オールドマーケット

国道6号線の南、北から南へと流れ下るシェムリアップ川が、緩やかに南西へ流れを変える場所に、オールドマーケット橋が架かっています。オールドマーケットは、その橋の北側にあります。東西100m南北80mの大きな建物は、いくつもの棟が連なって1つの建物になっていました。オールドマーケットの四方は道路で囲まれていて、東西南北それぞれの表情を見せていました。
 マーケットの正面は、シェムリアップ川に面した南側のようで、観光客用の土産物を中心に、たくさんの品物が道路沿いに並んでいます。
DSC08317 DSC08316

歩道に沿って歩いていくと、暖簾のようにたくさんの干物が下がっていました。よく見ると、サラミのような肉の燻製と、カンボジアではレイ・ギアットと呼ばれる魚の干物でした。
DSC06273 DSC00019

午後1時半すぎ、西側の通りでは、女性が屋台の準備をしていました(左写真)。右写真の奥にシェムリアップ川の歩行者専用の橋の屋根が見えています。マーケットの向かい側には、フランス風の建物が建っています。この西側の通りは、北へ進むとシバサ・ロードに交わり、夕方になるとナイトマーケットやパブストリートを訪れる人たちでにぎわいます。
DSC08320 DSC06271 (2)

北側には、前回紹介したRINA RINO レストランなど、食堂や食料品の店が黄色い日よけシートを連ねて並んでいます(右写真)。
 DSC08302 DSC08301

東側は、ホウキ・ブラシ、バケツ、ノコギリなど種々雑多な日用品が並んでいます(左写真)。右写真には、歩道際にサンダルが並べられ、その上に袋に入ったシューズやリュックなどがぎっしりと掛かっている様子が見えます。女性が店番をしている横は、市場の中への通路になっていました(2014年9月撮影)。
DSC08312 DSC08314

下2枚の写真は、市場内の通路と両側の店の様子です。奥に見える蛍光灯の明かりが、生鮮食品売り場です。生鮮食品売り場に近づくにつれて、あたりの空気がひんやりとしてきました。
DSC08315 DSC08620

オールドマーケットの建物の奥(中央)は、魚売り場になっていました。大きなタライにエビや魚が盛られ、その上に氷が置かれています(左写真)。生きた雷魚も、あちらこちらで売られていました(右写真)。雷魚は、カンボジアの料理には欠かせない魚で、アモック(魚のココナッツカレー蒸し)にも使われ、また、干し魚にも加工されているようです。
DSC00017 DSC08637

魚売り場には、台の上に坐り、丸いまな板を前にして魚を開いている人たちがいました。ホテルや食堂におろすための調理なのでしょうか(左写真)。小さな巻貝が山積みになっている奥でも、まな板を前に作業をしている女性がいました。手前の赤いプラスチックのタライの中では、雷魚が泳いでいました。
DSC00016 DSC08626

長靴をはいた女性を見かけました。魚売り場周辺の通路が水浸しだったので、融けだした氷が流れ出しているのかと思いましたが、魚介類が並ぶ台の縁には、ブルーの水道管が通っていました。通路の途中には排水口も造られていました。魚売り場は、外気温の影響を受けにくい奥にあり、さらに水を流すことによって温度を低く保っているようでした。魚介類売り場のそばに、鶏肉売場がありました。ここでも女性がまな板の上に鶏を乗せて、作業をしていました(左写真)。
DSC00010 DSC08641

マーケットで働く人のほとんどは女性です。右写真の女性は、傍らに小さい子供を昼寝させながら、仕事をしていました。
DSC08636 DSC08664

青果売り場もありました。果物売り場の向こうに見える明かりは外の日差しです(左写真)。果物の並ぶ一画では、デザートが食べられるようになっていました。この時も、若い女性たちが好みのものを注文していました(右写真)。
DSC08642 DSC08646

オールドマーケットは、道路に面した建物の外側には、日差しを考慮した店や売り場が並び、建物の内側は、天然冷蔵庫のような魚介売り場を中心に、肉や果物などの生鮮食品が周りに広がっていました。

