アンコールワットの東南方向へ、直線距離で8㎞弱のところに建つこの赤い建物は、「プリア・ノロドム・シハヌーク-アンコール博物館」です。建設に際して、イオン1%クラブ (委員長、岡田卓也氏) の資金提供と上智大学 (上智大学長、石澤良昭教授) とアプサラ機構( カンボジア政府のアンコール遺跡地域整備機構) の協力を得たことから、日本人の間では「シハヌーク・イオン博物館」として知られています。2007年11月2日に落成式典が行われ、2008年1月から一般に公開されています。
(参照:http://angkorvat.jp/doc/tch/ang-tch1460.pdf)
博物館の入口に、カンボジアの国章が掲げられていました。この国章は、カンボジア王室の紋章で、1953年のカンボジア王国独立の際に制定されたものです。
この紋章は、その後のクメール共和国(1970年- 1975年)時代に廃止され、クメール・ルージュ支配下の民主カンボジア(1975- 1979年)、ベトナム軍の支援を受けてクメール・ルージュを追放した後のカンプチア人民共和国(1979年- 1989年)、ベトナム軍撤退後のカンボジア国(1989年- 1993年)と、この紋章が用いられることはありませんでした。この紋章が復活したのは、ノロドム・シハヌークを国王とするカンボジア王国が誕生した1993年のことです。国章に描かれている動物(サポーター)は、向かって左が、ゾウの鼻を持つ獅子ガジャシンハ(gajasingha)、右にシンハ(singha、獅子)がいます。その間にある王冠は日の光を放っています。下部にある帯には、クメール語で「Preah Chao」(幸いな支配者)、「Krung」(国、王国)、「Kampuchea」(カンプチア / カンボジア)と記してあるそうです(参照:ウィキペディア)
受付では、若いカンボジア人の女性が対応してくれました(左写真)。この博物館には、上智大学アジア人材養成研究センター によって、バンテアイ・クディ遺跡から発掘された(2000年~2001年)ジャヤヴァルマン7世(1181~1220頃)治世の仏像が、保存・展示されています。またタニ窯跡群から出土した陶器も保存・展示されています(右写真)。*バンテアイ・クディ遺跡情報/ 位置:アンコールワットから約4㎞北東。スラスランの西/ 建立:12世紀末、ジャヤバルマン7世治下の仏教寺院。
博物館1階のロビーには、1、TRADE AND EXCHANGE 2、Trade & Exchange Routes 3、Regional & International Trade について、クメール語と英語で説明された大きなパネルがありました。パネル下部に描かれていた、海上貿易のために船で海に乗り出した人々の様子や魚の線画は、とても面白いと思いました。
パネルには、貿易・交易ルートの示された地図もありました。KHMERの東にはCHAMPA、その上にDAI VIETがあり、地図の右上には、日本のHAKATAも記されていました(左写真)。右写真の①絵図には、カミシモを着た武士の姿も見えました。
現在博物館には、バンテアイ・クディ遺跡で発見された274体のうち、約半数ほどが展示されているそうです。
階段を上った2階がメイン展示室になっています。多くの仏像が瞑想像であり、禅定印を結んでいるところは、日本の仏像と似ていましたが、大きく異なるのは、台座と光背がナーガのものが多く見られたことでした。
バンテアイ・クディからは、274体の仏像が見つかりました。碑文によれば、プリア・カンには430体におよぶ仏像が、タ・プロムには283体の仏像が祀られていたようです。それらの多くの仏像は、奉納されたものと考えられています。奉納したのは、ジャヤバルマン7世をはじめとする王族たちや、その臣下、さらには、地方の領主にまで及んでいたのでしょうか。
写真/文 山本質素、中島とみ子