象のテラス

アンコール・トムの中心寺院バイヨンから北に進むと、Preah Ngok Pagodaの入口に大きな仏像が見えました。離れた場所からの写真ですが、仏像の足元にいる人々や、木の下に集っている人々と比べると、この仏像の大きさがわかると思います。その先にテラスが続いていました。これらのテラスも、ジャヤヴァルマン7世により12世紀末に築かれたものです。*アンコール・トム遺跡情報/位置:南大門は、アンコールワットの約1.5㎞北 /建立: ジャヤヴァルマン7世(1181~1220頃)が、都城として造営。
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アンコール・トム遺跡の中に設置されている案内板の一部を拡大しました。左上写真の仏像があるのは①Preah Ngok Pagodaです。②はパプーオン寺院、③ピミアナカス寺院で、濃い茶色枠が王宮のラテライト城壁です。④が象のテラス、⑤がライ王のテラスと呼ばれている場所です。南北に通る赤い点線は、北門へ続く道で、④から東へ延びる点線は勝利の門へ続く道です。DSC00127

④象のテラスは、王宮の東塔門の正面に造られています。ジャヤヴァルマン7世も、この門をくぐってテラスに出たのでしょう(左写真)。王宮から東塔門を出ると、大きくテラスが広がっています(右写真)。
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テラスを上がると、まっすぐに伸びる勝利の門への道が見えます。その両側に、象のテラスに向かい合うようにレンガの祠堂(プラサット・スゥル・プラット)が並んで建っていました。プラサット・スゥル・プラットも、ジャヤヴァルマン7世によって建てられたものです。この広い空間は、凱旋する兵士をむかえるための場所で、テラスは,王たちが眺望する基壇として使われたといわれています。テラスの両側をナーガとシンハが護っていました。 
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正面階段の両側に、3つの頭を持つ象(アイラーヴァタ)の彫刻がありました(左写真)。同じ象の彫刻は、王宮の東北隅のテラスにも見えました(右写真)。象はインドラ神の乗り物とされています。
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テラスの東壁面には、おびただしい数の象のレリーフが続いていました。象のテラスは、高さ3m、長さは300m以上にもなるそうです。
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左写真は、テラスの中ほどからライ王のテラス方向を臨んだものです。テラスの上にはナーガの欄干が続いています。テラスの東壁面には、ガルーダのレリーフも見られました(右写真)。
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Leper King Terrace(ライ王のテラス)は、象のテラスの北側に、基壇(一辺約25m、高さ約6m)を異にしてありました(左写真)。基壇の各面には、ナーガや仏像などが所狭しと彫られていました(左写真)。私たちが「ライ王」と呼ぶテラスに立つ像は、カンボジア人の間では、元来あった彫像の基部に刻まれていたダルマラーヤ (Dharmaraja)として知られているそうです。
1965年(昭和40年)10月にアンコール・トムを訪れた三島由紀夫は、この像から、彼の最後の戯曲『癩王のテラス』を構想したといわれています。
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2013年8月27日の雨模様の日、かつて王族が歩いたであろうテラスの上を、多くの観光客が行き来していました。
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象は、インド神話では、世界を支える存在として描かれています。そして、アンコール朝時代、アジアゾウは使役動物として、また戦う象として軍事用利用されていたようです。象のテラスの前には、凱旋した人々とともにたくさんの象が整然と並んだのでしょう。

写真/文 山本質素、中島とみ子

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