写真/文 山本質素、中島とみ子

RINA RINO レストラン

オールドマーケットの北側に、黄色い日よけシートを連ねて、食料品の店や食堂が並んでいます(2014年9月撮影)。
DSC08301

その一画に、「RINA RINO Restaurant」があります。店の奥には、子ども連れの地元の家族が食事をしています。その手前のテーブルの家族連れは、食事で残った惣菜を持ち帰るところのようでした。店頭に置かれたガラスケースの前では、買い物袋を下げた女性たちが惣菜を選んでいました。RINA RINO Restaurantは、テイクアウトのできるレストランでした。
DSC08305 (2)

ガラスケースの前には、惣菜を求める女性たちが後を絶ちませんでした。通りすがりの観光客の女性たちもガラスケースを覗き込んでいます。
DSC02017 DSC02010

ガラスケースの中には、バットに入った惣菜が並んでいました。左写真の惣菜は、エビ入り野菜炒めで、ガラスケースの下段には、バットに入った炒めものが置かれていました。そして、上段には魚などの揚げものが並んでいます。
DSC02011 DSC02012

揚げ魚は、いろいろな種類の魚が使われているようでした。
DSC02031 DSC02032

ガラスケースの横のガスコンロの上には、スープの入った大鍋がのっていました(左写真)。惣菜だけでなく、スープもテイクアウトできるようです。
DSC08307 DSC02015

店内側から見ると、ガラスケースの前には、揚げ物の付け合せにするキャベツやキュウリが置いてあるのが見えました(右写真)。。最初この店を訪れた時は、クメール語に堪能な女性が一緒だったので、彼女が次々に料理を注文してくれました。
DSC02027 DSC02028

店内で注文すると、ガラスケースの中の惣菜がプラスチック皿に盛られて、次々と運ばれてきます。
DSC02023 DSC02022 DSC02020 DSC02018

テイクアウトに、また店内での提供にと、見ている間に、惣菜はなくなっていきます(左写真)。バットの中の惣菜がなくなると、出来立ての惣菜が店の奥から運ばれてきました(右写真)。
DSC02029 DSC02030

地元の人たちに人気があるのは、料理が安くて美味しいからでしょう。後日、クメール語を話せない私たちだけで訪れると、料理のおいしさは同じでしたが、値段は前回と異なる観光客用の料金でした。遺跡の入場料などについては、カンボジア人と外国人とでは料金が異なっていましたが、町の食堂でも同じシステムが採用されているようです。おどろくほどの値段の違いはありませんでしたし、それも当然のことのように思います。

写真/文 山本質素、中島とみ子

CHANREAH DOM MAKARA

シェムリアップ市街地に、食堂「CHANREAH DOM MAKARA」があります。地元客でにぎわっている店の前で、少女の面影を残す女性が食器の片づけをしていました。入口の上には、クメール文字、英字、中国文字で、店の名前が書いてありました(2012年12月26日撮影)。この店へは、昼食を取るために何回も通いました。安い上においしいのです。
DSC07645

店の中にあった左写真の飾りは、中国系の人たちの家や店舗などでよく見かけるものです(左写真)。
2013年3月15日に訪れた際に、写真に収めてきた「CHANREAH DOM MAKARA」のメニューを、以下に紹介します。この店のメニューは、料理の写真の下に、料理内容を英語で表記していました。地元の人だけでなく、私たちのような外国人客も多いのでしょう。
DSC01477 DSC01126

メニューの最初は、炒め麺で、Fried Cambodia Noodle with pork,beef or Chiken(カンボジア麺)、Fried Chinese Noodle with pork,beef or chicken(チャイニーズ麺)が載っていました(上右写真)。カンボジア麺はラーメンのような細い麺、チャイニーズ麺はきしめんのような平たい麺でした。下左写真Fried Thai Noodle with pork, beef or chickenの横には、タイのインスタントラーメンの袋も載っていたので、この麺が使われているようです。炒め麺と炒めご飯に続いて、肉や魚の揚げ物(左写真)、干し牛肉などが載っていました(右写真)。
DSC01127 DSC01128

私たちは写真と英語を見比べながら注文していきましたが、地元の人たちは、例えば炒め麺は「ミーチャー」というように、現地の料理名で注文します。
DSC01129 DSC01130

