オールド・マーケット・ブリッジから南へ700mほど下流に、クメール伝統織物研究所があります。下の2枚の写真は、2013年12月に伝統織物研究所の前で撮影したシェムリアップ川です。左写真が上流方向で、右写真が下流方向です。下流には、水門が見えています。
クメール語と英語と日本語で書かれた看板には、「IKTT Institute for Khmer Traditional Textiles クメール伝統織物研究所 」という文字が読めました。この施設は、ユネスコから委託されて、 1995年にカンボジアの伝統的な絹織物の現況調査を担当した森本喜久男氏により、1996年に設立されたものです(右写真)。
敷地内には、ここで働く人たちの自転車やオートバイが停めてありました(左写真)。すだれの日よけが大きく張られた建物の1階部分が作業所で、二階が店舗になっていました(右写真)。
二階へ上がるときに、通った一階の作業場には、機織り機が並んでいましたが、人の姿はありませんでした。糸繰機もあり、柱には、ビニール袋に入った糸が吊るしてありました。1時20分ごろでしたので、昼休みなのかもしれません。
二階の店舗には、タペストリーやスカーフ、ハンカチーフなどの製品がきれいに飾り付けられていました。
ここに飾られているスカーフなどの絹製品は、繭からの製糸、染色 織りまで、すべてここで行われています。 染色には、 自然の植物等が使われ、アーモンドやココナッツヤシに混じって、ラック・ウイガラムシの巣もありました。ビンの中には、日本やカンボジア、タイなどの繭が入っていました。(左写真)。
森本氏は、その設立趣旨の中で、「200種類以上もあったとされる伝統の絣のパターンも、その記憶の担い手とともに失われつつある。かつては村のなかで調達できた生糸も染め材も今はない。(中略)伝統織物にかかわるあらゆるものを収集・記録し、次の世代に残す必要がある。同時に、その復興と再生を促し、伝統の活性化を図ることが切に望まれた」http://ikttjapan.blogspot.jp/p/iktt.htmlと述べています。
カンボジアでは、多くの文化と同様に、内戦の間に織物製作の技術も途絶えてしまったようです。生活文化は、変化しながら継承されていきますが、強制的な生活文化の断絶は、生活面だけでなく、人々の精神面にも大きなダメージを与えます。カンボジアの人々の生活の一部であった織物が、今、伝統織物として継承されて行く重要性を思いました。
写真/文 山本質素、中島とみ子