祀っているのは、生活する人々にとって井戸が大切なものであったからなのでしょう。ちなみに、日本では井戸神様を祀ります。
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楽器作りの家の屋敷内で、井戸の縁に、大きなタライをひっくり返したようなものが見えました。よく見ると、その下にモーターがついていて、水色の管が 井戸の中に続いていました。この井戸は、水をモーターで汲み上げて、右に設置してあるタンクにためて使っているようです(左写真)。右写真の家でも、井戸に大きな金ダライがかぶせてあり、ホースのようなものも見えたので、その下にモーターがあり、井戸水をくみ上げている様子でした。
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屋敷内にポンプ井戸が設置されている家もありました。見かけたほとんどのポンプに「UNICEF」の文字があったので、ポンプはユニセフから寄贈されたもののようです。ポンプには、「UNICEF *** 2004」、「UNICEF *** 2006」などの文字や数字が記されていました。ロハール村では、2004年~2006年頃に多くのポンプ井戸が設置されたようです。各家で設置する場合の費用は、20パーセントを設置する家が負担していると聞きました。
DSC01645 DSC09565井戸2004

DSC09638井戸2004費用はその家が20パーセントを負担 DSC09486 DSC09476

ポンプ井戸が設置された共同の洗い場もありました。ロハール村の道沿いにあるポンプ井戸で、朝6時ごろ、女性が食器を洗っていました(左写真)。右写真のポンプ井戸も共同のものかもしれません。
カンボジアに共同のポンプ井戸を設置するための支援を呼びかけているNPO法人のホームページには、「2m四方のコンクリートを張った手押しポンプ付きの井戸を現地業者に発注しています。1本当たり2万5千円で地下約30mの深さの井戸を掘ることができます。これを1世帯当たり平均7人の家族構成で、1本につき3~7世帯が利用します。(参照:http://www.schec.org/activities/well.html 」と記されていました。
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ロハール村に隣接している北スラスラン村の北端に、ヨリの形をイメージさせるコンクリート台のポンプ井戸がありました。コンクリート台には、「S.T.W.C.24.02 2013」と刻まれて、立て看板には、「This well was donated by Family Smelter   The Netherlands   28 Febraury 2013     well 37」とありました。この井戸は、オランダのFamily Smelterによって、2013年2月に寄贈されたようです。
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ロハール村においても、ポンプ井戸の設置が進んでいることがわかります。日本でもNPO法人や企業などを中心に、’カンボジアの子どもたちにきれいな水を’というキャンペーンの下、ポンプ井戸の寄贈や支援が行われてきました。2008年の「クローズアップ現代」では、カンボジアの井戸の水質に関する問題点が取り上げられ、井戸掘りの数を優先した善意のなかで、「井戸水質調査がおざなりになった」(NHK記者)状況がある(参照:http://www.j-cast.com/tv/2008/10/29029470.html)と指摘しています。
日本では、昭和30年代後半頃まで各家庭で井戸水を生活用水として使用していましたが、農薬等の使用や工場排水等により、水質に問題が生じる井戸が多くなり、行政指導として多くの井戸が使用できなくなってしまいました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ロハール村の農家