Chinese KaleやMoning Gloryなどを使った野菜炒めがありました。kalrはアブラナ科の野菜で、Chinese Kaleは中国菜となるのでしょうか。そしてMorning Gloryは訳すとアサガオですが、ここではクウシンサイ(空芯菜)のことをさしています(左写真)。右写真のChinese Leek Flowerは中国ネギの花でしょうか。
DSC01131 DSC01132

Edible Plantは、瓜のような植物、String Beanはインゲンのようです(左写真)。また、Prohok(プラホック)は、 多くのクメール料理に使われる、発酵した魚をペーストにした調味料のことです(右写真)。
DSC01133 DSC01134

カンボジアの食事は、スープ状のおかず(ソムロー、またはスガオ)とご飯、それに和え物(ニョアム)や炒め物(チャー)、焼き物(アン)、漬け物(チュロック)などが添えられます(参照:ウィキペディア)。以下4枚の写真は、スープメニューです。
DSC01136 DSC01137

上右写真メニュー、Vietnam Sour Soup with Fish or Chickenの下には、Siem Reap Sour Soup with Fish or Chickenが載っていました。下右写真には、Tom Yam with Seafoodがあります。ベトナムやタイのスープに並んで、シェムリアップの名を冠したスープがありました。
DSC01138 DSC01139

左写真に、English Beef lok lakが見えますが、lok lak(ロックラック)は牛肉のサイコロ状ステーキで、カンボジアでは定番ともいえる料理だそうです。イギリスの牛肉を使っているのでしょうか。右写真のAmoke Fishは、魚のココナッツミルク煮です。
DSC01140 DSC01141

DSC01142 DSC01143

French Friedもありました(左写真)。
DSC01144 DSC01145

初めて訪れた2012年12月26日以後、この店では何回も食事をしました。その際に注文した料理を以下に載せました。料理を注文すると、たくさんのご飯が鍋に入って運ばれてきて、各々好きなだけ分けて食べることができるようになっています(左写真)。
DSC01476 DSC01481

いちばん左は、Deed Fried Fishで、その右はFish Nuggetです。右端はBeef Lok Lak。
DSC07639 DSC07643 DSC07641 DSC07640

左のFried Mornig Glory(No meat)は、毎回、注文して食べました。右から2番目はFried Beef with Green Vegetable。そして一番右の料理はFried Sweet Sour Fish Ribです。
DSC01147 - コピー (3) DSC01147 - コピー DSC01148 DSC01149

CHANREAH DOM MAKARAの料理は、私たち日本人の味覚に合っているようでした。とくに、クウシンサイの炒め物がおいしかったので、畑にクウシンサイの一種と思われる「ハリハリ葉」を植えました。今は少し茎が細いのですが、摘んで油炒めにして食べています。クウシンサイが、我が家の夏野菜の1つとして定着しそうです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

スープドラゴン

パブストリートの入口付近に、レストラン「スープドラゴン」があります。このレストランは、前の通りがパブストリートと呼ばれるようになる以前から、ここで営業しているそうです。シェムリアップを訪れた時には、宿泊するホテルから近いこともあって、スープドラゴンで食事をとることが多くありました。 以下5枚の写真は、2014年12月21日朝7時頃に撮影したものです。スープドラゴンの前の通りには、スープドラゴンの広告を付けたトゥクトゥクが停まっていました(左写真)。たくさんの布団や枕を積んだ自転車も通っていきました(右写真)。 DSC03605コピ DSC03607

BREAKFASTと書かれた朝食用のメニューは、クメール語、ベトナム語、そして英語の表記がされています(左写真)。
DSC03603 CIMG1743

この日の朝食にオーダーしたのは、メニュー右下のBeef stew with bread(上右写真)と、メニュー右上のSpecial beef Pho です(下左写真)。
DSC03608

昼食にも立ち寄りました。写真は2013年3月23日午後12時半頃のものです。この時も、レストランの前にはThe Soup Dragonの広告を背負ったトゥクトゥクが停まっていました。
DSC02826 DSC02847

通りの向こう側に停まっている、マッサージの看板を付けたトゥクトゥクの前を、自転車に乗った男性が通って行きます(左写真)。女性2人の乗ったオートバイには、たくさんの商品を並べた側車が付けられていました。オートバイを停めると、そのまま屋台になってどこでも営業ができるものです(右写真)。 DSC02841 DSC02842

スープドラゴンのオープンテラスでは、店員の男性が観光客にオーダーをとっていました(左写真)。後ろの黒板には、HAPPY HOUR Start などの英語文字が見えました(右写真)。ハッピーアワーは生ビール等が安くなる時間です。
DSC02846 DSC02839

昼食時に渡されたメニューにも、クメール語、ベトナム語、英語での表記がされていました(右写真)。 DSC02827 DSC02836

この日の昼食は、私も仲間の人たちも、フォーを食べました。フォーはベトナムを代表する料理で、麺は小麦ではなく米から作られます。さっぱりとした味で、別皿に盛られている香辛料などを入れて食べました。 DSC02843 DSC02844 DSC02848 DSC02845

夕刻のスープドラゴンは、黄色のライトが点灯して、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。2014年9月4日午後6時半頃の写真です。オープンテラスで食事をする人たちがいましたが、私たちは店内に入りました。
DSC06956 DSC06959

この日は、メニューの中から、Fried tofu、Stir fried morning glory(上右写真)、                               Omelette Trey Pra Ma左写真)、Fresh spring rolls with  porkなどをオーダーしました。 DSC06958 DSC06960

左写真の左大皿がFried tofu、右皿がStir fried morning glory。右写真の左奥に見えているのが                          Omelette Trey Pra Maです。
DSC069631 (1) DSC069631 (2)

2013年3月18日の夕食は、春巻き(Fresh spring rolls with pork,Deep fried spring rolls with pork and shrimp)をおつまみにビールを飲みました。春巻きの皮も米から作られます。揚げ春巻きは中国が発祥の地で、生春巻きはベトナムが発祥の地だそうです。また、2014年12月には、カンボジアナ鍋を食べました。
DSC01695 DSC01697

スープドラゴンでは、西洋料理のビーフシチューやフランスパン、ベトナム料理のフォーや生春巻き、そしてカンボジア鍋などが提供されていました。スープドラゴンの名称から、ドラゴン島の出てくる映画「インドシナ」が連想されました。 カンボジアもベトナムも、フランス領インドシナであった歴史を持っています(1887年~)。映画「インドシナ」は、1925年のインドシナ南部において、ゴムのプランテーションのために20万人のベトナム人が移住させられた歴史を基に描かれたものです。映画の中でドラゴン島は、フランス兵が管理する、奴隷(ベトナム人)売買の島として描かれていました。 映画「インドシナ」は、1930年代のベトナムから始まり、アンナンの王族の遺児カミーユ(リン・ダン・ファン)と、彼女を養女としたインドシナ生まれのフランス人エリアーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)の2人の女性を中心に描かれます。カミーユは独立運動に身を投じ、1954年に独立を果たしたベトナムの代表として、ジュネーヴ極東平和会議に出席し、独立戦争を終結に導きます。一方、エリアーヌは、カミーユとフランス兵の間に生まれた男の子を連れてフランスに帰ります。
国を単位とした歴史は、できごとや変化を時系列に記していきますが、その地で生き続ける人々は、変化する環境の中で、新たな文化を取り込みながら生活を続けて行きます。食文化は、生活文化の中でもより柔軟に変化していきます。スープドラゴンで提供されるヨーロッパ、ベトナムそしてカンボジア料理メニューは、観光客向けに多様な料理を用意しているという面だけではなく、この地で生き続けてきた人々の柔軟さの歴史を映し出しているとも言えるでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

パブストリートの朝

シェムリアップに滞在中、朝食のためにパブストリートを訪れることが多くありました。下2枚の写真は、2014年12月21日朝7時頃のパブストリートです。道路の上に、白と緑の箱型の飾りが下がっていました。よく見ると、白い箱にManulifeの文字が読めました。緑の箱の図柄は、Manulifeマニュライフ生命のロゴのようでした。マニュライフ生命は、カンボジアで初めての生命保険会社で、2年前(2012年)から開業しているようです。
DSC03605コピー (2) DSC03606コピー (1)