ロハール村で、「Promote Intergrated Farming to Adapt to Climate Change」と書かれたポスター目にしました。つづりを補正して日本語に訳すと、「気候変動に適応する総合的農業の促進」となるこのポスターを、丁寧に見て行くと、カンボジアの村の人々の目指す生活が見えてきます。*ロハール村情報/位置:アンコールワットから約4㎞北東、バンテアイ・クディの北側。西はタ・プロムに接し、東は北スラスラン村と接している。
ポスターは、クネで囲まれた屋敷内に住む家族が、それぞれ朝の仕事をしている様子を描いています。
①井戸で水を汲む男性。屋敷の奥にある野菜畑には、天秤棒で水を運ぶ男性が描かれています。井戸の水は、生活用水として、また野菜を育てるのにも使われます。
②鶏に餌を撒く女性、そばには犬と猫もいます。鶏は柵の中にもいて、気性の激しい鶏や闘鶏用の鶏はかごをかぶせてあります。
③その後ろには、停めてある自転車のそばにヤシの実を運んでいる女性が描かれています。
④右にある小屋は、穀物を保存するためのものでしょうか。
⑤高床式の赤い屋根には、太陽光パネルが取り付けられています。二階が住居で、一階の台の上では女性が野菜の葉ごしらえをしています。大きな水瓶に、樋からの雨水がたまるようになっています。
⑥住居の左に炊事小屋があり、女性が炊事をしています。丸く積んだレンガは何かの保存庫でしょうか?:
⑦家畜小屋が二棟あり、奥の小屋には、牛の他に豚も飼われているようです。家畜小屋の前には屎尿溜めも見えます。
⑧ハスの花が咲く池には魚が飼われていて、女性が餌をやっています。
⑨脱穀後の高く積まれた稲わらのそばに、牛の引く荷車が置いてあります。
⑩学校へ通う子供たちが家の前の道路を通り、屋敷横の田んぼ道を、男性が牛を追っていきます。田んぼの中に立っているのは、風力発電のようです。
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村で最年長(96歳)の男性の家を訪ねました。 出迎えてくれたのは、少年と2人の子供、ハンモックで子どもを寝かせている若い母親とその両親のようです。庭と階段の上には犬がいました。
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隣の建物から、96歳の男性が出てきました。彼の居た建物は、隠居屋のようで、屋根はトタン、壁面はヤシの葉で葺かれていました。、床下には荷車が置いてあり、奥には、高く積まれた稲わらが見えています(左写真)。近所の子どもたちも集まってきて、高床式の一階は、にぎやかになりました(右写真)。
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高床式住居の横に、ヤシの葉で屋根を葺いた炊事場ができていました。ポンプ井戸の周りには、鍋やボール、食器などが置かれていました。ポンプに記載されたUNICEFの文字と2006の数字は、このポンプが2006年にユニセフからカンボジアに寄贈されたものであることを示しています。
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鶏は、屋敷の中を自由に動き回っています(左写真)。白いコブ牛が2頭、餌場でえさを食べていました。後ろに見えるのが家畜小屋のようです(右写真)。
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このヤシの葉で造られた小屋は、種籾を保管する場所になっていました。
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屋敷内には、バナナの木がたくさん植えてありました(左写真)。野菜畑は、見ることはできませんでした。電気は、北スラスラン村の電気屋(発電所)から引いてきているようです。木にメーター器が取り付けてあり、雨よけのためにトタン板でくるまれていました。その下に掛かっているのは、魚を獲るためのカゴです(右写真)。
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左写真のカゴも、魚を獲るためのものです。そして、庭には網も干してありました(右写真)。屋敷内に池はありませんでしたが、近くの川や池などで魚が獲れるのでしょう。
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96歳の男性が家族と暮らすこの屋敷は、村の気候や環境に、より適応した住まい方のように見えました。
ポルポト政権下における農業政策は、原始農業への回帰でした。ポスターは、それ以前のカンボジアの農家の住まい方をもとにして、作成されているのかもしれません。ポスターに描かれた新しい電力(太陽光発電と風力発電)は、人々の暮らしにどのような変化をもたらすのでしょうか。

写真/文 山本質素、中島とみ子

ロハール村の朝

コミュニティセンターでのアンケート調査のために、朝6時に、ロハール村を訪れました。12月15日の朝6時のロハール村は、まだ暗く、何か所かで火の明かりが見えました(左写真)。少しずつ明るくなる中で、朝食の準備をする人影が見えてきました。奥の火のそばにいるのは、若い夫婦のようでした(右写真)。
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大きく炎が上がっていた場所には、祖母と孫の男の子らしい姿が見えました。そばにはガスボンベの明かりも点いています(左写真)。近くのカマドでは、朝食のご飯を炊いていました(右写真)。
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6時13分、少年が肩から土産物の入った籠を下げて現れました。ツアーメニューの中に、「アンコール・ワットの日の出を見る」というツアーが記載されていたので、アンコール・ワット遺跡に土産物を売りに行ったのでしょうか。左に見える3人の女性たちは、少年の家族なのでしょう。カンボジアでは一般的に、結婚すると女性の家に住むという習慣があるそうです。
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6時17分、女性の1人がヤシの葉で編まれた筒を運んできました(左写真)。そして、ひも状の、色を付けたヤシの葉も持ってきました(右写真)。
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すると、カマドの前にいた女性が台の上に坐り、色の付いた紐で筒を飾り始めました(左写真)。観光客への土産物を入れる筒なのでしょうか。別の場所では、女性が、色を染めたヤシの葉を編み始める姿がありました(右写真)。この時間から、女性たちは、土産物を作る仕事を始めるようです。
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6時21分。コミュニティセンターへ向かう道には、鶏が餌をついばんでいました(左写真)。道沿いの家では、箒で庭を掃いている女性がいました(右写真)。*ロハール村情報/位置:アンコールワットから約4㎞北東、バンテアイ・クディの北側。西はタ・プロムに接し、東は北スラスラン村と接している。
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道すがら、ポンプ井戸で食器を洗う祖母と女の子、大きな鍋の傍に座っている男の子などを見かけました。
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ロハール村の朝は、働く女性たちの姿が多く見られました。結婚後、女性の家に住むという慣習は、子どもたちにとっても、生活の継続性の点からも、好ましいことのように見えます。男性の姿がほとんど見られないのは、プノンペンなどへ出稼ぎに行っているからなのでしょうか。

写真/文 山本質素、中島とみ子