上の写真から5日後(2014年12月25日)6時半ごろのパブストリートです。道路に下がる飾りが、色とりどりの四角に変わり、奥に張られた横断幕には、「2015HAPPY NEW YEAR」と書かれていました。カンボジアでは、1月のインターナショナル・ニューイヤー、2月の中国暦の旧正月、4月のクメール正月と、3回正月が祝われているようです。この飾りはメリークリスマス&ハッピーニューイヤーのためのものなのでしょう。
CIMG1739

この日の朝食は、パブストリートの入口に建つスープドラゴンという名のレストランでした。上写真は、そのレストラン1階から眺めた西側のパブストリートで、下写真は、反対側(東側)です。そこには、クリスマスツリー越しに、オートバイや自転車に乗った子どもたちが次から次へと吸い込まれるように入っていく細い路地が見えました。
CIMG1751コピー CIMG1752

片側を塀で覆われたその路地の先には学校があるようです。バイクタクシーに乗った女の子、自転車の女性など、次から次へと入っていきます。時間は午前7時頃でした。
CIMG1748 CIMG1744 CIMG1745 CIMG1742

この日パブストリートでは、道路脇のごみを掃除する男性たちの姿があちらこちらにありました。カンボジアでは、ホウキで掃き掃除をする人たちをよく見かけます。
CIMG1740 CIMG1741

2日後(2014年12月28日)の7時ごろに同じレストランに行くと、パブストリートの一画に、黒いビニール袋が山積みになっていました。男性が何か仕訳ている様子でした、傍には、オートバイに付けた荷車があり、小さい女の子が乗っていました。女の子が見つめる先には、女性がホウキで掃除をする女性の姿がありました。よく見ると、ほかにも黒いビニール袋がまとめて置かれている場所がいくつも見えました。
CIMG2492 CIMG2493コピー (1)

左写真の店の前にも、黒いビニール袋が置いてありました。インターナショナル・ニューイヤーを前にした大掃除のゴミ集めが行われるのでしょうか。朝のパブストリートを、自転車に籠やざるをたくさん積んだ女の人が通っていきました。
CIMG2495 CIMG2496

大勢の観光客が訪れるパブストリートでは、ゴミ問題がもう始まっているのかもしれません。

写真/文 山本質素、中島とみ子

パブストリート

パブストリートは、オールドマーケットの北西にあります。初めてパブストリートを訪れたのは、2012年12月23日の19時ごろでした。道路の両側に、二階建てのレストランやバーが建ち並ぶ道路には、PUB STREETのネオンサインが灯され、その下を、たくさんの観光客が散策していました。
DSC00192 DSC00196

レストランの店頭で、観光客にメニューをかざして呼び込みをしていたのは、サンタクロースの赤い帽子をかぶった少女たちでした(左写真)。また、多くの遺跡で見かけた伝統音楽を奏でる人たちも、通りに坐って演奏していました。パブストリートは、まるで祭りのようなにぎわいを見せていました。
DSC00197 DSC00194

下の2枚の写真は、パブストリートの入口付近に建つレストラン(スープドラゴン)の二階から撮影(2013年3月18日18時半ごろ)したものです。フランス風のオープンカフェにネオンサインがプラスされた光景が、カンボジアらしさを感じさせました。
DSC01691 DSC01693

PUB STREETの通りに並行して、細い路地が通っています。以下6枚の写真は、2012年12月23日に撮影したものです。レンガ敷きの路地と、両側に建つフランス風建物が、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。
DSC00171 DSC00172

Dr.Fish Massageの店もありました。Fish Massageとは、周りに腰かけて足を水槽の中に入れると、小さな魚たちがつついてマッサージをするというものです。看板に、NO PIRANHAとあるのは、あながちジョークでもなさそうです(左写真)。右写真の水槽は他店のものです。
DSC00177 DSC00188

パフストリートで食事を終えた午後9時ごろには、通りは、たくさんの人々で埋め尽くされていました(左写真)。帰り道に建物の前で、黄色いおそろいのシャツを着て坐っている男性たちを見かけました。後ろの看板にマッサージの文字が見えたので、彼らはマッサージを担当する人たちなのでしょう。
DSC00198 DSC00200

2013年12月26日午後5時半ごろ、夕食のためにパブストリートを訪れると、路上に、左写真に見るような、大きなプレゼントの箱が置かれ、その上に傘が飾り付けてありました。クリスマスから新年にかけての飾りつけだったのでしょうか。夕食のために入ったのは、STEAK HOUSE tellでした(右写真)。
DSC02614 DSC02615

中にはバーカウンターが設置されていて、中で男性が働いていました。カウンターの上にグラスが下げられている様子など、イギリスのパブのようでした。そして、店内には、マリオネット(操り人形劇)が演じられる箱(舞台)が掛かっていました(右写真)。
DSC02617 DSC02618

フランスの影響を大きく受けているカンボジアで、この通りが、パブストリートと呼ばれるのは、イギリスのパブのイメージ持ち込まれているからなのでしょうか?

写真/文 山本質素、中島とみ子

NIGHT MARKET

シェムリアップ川に架かるオールドマーケット橋の下流(東側)に、歩行者専用の橋が2本架かっています。左写真は、オールドマーケット橋から100m下流の橋で、右写真は、1本目の橋から、さらに100m下流に架かる2本目の橋です。2つの橋は、屋根や欄干が同じ形に造られていました。
DSC02850 DSC08194

上写真の2本の橋は、夜になると屋根や欄干に取り付けられた電球が点灯して、それぞれ下写真のような色鮮やかな夜景に変わります。左写真は、オールドマーケット橋から眺めた1本目の橋で、黄色く縁どられた橋の屋根が、シェムリアップ川の水面に映っています。右写真の黄色い三角形が2本目の橋の屋根です。手前には、NIGHT MARKETのネオンサインが赤く点っています。
CIMG1725 DSC05942

シェムリアップ市街地には、3つのナイトマーケットがあります。①アンコール・ナイトマーケット(Angkor Night Market)と、②BB・ナイトマーケット(BB Night Market)、そしてシェムリアップ川の対岸の③アートセンター・ ナイトマーケット(Art Center Night Market)です。
左写真は、オールドマーケット西の通り(Street11)が、シバサ・ロードと交わる場所に立つNight Marketのネオンサインです。下に夜市と矢印が見えるでしょうか。この方向に①アンコール・ナイトマーケットがあるようです。左写真の場所から、シバサ・ロードを南へ200mほど行った左側に②BBナイト・マーケットがあります(右写真付近)。
 DSC02051 DSC06473

1つの大きな建物の中に、100以上の売り場がある②BBナイト・マーケットは、雨季にスコールの多いシェムリアップの気候を考慮して、大きな屋根つきのナイトマーケットが造られたようです。2008年2月に投稿されたあるブログに、「待望のナイトマーケットが誕生しました」と書かれていたので、BBナイトマーケットはそのころできたのでしょう。
DSC02080 DSC02086

シェムリアップ川の対岸に位置する③アートセンター・ ナイトマーケットは、2011年にオープンした新しいナイトマーケットです。オールドマーケット側から対岸を眺めると、シェムリアップ川に浮かぶ灯篭のネオンや橋の灯りの向こうに、③アートセンター・ナイトマーケット付近の灯りが、鮮やかに浮かんで見えます(撮影2014年12月23日)。この夜景を見ていると、アートセンター・マーケットの建設によって、他の2つのナイトマーケットが、シェムリアップ川も含めた平面として、観光客を誘引するだろうことが想像できました。
CIMG1632 - コピー - コピーCIMG1632 - コピーDSC01870[1]

オールドマーケット橋を渡って、アートセンター・ナイトマーケットへ向かったのは、2014年12月24日でした。あちらこちらにクリスマスのイルミネーションが見られました(左写真)。右写真ART CENTER NIGHT MARKETのネオンサインがあるこの辺りから、ナイトマーケットが続くようです。このアートセンター・ナイトマーケットには、ブティック、ギャラリー、土産物屋、ナイトクラブ、レストランなど150店舗以上のテナントが入っているそうです。
CIMG1726 CIMG1718 - コピー

クリスマスをイメージした青色のイルミネーションで、そこかしこに飾りつけがされていました。その中に青色の豆電球で飾られた荷車がありました。まるでトナカイが曳くソリのように見えました(左写真)。私たちが、右写真のレストランで食事をしている時、突然に灯りが消えました。クリスマス・イブで町全体の電気消費量が多くなったためかとも思いましたが、シェムリアップでは停電はよくあることだそうです。 CIMG1728 - コピー CIMG1729 - コピー

帰り道もまだ暗いままでしたが、対岸のオールドマーケット側の町並みには灯りがついていました。ホテルや店舗では、自家発電装置を備えているところが増えてきているそうです。

写真/文 山本質素、中島とみ子

クメール村の展示

今回は、クメール村の展示(カンボジア文化村案内板⑳Khmer Village)について見ていきます。クメール村はクメール人が暮らす村です。クメール人は、クメール語(カンボジア語)を話し、仏教(上座部仏教)を奉ずる人々を総称した呼び名で、カンボジアの総人口の90%を占め、また、タイ東北部、ラオス南部、ベトナム南部などにも住んでいます(参照:ウィキペディア)。
クメール村の展示は、屋根をタイルで葺いた入口の門から始まります(左写真)。門の奥には、穀物倉庫が見えました(右写真)。ちなみに、同じようなコメ倉庫は、西バライの北に位置するピエム村にもありました。
DSC02664 DSC02665

中に入っていくと、高床式の建物が4棟(寺院、僧坊、高床式住居)造られていました。左写真、三角屋根に五色の旗で飾られている建物は寺院で、入口にシンハが立っていました。寺院の左に立つ小さな小屋は、ネアクタの小屋でしょうか。その左には稲わらが高く積み上げられています。右写真は、寺院の2階で、大きな太鼓が見えました(右写真)。
DSC02702 DSC02719

寺院の本堂は、反対側の階段を上った先にありました(左写真)。本堂の奥には、目をパッチリとあけた仏像が安置されていました。
DSC02723 DSC02725

左写真の建物は、五色の旗で飾られ、僧坊としての展示がされていました。高床式の階下には、僧坊で暮らす僧侶たちに、時刻を知らせるときに鳴らされる大太鼓が置いてありました。右写真で赤く見えているのが太鼓で、その奥には牛に引かせる荷車が見えました(右写真)。
DSC02700 DSC02718 

建物内部の梁には、ランプと電燈、それに扇風機も付いていました(左写真)。奥に祭壇があり、両側に金紙の飾りが並び、真ん中には線香立てが置かれていました(右写真)。
DSC02690 DSC02672

部屋の壁際には、衣服がずらりと掛けられていました。鏡も設置してあったので、これらの衣類はクメール村のショーの際に着る衣装のようです(写真1)。部屋の中には、ウォーターサーヴァー(水飲み機)や扇風機もありました(写真2)。写真3の台の上に置かれている飾りや、下に見える大小のザルもショーで使われるのでしょう。
DSC026851DSC026772DSC026793

住居用と思われる高床式家屋は2棟ありましたが、そのうち左写真の1棟は、2階に3つのドアがあり、一般の住居としては大きいものでした。よく見ると、軒下に前庭を照らすためのライトが付いていて、ドアの上には時計も掛けられていたので、ここではショーの練習が行われるのかもしれません。床下(1階)に置かれていた作りものなども、ショーで使われる小道具のようでした。
DSC02668 DSC02670

もう1棟は、階段の先にドアが1つある高床式住居でした。クメール人の伝統的高床式家屋では、火を使うことができないので、別に炊事小屋を造って、そこで料理などをします。右写真が炊事小屋で、大きなカマドがあり、かまどの上には鍋が置いてありました。小屋の柱には、竹の水筒が吊るされ、ザルもかかっていました。炊事小屋の奥に女性の姿が見えました。
モンドルキリ州に住むプノンなど少数民族の人たちの間では、彼らの伝統的住居から、高床式家屋への移行が急速に進んでいるそうです。プノン族のある男性は、1993年にプノン族の伝統的住居(チョン・チャイ)を自分で建築し、8年前にその南側にクメール式の高床式家屋を建てました。彼らの家族は、日常生活の大半を、家の中に囲炉裏があるチョン・ チャイで過ごし、夜寝るときは、TVを置いている居間と寝室2室があるクメール式家屋を使っているということです(参照:http://angkorvat.jp/doc/cul/ang-cul28010.pdf)
少数民族の伝統的家屋がクメール人の高床式家屋へと移行している一方、クメールの伝統的高床式家屋にも変化が見られます。シェムリアップ近郊では、遺跡保存の観点から、新たな家屋の建築が禁じられている場所が多く存在し、これまでのように、結婚した姉妹や子どものために、屋敷内に新居を建てることができなくなっています。そのため、伝統的高床式家屋の1階をレンガ等で囲って部屋に改築するケースが多く見られました。
DSC02703 DSC02671

写真は、蝋人形館に「幸福家族」として展示してあった部屋です。部屋の中に階段があるこの住居は、高床式家屋でなく、かつて宗主国であったフランス式住居のイメージに近いようです。
DSC02582

住居は、その土地の気候・風土の中で暮らしてきた人々の知恵や工夫によって形づくられ、環境の変化に対応してその形を変えてきました。経済成長が著しい現在のカンボジアで、住居は、経済的な豊かさを象徴したものへと変わっていくのでしょうか。

写真/文 山本質素、中島とみ子

模擬結婚式

カンボジア文化村の中に、MILLIONAIRE HOUSE(億万長者の家)と書かれた大きな高床式家屋が建っていました(左写真)。その2階で結婚式のショーが行われていると聞いて、立ち寄りました。階段を上がっていくと、部屋の中では、女性たちの踊りが始まっていました。舞台の手前に坐った女性たちは、音楽に合わせて左右の手をゆるやかに動かし、後ろで立って踊っている女性たちは、同じように手をゆるやかに動かしながら、ゆっくりとステップを踏んでいます(右写真)。
DSC02771 DSC02777

結婚式のショーは、一段高くなった舞台の上で行われ、観光客は一段下がった床にしつらえられた椅子に坐ってショーを見ます。少しすると、若い男性2人が、舞台横のカーテンを開けました(左写真)。観光客が身を乗り出してカーテンの方を見守っていると、付添いの女性に手を引かれた花嫁が現れました(右写真)。
DSC02778 - コピー DSC02779

花嫁は、赤い巻きスカートとゴールドの衣裳を身にまとい、きれいに髪を結い上げていました(左写真)。彼女は、花婿の待つテーブルまで行くと、そこへ坐りました。テーブルには、赤い民族衣装を着た花婿、その左に黄色い服を着た男性の付添役、そして白い上着を着た、式を取り仕切る「アチャー」が坐っていました(右写真)。
DSC02780 - コピー DSC02782 - コピー

舞台の左袖では、トローなどを持った人たちが演奏をしていました。横のテーブルの上に見えているのは拡声器でしょうか(左写真)。舞台の上では、黄色いシャツを着てクロマーを首に巻いた男女が、手に棒を持って登場しました(右写真)。
DSC02785 DSC02785 - コピー

踊り手は、それぞれ花嫁の坐る後ろ(左写真)と、花婿の後ろ(右写真)で棒を持って踊っていました。
DSC02787 DSC02786

棒踊りが済むと、結婚式のショーも終わりに近づいたようで、花嫁と花婿を中心に、出演者たちが舞台に整列しました。紫の布を腰に巻いた2人は、花嫁の両親役でしょうか(左写真)。右写真は、退場する時の花嫁と花婿です。花嫁は、しなやかに踊りながら退場していきました(右写真)。模擬結婚式のショーは10分ほどで終了しました。
DSC02792 - コピー     DSC02793 - コピー

ショーで使われた小道具が、あっという間に舞台のそでに片づけられていきます。
DSC02799 - コピー DSC02800 - コピー

賑わいと華やかさが消えた舞台の上は、ひっそりと静まり返りました(左写真)。ほとんどの観光客が帰った客席に、数人の人たちの姿がありました(右写真)。
DSC02803 - コピー DSC02802 - コピー

カンボジアの結婚式は、通常、新婦の家の2階に、お坊さんと家族が集まり、結婚の儀式が行われます。その後、新婦の家の前に設置されたテントの中で、披露宴が賑やかに行われます。最近では、お色直しで西洋風の純白のウエディング衣装を着る花嫁も増えてきているそうです。カンボジアでは、親同士が子どもの結婚を決めることが多いと聞きました。

写真/文 山本質素、中島とみ子